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戦艦武蔵 後日譚 [戦艦武蔵]

 ある日、炭木兵長が開いている小料理屋
「すみき」に、一緒にキングストン弁を開いた
萩原元機関兵が訪れました。

 萩原元機関兵は、2週間の巡拝団に参加
しており、その報告も兼ねて店に寄ってくれた
ということでした。萩原元機関兵は、遠藤兵曹を
覚えていますかという質問をしてきました。

 当然、第十一罐室に潜った豪傑として覚えて
いました。萩原元機関兵は、遠藤兵曹の未亡人と、
青年になった息子さんを連れてきていました。

 炭木兵長は、遠藤兵曹が武蔵に乗り組んでいたとき、
衣服箱に一枚の手形を張り付けていたことを知って
いました。この手形は、昨年生まれた長男のものだ
ということを聞いていました。

 遠藤兵曹の長男を見て、あの手形の人物だと
瞬時に思い出しました。こんなに大きくなって
いたのかという思いがありました。

 炭木兵長は、思わず手を見せて欲しいと頼みました。
そして、遠藤兵曹が持っていた手形とは比べ物に
ならないほど大きくなった手をみて、「大きくなった」と
声をあげていました。

 そして、未亡人から、息子が結婚するので、
父親代わりに出てほしいというお願いを
されました。炭木兵長は、喜んで
了承しました。

 最後に、「武蔵はまだ浮いているとような気がする」と
言っていました。

(追記)
 著者の豊田氏は、炭木兵長の話を、「すみき」で聞いて
いました。豊田氏は上空から武蔵を眺めており、炭木兵長は、
グレーチングから眺めていたことになります。

 豊田氏は、炭木兵長の仲間を想う心に、一人の日本人を
感じていました。

 炭木兵長は、武蔵は自沈したと考えていました。これには、
異論はあると思われますが、日本人の心までは沈めることは、
できなかったとしています。


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戦艦武蔵自沈 [戦艦武蔵]

 武蔵の総員退去の命令は、炭木兵長らが、
キングストン弁を開きに言っている間の
午後7時15分に、命じられました。

 炭木兵長が、海に飛び込む前に服を脱ごうと
していると、近くに寝そべっていた遠藤兵曹に
止められました。海に飛び込むときは、靴だけを
ぬいで、他は着用していた方がよいということ
でした。重油で皮膚がやられるためということでした。

 炭木兵長は、遠藤兵曹に、どうするのか聞くと、
「全身火傷だ。助からない。」という返事がきました。
遠藤兵曹の目には、覚悟の色が見えました。

 炭木兵長は、上甲板まで達した海水に飛び込みました。
遠藤兵曹の、「できるだけ艦から離れろ」という声を聞きました。
これが、遠藤兵曹との別れとなりました。

 炭木兵長があまり離れていないころ、武蔵は、スクリューを
空中の持ち上げ、転覆しました。大きな爆発が2回連続して
起こり、多量の水蒸気が、白い柱のように立ちのぼりました。

 武蔵は、1944年10月24日午後7時35分に沈没しました。


 炭木兵長は、7時間の漂流後、駆逐艦浜風に救助され、
年明けに台湾の高雄に上陸しました。しばらくして、内地に
戻され、新しい所属を待っているうちに、終戦となりました。
この後、銀座で小料理屋を開き、最初の場面となります。

(追記)
 1971年(昭和46年)4月9日から、2週間にわたり、
フィリピン東シナ海方面、海上戦跡巡拝団が旧戦場を回って
英領を弔いました。

 猪口艦長の未亡人や、副艦長加藤大佐、元乗員らが
参加して、行われました。

 炭木兵長は、2週間も店を閉める訳にはいかず、参加
しませんでした。


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戦艦武蔵 第十一罐室脱出 [戦艦武蔵]

 炭木兵長は、涙声をあげる萩原機関兵をどやしつけ、
ラッタルを登っていきました。水は、グレーチングの上1m以上に
達していたので、感傷に浸っていると、脱出前に艦が沈没
することも考えられました。

 マンホールを抜けると、行きと同じように、死体を踏まない
ように注意を与えて、後部へ急ぎました。武蔵は、前方への
傾きも激しくなっていました。

 炭木兵長は、心なしか来るときより死体が増えているように
感じました。帰りの死体が多かったのは、後部へ逃げる途中で、
力尽き倒れた兵士が多かったからでした。

 上甲板に出ると、指揮官にキングストン弁を開いたことを
報告しました。指揮官は、ご苦労という言葉と怪我はないかと
聞いてきました。炭木兵長と萩原機関兵は、帰還するとき、
ラッタルで火傷をおっていました。

 それを見た指揮官は、「総員退去の命令がきいるので、
休む暇はない。すぐ、海に飛び込んで、駆逐艦の救助を
待つように。」という命令がきました。

 炭木兵長は左舷を見ると、既に20度ほど傾いて、
上甲板まで海面が迫っていました。炭木兵長の開けた
右舷のキングストン弁は、傾きの回復にはなって
いなかったようです。

 炭木兵長が、海に飛び込む準備のために、煙火服を
脱ごうとすると、意外な人物から止められました。

(追記)
 炭木兵長は、マンホールをくぐって後部にいくとき、
周りにある死体を見て、行きと帰りで感想が違うことに
気づきました。

 行くときは、「こんなにやられた」と「いつかは、俺も
こうなるのか」と考え、拝む気持ちがありました。対して
帰りは、すべて物体だと思えるようになっていました。

 そのため、火に対する恐怖が頭にあり、体を突き
動かしていたので、死体に対して感情が出てこな
かったといえます。


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戦艦武蔵 キングストン弁からの注水 [戦艦武蔵]

 全く動かないキングストン弁からも、武蔵が
不沈艦と信じられていたことは明らかでした。
しかし、今はこの弁を開ける必要がありました。

 炭木兵長は、萩原機関兵に、梃子で動かそうと
提案し、ドライバーとスパナを、ハンドルの放射線状
金物の間にはさんで、回転させました。

 すると、きしみながらも回り始めました。ハンドルを
回しつづけると、頂部から水柱がほとばしり出ました。

 武蔵は、排水量7万t、そして、現時点では、1万t
ほどの水が、船腹にはらんでいると考えられ、その分の
圧力にふさわしい力で、水が放出されました。

 炭木兵長と萩原機関兵は、全開までハンドルを回し、
水柱は、グレーチングの上部2m近くまで吹き上げ、
ビジル用の空間は、たちまち満水となりました。

 その後、炭木兵長と萩原機関兵は、モンキーラッタルを
伝って上甲板へ帰投ことにしました。現在は、傾きがさらに
激しくなっており、背面になり、ぶら下がって天井を伝って
ゆくような気がしました。

 ラッタルの上部にくると、萩原機関兵は、「これで
第十一罐室は見納めになるんですね。ここが死ぬ
場所だと訓練に励んできたのに」と涙声をあげました。

(追記)
 今回、キングストン弁を開くように命じられたのは、
第十一罐室以外に、第三と第七罐室でした。全て、
右側にある罐室なので、この命令からすると、
副艦長は、艦の傾きを直すつもりで、
命じたとも言えます。

 しかし、炭木兵長は、モンキーラッタルを登っているとき、
副艦長は武蔵を沈めるために、キングストン弁を開くように
命じたと考えていました。

 実際、傾きが直っても、キングストン弁を、閉めることは
できないので、実態は沈めるためということになります。


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戦艦武蔵 キングストン弁を開く [戦艦武蔵]

 グレーチングのマンホールは、丸いふたではなく、
たたみ一畳敷きほどの鉄板なので重く、開けるのも
一苦労するようなものでした。何とかこじ開けると、
丸い鉄の球状のものが出てきました。

 これがキングストン弁でした。

 丸い鉄の球状のものの中に弁があり、ハンドルを
回すと弁が開き、海水が入ってきます。炭木兵長は、
キングストンという名前がどのような由来による
ものかは分かりませんでした。

 炭木兵長にとって、この弁を開けることは、艦の
終末を意味するものであり、今はこの弁を開ける
ことが、任務でした。

 炭木兵長、萩原機関兵共に、今までキングストン弁に
触ったことはなく、開けたことがある兵士自体が、海軍
でもまれではないかと考えていました。

 二人で、ハンドルを回してみましたが、まったく動きま
せんでした。艦が左に傾きつつある中で、生きて上甲板に
出られる可能性が減りつつある中、炭木兵長は、落ち着いて
原因を探してみました。

 すると、上部に止め金がついているのが見えました。
ペンチで止め金を切断し、二人はハンドルに取り付き、
回してみました。今度は、ギギという音を立てたものの、
動くことはありませんでした。

 武蔵は、進水したのが1940年11月で、まだ4年くらい
しか経っていませんでしたが、完全に錆びついていました。
ドックにいるときに、可動点検をしているはずですが、
キングストン弁を可動させた形跡はありませんでした。

(追記)
 キングストンの名前の由来を、Wikipediaから抜粋して
みると、イギリス人のジョン・キングストン及び、彼が
創業したロサンゼルスのF.C.キングストン社からと
なっています。

 しかも、キングストン弁は、本来は消火や区画注水の
目的で設置されたものであり、自沈専用の弁というのは
誤解だとしています。

 しかしながら、炭木兵長は、自沈専用の弁という認識
だったようであり、武蔵のキングストン弁は、この目的で
しか使用していないといえます。


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戦艦武蔵 キングストン弁を開きに行く [戦艦武蔵]

 炭木兵長は、副長がキングストン弁を開くように
命じていた声を聞きながらとき、あたりの様子を
見ていました。高角砲や機銃の砲台が、多数の
爆弾により形を変えて、周囲に死体が散乱して
いました。

 炭木兵長が周囲を見ていたとき、指揮官から、
「第十一罐室で、だれかキングストン弁を開けに
いくものはいないか」という声がしました。

 指揮官は、行かせる人を指名はしませんでした。
キングストン弁を開けている間に、艦が沈むことが
ありたので、死ににいけという命令になるため
でした。

 炭木兵長は、遠藤兵曹の「死ぬのは一人でたくさん」と
いう言葉と、その結果として火脹れを作った顔を思い出し、
自ら手をあげました。そして、もっとも気の合う萩原機関兵と
一緒にいくことにしました。萩原機関兵も、喜んでついてきて
くれました。

 炭木兵長は、最後部の飛行機格納庫のハッチから降り、
左斜めに傾いて歩きにくい艦内を歩いていきました。途中、
死体に躓きましたが、萩原機関兵に、「死体は踏まないように」
と注意し、進んでいきました。

 第十一罐室のハッチを開けると、あたりは電源が落ちて
暗くなっていたのに、第十一罐室は、予備電源の電灯が
ともり、明るくなっていました。その様子は、月明かりを
吸い込んだ井戸のようで、底に自分の顔がうつるような
錯覚にとらわれました。

 罐室の床に敷かれたグレーチングと呼ばれる鉄板までは、
モンキーラッタルと呼ばれる垂直の梯子がついていました。
しかし、現在は船が傾いており、梯子も内側に傾いていました。
そのため、梯子にぶら下がるような格好で降りることになりました。

 グレーチングに着くと、キングストン弁のある船底へいくための
マンホールを開ける作業に取りかかりました。



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戦艦武蔵 キングストン弁の思い出後編 [戦艦武蔵]

 逃げ出した兵士が、キングストン弁にしがみついて
泣き出したため、キングストン弁が開かないか心配に
なりましたが、弁は、金属の板で固定されており、
素手で開くようなことはありませんでした。

 逃げた兵士を連れて、マンホールに戻ることに
しましたが、道を間違え、くぐらなければならない
狭い空間にたどり着きました。他の2人は、難なく
くぐり抜けられましたが、豊田氏は胴体が引っかかり、
抜けられなくなりました。

 二人がかりで引っ張ってくれたものの、一向に
抜けませんでした。豊田氏、半分諦め、ひょっと
すると、永遠にキングストン弁と同居すハメになる
のではないかと考えました。

 そんなことを考えたら、キングストン弁の錆色と
ビジルの色が、親しいものに思われました。

 豊田氏は、下士官らの提案で、足からくぐることに
しました。その際、ビジルに上体を浸すことになり、
水と油の腐った臭いが、鼻を突き抜けました。
二人に全力で足を引っ張ってもらい、抜ける
ことができました。

 豊田氏は、来るときに引っ掛けたパイプで、みみず
腫れを作っており、このみみず腫れにビジルを沁みこ
ませてしまったため、体がねずみ色に染まり、しばらく
落ちなかったとしています。

 逃げ出した兵士は、風呂で体を洗った後、海兵団に
送り返されました。この後、この兵士がどうなったのかは
豊田氏は聞いていないとしています。

 暗い艦底にポツンと存在するキングストン弁の不気味な
光沢と見開かれた兵士の眼球が記憶に残っているとして
います。

(追記)
 戦艦のような大型艦は、訓練が厳しいということで有名
でしたが、上記の兵士については、教育指導という名目の
暴行をしたのではないかという疑いがあります。

 今の自衛隊でも、報道されますので、この当時は
もっとやっていたと思われます。


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戦艦武蔵 キングストン弁の思い出前編 [戦艦武蔵]

 著者の豊田氏は、キングストン弁に対して思い出が
あります。

 豊田氏は、戦艦伊勢の甲板長として乗り込んで
いたとき、兵士の一人が軍務の厳しさに堪えかねて、
ビジルのたまる空間に逃げ込むということが起こりました。

 甲板長は、艦の保全と軍機の維持に勤めるのが
仕事なので、呼びにいくことになりました。

 この件について、副艦長から、「キングストン弁を緩める
ようなことがあったら、艦もその兵士も危険なので、専門
下士官と一緒に状況を確かめて、連行するように」という
命も受けており、少尉候補生だった豊田氏は、応諾
していました。

 一方で、飛行機に志願していた豊田氏は、船底に
もぐったことはなく、当惑していました。しかも、
豊田氏はこの当時80kgで、胸囲は108cmの
肥満体だったそうなので、キングストン弁がある
空間にもぐるマンホールに引っかかり、降りられ
ないという状態でした。

 一緒に来ていた下士官に、服にグリスを塗ってもらい
ようやくくぐり抜けることができました。その後も、空中に
交錯していたパイプに挟まれたりして、その度に下士官に
救助してもらっていました。

 艦尾のスクリューシャフトの下部に、キングストン弁が
ありました。懐中電灯が、ビジルにさらされ、錆びた弁の
表面を照らしました。その弁の近くに、うずくまるように
逃げ込んだ兵士がいました。

 逃げ出してから24時間も経っていないのに、恐怖と
不安で若さを失った老人のような姿になっていました。

 豊田氏が、「出て来い。だれもとがめはせん。副長も
心配している」と声をかけましたが、甲板士官だと気づき、
キングストン弁にしがみついて泣き出してしまいました。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘

戦艦武蔵 総員上甲板 [戦艦武蔵]

 第十一罐室の床に、水がたまり始めました。
ちゃぷんという水音が、足元から聞こえ始め
ました。炭木兵長は、足元から聞こえる波の
音に、耳を傾けていました。

 あたりが暗いこともあり、時間の流れが遅く
感じました。速度が大幅に落ち、止まって
いると感じるような船の底にいるのは、
不安をかきたてました。

 炭木兵長をはじめとした、罐室にいた15人の
機関兵は、それぞれの思いで、沈黙して
いました。

 午後5時すぎ、猪口艦長は、肩の負傷に
眉をしかめながら、「総員上甲板」の
命令を出しました。

 この頃、旗艦の大和から、「全力をあげて、
付近の島に座礁させ、陸上砲台とせよ」
という命令がきていました。

 しかし、武蔵は到底動ける状態でありません
でした。曳航することも考えましたが、
左舷への傾斜が激しく、到底不可能
でした。

 機関科の乗員が、上甲板に上がると、硝煙の煙で、
あたりの空気が汚れていました。上弦の月も、硝煙の
煙ですさまじい色に染まって見えました。前部は、
波に洗われているので、後甲板に集まって
いました。

 ここで、副艦長から、機関科の乗員に、キングストン弁を
開けるようにと言う命令が下されました。

(追記)
 罐室の床は、グレーチングと呼ばれる鉄板が敷かれており、
その下にビジル(水と水あか)がたまる空間になって
いました。ビジルの下は装甲板であり、装甲板の
下は海でした。

 ビジルがたまる空間に、艦を自沈させるキングストン弁が
ありました。キングストン弁は、太いパイプの横に、ハンドルが
ついており、これを回すとパイプの中で海水を抑えている鉄板が
上がり、海水が噴出するという構造になっています。

 このキングストン弁に触れた人は、海軍勤務軍人でもかなり
少なく、どこにあるかも分からないという人が多かったようです。


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戦艦武蔵 第二、第四機関室操縦不能 [戦艦武蔵]

 空襲は一時的に止みましたが、武蔵の被害は広がって
いました。武蔵は、至近弾も多数浴びているため、徐々に
破損していました。しかも、武蔵は前方に傾いているよう
でした。第十一罐室も、水漏れが激しくなってきました。

 炭木兵長は、漏れてくる水を舐めてみると、海水で
あることが分かりました。海水が、炭木兵長がいる
部屋まで侵入していることになります。炭木兵長は、
指揮官の命令で、機関指揮所に、艦の被害状況を
知らせるように要請しました。

 すると折り返し、「各甲板火災。航海は不能。高角砲、
機銃は射撃を続行中。第十二罐室使用不能。第二、
第四機関室操縦不能(水没)。現在の速度4ノット。」
という返事がきました。

 炭木兵長は、武蔵が左舷にも傾いていることを感じて
いましたが、左舷にある第二、第四機関室が
水没したことが理由だと分かりました。

 一方で、武蔵の注排水装置は完璧だと防御指揮官から
聞いていたので、修復しないのを怪訝に思いました。

 炭木兵長は、上甲板に出て自分の目で被害を確認したい
という欲求を感じました。しかし、機関科の兵員として
許される行為ではなく、押さえるほかありません
でした。

(追記)
 豊田氏は、航空機搭乗員として、トラック環礁で、
大和と武蔵が並んで停泊しているところを、上空
から見たことがありました。

 その威容は、心打たれるものがありました。しかし、
爆撃訓練では、前回紹介したとおりで、どこへ投下
しても命中するような状況でした。

 アメリカ軍も、急降下爆撃をすれば、豊田氏と
同じ感想を持つだろうと考えていました。このこと
から、豊田氏は、武蔵を炭木兵長が言うような
「不沈艦だ」と豪語することは、到底出来ないと
考えていました。


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