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戦艦武蔵 地獄の様相 [戦艦武蔵]

 艦橋に爆弾が命中し、艦長は大丈夫なのだろうか
という心配が出てきました。

 間もなく、「こちら第二艦橋。只今の爆撃で、艦長負傷。
只今より副長の加藤大佐が指揮をとる。本艦の被害状況、
魚雷命中10本以上。爆弾10発以上。航海長、高射長
戦死。各部被害状況を知らせよ。」という拡声器からの
声がしました。

 この時、速度計は6ノットを示していました。炭木兵長は、
魚雷と爆弾を合わせて20発も食らったと聞いて沈黙
しました。

 指揮官も、沈むことはないだろうが、6ノットでは、
次の空襲で、さらに浴びることになると考え、
沈黙せざる得ませんでした。

 そうしていると、機関科指揮所からのブザーが鳴り、
「前部、中部、最上甲板、上中甲板以下火災。全艦
一次電源切断。二次電池使用中。機関科各室状況
を知らせよ」という状況報告と命令がきました。

 炭木兵長は、第十一罐室の状況を知らせながら、
状況報告の内容に、思いをはせました。電灯が
消えて、二次電池のみとなり、各部に火災が
広がっているということであり、武蔵は地獄の
様相を示し始めたことになります。

(追記)
 著者の豊田氏は、急降下爆撃機の操縦員として、
瀬戸内海で航行中の武蔵に対して、爆撃訓練を
したことがありました。

 急降下爆撃は、高度8000mから降下し、
高度450mくらいで引き起こして退避する
という行動をとります。

 降下中に、照準器の内部に映る艦影に向けて、
風速と風向による修正を行い向かう方向を決めて
爆弾を投下します。

 しかし、武蔵は、高度600mで、艦影が照準器
一杯になってしまうため、どこに撃っても命中する
ことになりました。

 これなら命中率はいいだろうと、搭乗員仲間で
話し合っていたということです。


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戦艦武蔵 艦橋に爆弾命中 [戦艦武蔵]

 第十一罐室に、魚雷が命中したことで電灯が消え、
予備電源により作業を、続行することになりました。
詰め物が抜けたことによる浸水も増加しつつ
ありました。

 ここに、遠藤兵曹が入ってきて、ボイラー室は大丈夫
ですかと聞いてきました。指揮官は、遠藤兵曹のこと
なので、またボイラー室に飛び込む気ではないかと
考え、今回は、今いる部屋の詰め物を入れさせる
ことにしました。

 炭木兵長は、詰め物を入れても、魚雷を食えば、
外れれるので意味がないのではないかと考えながら、
作業に当たりました。その後、空襲はしばらく途絶えて
いました。

 午後2時40分過ぎ、六度目の空襲が艦橋から
告げられました。敵機は、武蔵にトドメをさすつもり
なのか、左右から多数の雷撃機が攻撃してきました。
武蔵は、左右から衝撃を受け連続して大きく震動
しました。

 指揮官は、何回振動したか数えていましたが、
10回は越えていたように感じました。さすがに、
これだけ食って武蔵は大丈夫なのかと考えました。

 その後、艦橋から急降下爆撃がくるという連絡を
最後に、何も告げなくなりました。艦橋に爆弾が
命中したようでした。

(追記)
 炭木兵長は、猪口艦長が航海長や、高射長、
測的長など、対空射撃と転舵回避の責任者を
集めて、対空訓練をしている場面に出会った
ことがあります。

 その時、艦長はカッターに乗り、責任者らを一緒に
乗せて、「雷跡が見えたらどう回避するか」、「左から
爆撃機。どうする。」といった想定を矢継ぎ早に指示し、
対応を決めさせるという訓練をしていました。

 炭木兵長は、艦橋に爆弾が命中した時、高射長、
測的長は、あの時の訓練をいかせたのだろうかと
考えていました。


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戦艦武蔵 第十一罐室被雷 [戦艦武蔵]

 武蔵が被弾していきましたが、船底にいる機関員は、
知ることもありませんでしたが、武蔵は不沈艦なので、
自分たちも安全だと信頼感で持ち場を守っていました。

 不安については、横から来たときは魚雷、上から
来たときは、主砲発射か爆弾と決めて、討議することで
紛らわしていました。

 午後12時10分過ぎに、艦橋より、敵来襲が告げられ
ました。その後、「雷撃機、右前方より接近」「対空戦闘」
「撃ち方始め」の声がしました。

 しばらくすると、右舷前方に横揺れが感じられました。
炭木兵長は、魚雷であることを感じ、指揮官に話しました。
この頃、水漏れがひどくなってきており、床を濡らしてきて
いたので、指揮官は、無言で被害状況を聞いていました。

 数分後、「約20機、前方から突っ込んでくる」という
アナウンスがあり、武蔵が転舵し、右に傾きました。
奇襲を受けたと感じた炭木兵長は、こちらにも攻撃が
くると予想し、テーブルにつかまりました。

 その直後、第十一罐室が大きく揺れ、赤い火花が
咲きました。そして、第一撃のときにつけたボロ切れは
全て脱落してしまいました。さらに電灯が消え、電池で
駆動した薄暗い電灯の光が、室内を照らしました。

 第十一罐室側壁に魚雷が命中したようでした。

(追記)
 炭木兵長は、今回の出撃で、基地航空隊の護衛が
つくのかつかないのか分からないでおり、第十一罐室の
指揮官に尋ねています。基地航空隊の護衛有る無しで、
被害状況は違ってくるので、乗員の間で話題になるのは
当然でした。

 一方で、第十一罐室の指揮官は、通信兵と親しくしており、
今回の航海には、基地航空隊の護衛がつかないことを
知っていました。しかし、それを言う訳にはいかず、
炭木兵長の質問には答えませんでした。


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戦艦武蔵 機関室に司令部を移す [戦艦武蔵]

 被弾状況のアナウンス後、「艦の傾きは、1度にまで
復帰した」という追加の連絡がありました。並の軍艦なら
沈没してもおかしくない被害を受けながら、武蔵は、
航海しつづけることができていました。

 しかし、第六罐室から電話のブザーがなり、「第二
機関室被災。第一機関室に司令部を移す。各罐室の
被害状況を報告せよ。」と言う連絡がきました。

 炭木兵長は、戦闘開始1時間30分で、機関室の
司令部が被災するという状況に容易ならぬ戦いに
なりそうだと感じました。

 この後、機関長から「第一機関室で指揮をとる。
本艦被害状況は軽微。上甲板では勇戦して敵機を
撃退中。各員安心して持ち場を守れ。」という通報が
ありました。

 この時の被害は、第二機関室が使用できなくなり、
第二機関室が担当していた第二スクリュー(左の内側
スクリュー)が操作不能となっていました。

 そのため、12時以降は、武蔵は3本のスクリューで
航海していたことになります。(これでも、全速で26ノット
出すことができました)。

 他にも、第十罐室、第十二罐室も被災しており、
ここにいた機関員は、他の罐室に移動しています。

 航海には支障ないとはいえ、被害は積み上がって
いました。

(追記)
 武蔵の艦長猪口敏平(いのぐちとしひら)少将は、この時、
自ら舵輪を握って操艦していました。猪口少将は、大口径
射撃の専門家として、海外にも名前が知られている方です。

 著者の豊田氏は、海軍兵学校時代に、戦術、戦務、戦史の
教官として、教えを受けていました。教官時代は、「莫妄想
(もうそうすることなかれ)」と書かれた棒を持って、居眠り
している生徒の肩を棒で叩いていました。

 豊田氏が、授業を受けているとき、居眠り名人の異名を持つ
生徒を、いつものように叩いたら、棒が莫の字のところで
折れ、妄想だけになったのを覚えているとしています。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘

戦艦武蔵 被弾が増える [戦艦武蔵]

 炭木兵長は、再びボイラー室に潜って行った
遠藤兵曹の心配で、焦燥感を抱いていると、
死地に赴く覚悟で向かって行った遠藤兵曹が
戻ってきました。

 遠藤兵曹が出てくるとき、蒸気が出てきており、
ボイラーから漏れているのかと思いました。
遠藤兵曹の話では、浸水した水が、ボイラーで
熱せられて蒸気になっているということでした。

 そのため、熱さはそうでもなかったということ
でした。背中がかゆいという遠藤兵曹のために、
若い水兵に背中を掻かせると、皮がめくれてしまい
ました。

 煙防服の穴から入った蒸気で、背中の皮膚を焼き、
その部分の皮がつるりとめくれてしまったということ
でした。

 遠藤兵曹から、漏水は防いだものの、完璧とは
言えないという報告を貰い、休ませることにしました。
武蔵はこの間も転舵を続けていました。

 11時40分ごろ、再び上甲板に衝撃があり、艦全体が
大きく動揺しました。艦橋から、「魚雷3本左舷に命中、
1本右舷に命中。直撃弾2発命中。本艦、傾斜左5度。」と
いうアナウンスがありました。

 アナウンスとは別に、第三罐室にも命中していました。
炭木兵長のいる第十一罐室と同じスクリューを受け持って
いる罐室でしたが、炭木兵長は気づきませんでした。

(追記)
 武蔵の4本の各スクリューにある3つの罐室には、
それぞれ機関室が1つ付属していました。

第一、五、九罐室に、第一機関室
第二、六、十罐室に、第二機関室
第三、七、十一罐室に、第三機関室
第四、八、十二罐室に、第四機関室
となっており、第二機関室に、全機関の指揮をとる
機関長が常駐していました。


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戦艦武蔵 罐室乗員の焦燥感 [戦艦武蔵]

 遠藤兵曹が、ボイラーの裏側にいくと、隔壁が
バジルの隔壁に当たるところで、直角に折れる
箇所から水漏れがありました。

 隔壁にガタがきているようで、放っておけば、
罐室は水浸しになり、作業できなくなる恐れが
ありました。

 遠藤兵曹は、応急修理の道具を持ってきて
いなかったので、戻って指揮官に報告しました。
遠藤兵曹の顔は、火膨れになっており、人相が
変わっていました。

 指揮官は、誰かに修理のために行ってもらわねば
ならなくなくなりましたが、遠藤兵曹の人相を見ると、
命令しにくい状況でした。

 周りでは、指揮官を想い、自ら手を挙げる乗員が
いました。しかし、ここで、力強く志願したのは、今
見てきた人相の変わった遠藤兵曹でした。

 指揮官は、火傷で死ぬことになると止めましたが、
死ぬのは一人で十分と言って、再び入っていきました。

 この様子を見ていた炭木兵曹は、イライラを感じて
いました。同時に、この様なイライラは、デッキ(砲術、
航海など上甲板で働く兵員のことを総称した呼び方)の
連中には分からないだろうと考えていました。

 罐室の勤務は、水平線下の地獄で、戦い続けるのみ
ですが、機関がなければ船は動かないので、重要な
役割でした。罐室の乗員が、戦闘中に上甲板に
出るのは、戦闘力を失ったときでした。

(追記)
 著者の豊田氏は、アメリカ軍の捕虜になった時、
飛龍の機関科の乗員と一緒になりました。この
人達は、ミッドウェー海戦の際、カッターで脱出
して、15日の漂流後、アメリカ軍に救助された
ものでした。

 この人たちは、艦橋からの総員退去の命令は
聞こえず、味方の駆逐艦から処分のために、
魚雷を浴びたときに、事の重大さに気づき
ました。

 そのため、デッキの連中は、俺たちをとじ込めた
まま、処分したと言い放ち、恨みを一生忘れないと
話していたとしています。

 豊田氏が、この武蔵の話を書いているのは、
この時の言葉により、機関科の人たちに同情
したからだとしています。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘

戦艦武蔵 罐室漏水 [戦艦武蔵]

 魚雷命中の連絡があった時、炭木兵長は、
11時27分であったことを確認しました。
辺りを見回していると、指揮官から、
「炭木兵長、漏水が発生している。」
という声がしました。

 魚雷の衝撃で、隔壁が緩んだようで、炭木兵長は、
他の罐員と一緒に、梁と隔壁の隙間に、ボロ布を
麻ひもを押し込み、木製のくさびとハンマーで
さらに押し込んで、応急修理をしました。

 武蔵は、内側の隔壁にバジル(防水区画)があるので、
内側に水が漏れていると言うことは、魚雷でバジルに
水が入ったことを意味します。罐員は、ボイラーの裏側も
水漏れしていないか心配になりました。

 しかし、ボイラーの裏側に行くには、ボイラーの熱気で、
気温が70度になっている部屋に入り、ボイラーの下をくぐ
らなければ行けませんでした。指揮官も、調べに言って
こいとは、命令しにくい場所でした。

 これに対し、役目がない予備の作業員の遠藤兵曹が
自ら志願してきたので、指揮官も行ってくるように命じ
ました。遠藤兵曹は、ボイラーの底にこすりつけるように
して下をくぐり抜け、裏側に行きました。

 焦眉の急(眉を焼くほどの緊急事態)という言葉が
ありますが、ここでは額と目玉が、熱くなりました。

(追記)
 炭木兵長のような罐員の服装は、上下続きの白の
煙火服を着用し、胸には、所属と階級と血液型が、
墨で書かれた白い布をつけていました。

 腰には、止血桿(しけつかん:10cmクライン木製の棒)と、
細引(ほそびき:ナイロンロープ)をつけていました。

 止血桿は、負傷したとき、局部の心臓に近い部分を、
細引で縛り、その結び目をきつく締め上げるために使う
道具でした。

 軍艦は怪我をすることは前提なので、血液型を記して
おいたり、止血の道具を持ち歩くのは、当然だったようです。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘

戦艦武蔵 武蔵前進全速 [戦艦武蔵]

 武蔵は、敵機来襲に備え、罐室はボイラーの
圧力をあげるのに懸命でした。艦橋から、前進
全速の命令がきたので、炭木兵長は、これを
罐室指揮官に伝えました。

 これを受けて、バーナーや分配弁の調子を確認し、
問題ないことを確認していました。全て問題ないことを
確認した指揮官は、分配弁を開くよう命じました。

 開くと、高温に熱せられた重油が、バーナーの
ノズルから螺旋状に噴射され、ボイラーの火焔に
吸い込まれていきました。

 艦橋から、「敵機50機、両舷から来襲、対空戦闘開始。」と
いう放送がありました。罐室内では、「いよいよ来たか」という
思いでした。

 その後、艦全体を揺るがすような、大きな衝撃が
きました。爆弾が命中したのかと思いましたが、
主砲の斉射でした。武蔵の主砲は、斉射すると
露天甲板にいる乗員がなぎ倒されるほど、
爆風は強いものでした。

 雷撃を避けるため、左右に転舵を繰り返し、その度に
罐室も左右に傾きました。その動揺を抑えながら、
罐室内の乗員は、ボイラーの内部や、計器を
見守っていました。

 機械室のタービンに蒸気を送ったため低下していた
第十一罐室の蒸気圧が、正常に戻ったので、
炭木兵長は、そのことを罐室指令所に
報告しました。

 その直後、巨大な音響と共に大気が揺ぎ、体が
叩きつけられました。まぶたの内部が真っ赤に
灼け、頭も痛くなりました。炭木兵長は、隔壁の
信号機にぶつけたようで、出血していました。

 指揮官を見ると、立っていたため、脚元を払われ、
テーブル上にはいつくばって、体を支えていました。
指揮官は、武蔵の前は、巡洋艦に乗り込み、撃沈
されたため、海を泳いだ経験がありました。

 そのため、近くに魚雷が命中したと瞬時に推測
しました。直後、艦橋から、第十一罐室と第七罐室の
中間に、魚雷命中の連絡があり、指揮官の推測が
正しいことが分かりました。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘

戦艦武蔵 対空戦闘用意 [戦艦武蔵]

 この話は、銀座で小料理屋を営んでいる元海軍
機関兵曹(終戦時)炭木正蔵氏の回想という形を
とっています。炭木氏は、武蔵が撃沈したとき、
武蔵の機関兵長をしていました。

 炭木兵長は、「武蔵は、撃沈したのではなく、
キングストン弁を開いて自沈した」と話して
います。

 しかも、そのキングストン弁を開いたのは、炭木兵長
自身だったので、武蔵を沈めたのは自分ではないか
という自責の念を持っていました。

 1944年10月24日午前10時、炭木兵長は、
武蔵の右舷中央部水線下の第十一罐室操縦席に
いました。午前8時に、「総員配置に付け」のラッパが
鳴ってから、ここの配置につき、2時間が経過していました。

 戦闘艦橋からの、「対空戦闘用意」のブザーが、罐室に
響き渡り、罐室に勤務している10数名の乗員は、緊張の
度合いを高めました。そして、第六罐室にある罐指揮所から、
「右舷前方より、敵攻撃機編隊接近中」と敵情が通報されました。

 炭木兵長は、武蔵は不沈艦であり、武蔵が沈むときは
帝国海軍の終焉を意味すると考えていました。炭木兵長は、
電話機や拡声器、信号機などで艦橋から送られてくる指令や
情報を、第十一罐室の司令官に中継する役割を受け持っていました。

 武蔵と航空部隊との決戦が開始されました。

(追記)
 武蔵は、4本のスクリューがあり、1本につき、3室の罐室が
あったので、全部で12罐室あることになります。そして、
奇数が右舷、偶数が左舷という海軍の慣例にしたがって
番号がふられていました。

 右舷中央寄りのスクリューが、第一スクリューで、一、五、九罐室が
ありました。第一スクリューの外側に第三スクリューがあり、三、七、
十一罐室があり、炭木兵長は第十一罐室にいたことになります。

 罐室は、バジル(防水区画)があり、その外側が装甲板を隔てて
海水に接していました。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘

戦艦武蔵 諸元 [戦艦武蔵]

 「航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘」の著書には、
他に2編ほど掲載されており、その一つが、
戦艦武蔵の話です。そちらも紹介して
いきます。

 戦艦武蔵の諸元をWikipediaから抜粋してみます。

起工(工事を始めた時期):1938年3月29日
進水(始めて水に触れさせた時期):1940年11月1日
就役(任務に就いた時期):1942年8月5日
最期 1944年10月24日沈没
(2015年に、シブヤン海の海底で発見され話題になりました。)

排水量:基準65,000トン
全長:263.0m
全幅:38.9m
吃水:10.4m
機関:ロ号艦本式缶12基 艦本式タービン4基4軸
150,000馬力
最大速力:27.46ノット
航続距離:16ノットで7,200海里
兵員:3,300名
兵装:46cm3連装砲3基9門
60口径15.5cm3連装2基6門
12.7mm連装高角砲6基12門
25mm3連装機銃35基105門
25mm単装機銃25基25門
13mm連装機銃2基4門
12cm28連装噴進砲2基56門
装甲
舷側410mm 甲板200mm 主砲600mm
搭載機
水上機7機 (カタパルト2基)

 この話は、利根と筑摩で紹介しました武蔵の最期の
話です。この時、武蔵に乗艦していた一人の兵曹の
話となっています。

(追記)
 戦艦武蔵は、日本海軍が建造した最後の戦艦で、
艦これにも登録されています。

 世界最大の戦艦で、連合艦隊旗艦も努めています。
しかしながら、これだけの性能を活かした活躍はほぼ
ありませんでした。

 これは、武蔵の速力が機動部隊についていけないと
いうことと、戦艦を戦略的に利用することを考えなかった
ことによるものです。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘
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