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空母「飛鷹」 アンボンへ向かう [軽巡洋艦名取短艇隊]

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 志柿氏は、作戦を聞いたことで、慄然とし、
空虚な思いを抱きつつ、軍務局に行きました。
ここで、旧知の知り合いに、アンボンに行くことを
告げました。そして、軍令部第六課に行き、
同期生に会いました。

 ここで、南方に行く人向けの小冊子をくれました。
志柿氏が行く第24特別根拠地隊の担当エリアは
相当広く、ニューギニアから、セレベス島の西の
小島までありました。そして、志柿氏は、民政部長を
兼務することになりました。


 2月11日早朝、志柿氏は、見送りの家族とともに、
羽田飛行場に着きました。志柿氏が乗るのは
アメリカから輸入したダグラスDC3型機でした。
軍用機しか乗ったことのない志柿氏は座席が
贅沢に見えました。

 機内から待合室を見ると、志柿氏の子供たちが、
珍しそうに見ていました。志柿氏は、窓から
子供たちに合図を送ってみましたが、
わからないようでした。

 飛行機は、富士山の近くを通り、福岡飛行場に
向かいました。福岡飛行場には、志柿氏が士官
候補生の時に乗り込んだ金剛の通信長だった
武田大佐がおり、第24通信隊として、アンボンに
赴任するので、一緒の機体に乗るということでした。

 福岡飛行場を飛び立つと、大陸の方に向かい
ました。大陸に近づくと高度を下げ、揚子江に
沿って上海に向かいました。上海は、志柿氏が、
海軍砲術学校に赴任する前の2ヶ月間駐屯
していた場所でした。

 上海上空を旋回したとき、地上を見ていた
志柿氏は、この地に駐在していた時の思い出が
よみがえってきました。


紹介書籍:空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦
著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)


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