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駆逐艦磯風 青い目の見た磯風 [駆逐艦磯風]

 この本の最後に、最後の磯風の奮戦を、アメリカ側から
見たものである、「電撃隊の葬送ラッパ」の記述を紹介
しています。この本の翻訳は、元磯風の航海士だった
方が担当しているものです。

 空母ヨークタウンから飛び立った攻撃隊は、他の隊から
遅れて大和率いる艦隊の到着しました。この時、大和は
既に、爆弾2発と魚雷1発を食っており、20ノットで
走っていました。

 ヨークタウンの攻撃隊は、大和に随伴している巡洋艦の
矢矧を仕留めることにしました。矢矧はこの時、すでに
機関は停止しており、艦尾が破損している上に、左舷
中央から広大な油面が広がっていました。

 矢矧を沈めると、この辺りを駆ける一隻の船がいました。
これが磯風でした。磯風から上がる火力は、いささかも
衰えず、つけいるすきを与えませんでした。

 矢矧を攻撃し損ねて魚雷を放てなかった機体が、攻撃
目標を磯風にしました。磯風からは、対空砲火が吹き
上げていました。

 魚雷を放つと、磯風は、魚雷の方向に転舵し、回避
しました。1本は外れたが、2本目は後部に命中しま
した。

 磯風はそれでもひるまず対空砲火を浴びせ、攻撃機を
一機撃墜しています。これを見た他の攻撃機は、仇打ちと
ばかりに、矢矧の沈んだ海域に浮かんでいた無抵抗の
兵士に銃撃を浴びせました。

 この光景を見た別の攻撃機のパイロットは、この野蛮な
行為に胸が悪くなり、「この攻撃には入りたくない」と
叫んだとしており、この書籍は終わっています。

(追記)
 井上氏は、あとがきで、靖子さんはどうなったのかと
いう読者からの質問に答える形で返答しています。呉は、
大和の特攻の後、大規模の空襲を受け、廃墟となって
いました。

 井上氏は、安否を気遣って訪ね歩いたようですが、
杳として行方は分からなかったとしています。


 最後に、戦争体験者が、退廃した世相に融合し、
何もいわずに堕落していくのを見ると、犠牲の
上に成り立った平和が、この程度のものかと
唖然となるとしています。

 戦争の悲惨さを知っているものでなければ、戦争を
止めることはできない。この本が、国民の意識の
胎動になればと綴りましたとして終わっています。


紹介書籍:駆逐艦磯風と二人の特年兵

駆逐艦磯風 佐世保に到着 [駆逐艦磯風]

 1945年4月8日午前10時に、内地の山が霞の中に、
浮かんできました。佐世保に無事入港したものの、井上氏
には喜びはありませんでした。しかも、この日は佐世保
方面に朝から空襲がありました。

 佐世保に着いた井上氏らは、港内にある孤島の
黄瀬の隔離病院に幽閉されることになりました。
この時、艦長はもとより士官に至るまで、今後の
方針を示すでもなく、労をねぎらうでもなく、全く
姿を見せませんでした。

 井上氏は、官僚的な体質を如実にしていると非難して
いますが、これはまだいい方でした。同じく雪風に救助
された大和の副長が、「大きな戦闘をして、ほっとした
顔をしているが、あれくらいの働きがなんだ。本当の
闘いはこれからだ。」という訓示をしていました。

 井上氏は、これが勝算のない戦いに駆り出しておき、
血みどろで帰還してきた兵士に対して言う言葉かとして
います。

 このような無意味な訓示を垂れるくらいなら、サッサと
いなくなった磯風士官の方がましだとしています。

 夕方になって、酒が配られ、ここで、助かったという
偽りなしの喜びと、希望の灯火が消えたという思いが
渾然となり、部屋の中から慟哭が起きました。

(追記)
 大和副長の訓示は、初戦負け犬の遠吠えであり、
打ちひしがれた兵士に対してハッパをかけたところで
どうしようもありませんでした。「よくやった。ご苦労で
あった。」の言葉くらいなかったのかといえます。

 井上氏は、この特攻で死に直面し、向かい合い、
恐怖と戦慄の中に置かれたからこそ、生命の尊さが
分かり、戦争の虚しさを心に抱くとしています。


紹介書籍:駆逐艦磯風と二人の特年兵

駆逐艦磯風処分 [駆逐艦磯風]

 第二水雷戦隊命令通り、磯風の処分を行いました。
最初は、一番砲塔を誘爆させようとしたものの、弾は
当たっているにもかかわらず爆発は起きませんでした。
(雪風の記録では、当たっていないとしています)。

 次いで魚雷を使用しましたが、船底をすり抜け、失敗
しています。最後は、磯風の魚雷を誘爆させるべく砲撃
をしています。今度は見事に命中し、強烈な閃光が目を
射ました。

 この時、磯風の甲板を、手を上げて走っている兵士が
いました。失神していた兵士を死者と勘違いして置き去り
にしてしまったとようでした。この兵士は、磯風が爆発
した時、万歳した格好で、空中を飛んでいました。

 1945年4月7日午後10時30分、歴戦の武勲艦
磯風は、あえなく海底に消えていきました。この戦闘
での磯風の犠牲者は、戦死者20名、戦傷者54名
でした。

 磯風が沈んだという衝撃が強すぎて、疲れた体は身も心も
乾き、悲憤の涙すら出てきませんでした。呆然と立ち尽くす
磯風の乗員を乗せた雪風は、佐世保を目指して進んでいき
ました。

(追記)
 磯風に乗艦していた第十七駆逐隊司令は、当初、磯風を
捨てるのは忍びなく、雪風に曳航してもらうことを考えて
いました。しかし、曳航していては、夜明けまでに佐世保に
到着することはできなかったため、断念しています。

 以前雪風で紹介しました、雪風の田口航海長は、磯風の
処分ほどつらい思いをしたことはなかったと回想しており、
磯風が爆発した時は、距離が近かったため、破片が雪風の
甲板上まで飛んできて、思わず顔をそむて、胸は悲痛の
思いでいっぱいだったとしています。


紹介書籍:駆逐艦磯風と二人の特年兵

駆逐艦磯風から退艦 [駆逐艦磯風]

 磯風は、洋上を漂流していました。薄暮が迫る中、
1隻の船が近づいてきました。しかし、磯風では
喚声はおろか手を上げる者もおらず、冷めた目で
見ていました。

 井上氏は、近づいてくるのは初霜で、磯風が被弾
するきっかけを作った司令官が、助けに来ていたと
考えていました。磯風の乗員が冷めた目で見ていた
のは、これが理由でした。

 ところが、近づいてきたのは、僚艦の雪風でした。
雪風が磯風に接舷し、渡板をかけてくれました。
負傷者を次々に雪風に移乗させました。この間、
磯風の乗員は一言も発しませんでした。

 井上氏は、崩壊した家から里子に出される気持ち
だったとしています。

 磯風の乗員は、苦悶を眉ににじませ、目は充血していま
した。井上氏は、雪風を見て、矢矧への接舷命令がなければ、
雪風同様今も健在で、任務を全うできたのではないかという
悔しい気持ちが出てきました。

 収容を終えると、雪風は静かに磯風から離れていきました。
既に、第二水雷戦隊から磯風の処分の命令が来ており、
雪風は実行に移しています。

(追記)
 井上氏は、救助命令は第二水雷戦隊司令が出したものかと
していますが、実際乗員救助の命令をしたのは、冬月と涼月の
司令官でした。

 第二水雷戦隊司令官は、矢矧が沈んでから夕刻まで洋上に
いたため指揮をとれなかったので、代理として指揮をして
います。

 雪風は、救助命令を受けた時、大和の乗員救助を行っており、
磯風に来たのは、大和の救助を終えてから来ていることになり
ます。

(もっとも、雪風の寺内艦長は、当初、救助命令には反対して
おり、単艦でも沖縄に向かうとしていました。)


紹介書籍:駆逐艦磯風と二人の特年兵

駆逐艦磯風 艦復元のために [駆逐艦磯風]

 井上氏が艦橋に着いた頃、艦はさらに右に大きく傾きました。
井上氏は艦を救うことにし、真っ暗な居住区に降りて行きま
した。降りてみると、重量物を運んで、艦を復元させようと
いう作業が行われていました。

 井上氏は、機銃弾を引き揚げ、左舷に回しました。次に、
艦で最も重量のある武装である魚雷を、海に投棄する
作業に入りました。

 魚雷を操作する発電機や空気圧縮機などは停止しており、
すべて人力で行うしかありませんでした。

 足場が悪い中で、予備の魚雷を残し、全て投棄したものの、
艦は傾いたままでした。この時、磯風はすべての隔壁を閉じて
いましたが、いつ水圧で、隔壁が破れるか分からない状態でした。

 このような状況でも、乗員は、何とか磯風を救おうという
気概にあふれていました。

 こんな中、艦長付の甲板長の少尉が、自ら調査すると言い、
海に飛び込んで、調査を行いました。結果、「破穴が大きく、
普通の防水では効果がない」というものでした。

 この後、3人の兵(二人は命令で飛び込んでいますが、
一人は、井上氏の同期の機銃兵を支えていた方で、すでに
機銃についていたとき、海の水を大量にかぶっていたので、
濡れたついでと飛び込んでいます。)が海に飛び込み、
毛布でふさぐという作業に当たりました。

(追記)
 この作業はかなり危険なものでした。艦の隔壁が破れれれば、
大量の海水が流れ込むことになるので、この3人は、吸い込ま
れることになります。プールの水を抜く排水口に体を持っていく
ようだとしています。

 特攻を命じられてここまで来ているのに、さらに特攻をしようと
しているようなもので、井上氏は、この3人を、海の三勇士と称号
しています。


紹介書籍:駆逐艦磯風と二人の特年兵

駆逐艦磯風 軍医を呼びに [駆逐艦磯風]

 井上氏は、同期の特年兵を見ると、顔色は死の色をして
いました。支えていた機銃員と変わり、抱きかかえて、
名前を呼びかけながら、小さく揺さぶってみました。

 この時は、まだ息はありましたが、胸部から血を噴き
出しており、背中まで貫通する重傷でした。井上氏は、
医務室に行き、軍医を呼んでくることにしました。

 後部機関室に行くと、海水と重油でベタベタになった兵士が、
手探りで上がってきていました。「電機は全滅です」「当直室の
扉に水圧がかかり、あけるのに難儀したらしい。だめかもしれ
ない」といった会話が聞こえてきました。

 井上氏は、誰かが滑り止めに撒いた砂の上を走って、医務室に
急ぎました。足元には、死傷者がゴロゴロしており、井上氏が
躓いた時、「痛い」という悲鳴があがりました。負傷者の一人に、
井上氏の足をつかんで離さないという行動をした人がいました。
まさに地獄の様相でした。

 井上氏は、這うようにして艦橋にたどりつきました。すると、
中から、井上氏が呼びに来た相手である軍医が、這い出して
きました。

 軍医も爆風にやられたようで、顔が焼けただれ、表皮は
きれいにむけていました。この軍医の姿を見て、同年兵の
応急処置を頼むのは無理とあきらめました。

(追記)
 井上氏が艦橋に来るまでに出会った負傷兵は、腕が
ちぎれて、赤い肉の部分が見えているといった人達で、
井上氏は、酸鼻をきわめた光景で、ふた目と見られない
ものと評しています。

 同年兵を助けたいという思いはあったものの、砂を
まかなければ歩けないくらい、甲板が血糊でベタベタに
なるほどの負傷者の多さだったため、軍医を呼ぶのは
ためらったということでした。


紹介書籍:駆逐艦磯風と二人の特年兵

駆逐艦磯風 特攻による惨状 [駆逐艦磯風]

 後部舵取機室から出てきた井上氏は、外の様子を見て、
思わず声を飲みました。大和は、黒煙が数千丈にも達し、
吹き出る煙で辺りが暗くなっていました。赤い炎が怨念の
炎となって燃えさかっていました。

 磯風から500mほど離れたところに、矢矧がおり、
真っ赤な炎に包まれて、断続的に爆発していました。
後部は海中に没しており、二つに折れている格好でした。
周囲にいた駆逐艦も、黒煙を上げ、断末魔の叫びを上げて
いるようでした。

 敵機は、爆弾投下で身軽になっており、機銃の雨を
降らせていました。磯風も、猛襲を受け、上甲板の
機銃員や応急員らが、次々と倒れていきました。

 磯風の傾斜がさらに激しくなり、井上氏がいた後部
舵取機室からは、大ガマガエルがあくびをしたような
音を立てて、空気が出てきていました。水没したため、
室内の空気が漏れている音でした。

 井上氏は、立っていられないほど傾いていたものの、
何とか進んで、機銃員がいるところまで進みました。
機銃員の兵長が、ものにつかまり呆然としている
もう一人の兵士を支えていました。

 井上氏の胸が騒ぎました。支えられていた兵士は、
井上氏と同期の特年兵でした。

(追記)
 支えていた機銃員の話として、「機銃員は、敵機の弾丸に
身をさらしているおで、敵の掃射を受けると、惨めなことに
なる。この時も、2番雷管のあたりが騒がしくなっているので、
誰かやられたという予感がした」と記述があります。

 実際、艦が無事の場合、死傷者となるのは機銃員が
圧倒的に多いように感じます。


紹介書籍:駆逐艦磯風と二人の特年兵

駆逐艦磯風 人力操舵 [駆逐艦磯風]

 至近弾を受け、舵がきかなくなった磯風に、艦橋から
矢継ぎ早に伝令が来ました。応援に駆け付けた航海士が、
井上氏に、伝令が伝えてきたことを、復唱していました。

 艦橋からの命令は、人力操舵に舵を切り替えよという
ものでした。井上氏は、新人と、応急員として駆けつけて
くれた磯風乗員らとともに、人力操作用のポンプを押し
続けました。

 井上氏は、これぞ海軍魂と思い、死んでも「やめ」の命令が
あるまで、手を休めるわけにはいかないと感じていました。
この作業は、相当にきつい作業で、井上氏は、油汗は出つく
して、失神寸前になっていました。

 しかし、機関も停止している時に、人力で2500tもある船を
動かすのは無茶な話でした。右への傾斜が激しくなり、浸水して
きたこともあり、「上がって来い」という命令が下りました。

 さらに艦が傾いていき、井上氏は、まっすぐ立っていられない
ほど姿勢がくずれました。井上氏をはじめとした応急員は、
我先に、甲板を目指しました。

 この時は、気力もすっかり失せ、どの顔も死人のように蒼白に
なっていました。天蓋から、海水が瀑布のように流れてきて、
全員濡れねずみとなっていました。

(追記)
 井上氏は、この時、磯風の致命傷となった至近弾で床に
たたきつけられた時、負傷者のようないでたちでした。
打撲による青あざができており、節々は痛みが走って
いました。

 井上氏は、この戦闘で、これだけの怪我をしていましたが、
井上氏は、まだましな方だったといえます。磯風の状況は、
井上氏のケガが擦り傷と思えるほど、悲惨なものとなって
いました。


紹介書籍:駆逐艦磯風と二人の特年兵

駆逐艦磯風 磯風至近弾を受ける [駆逐艦磯風]

 上空が静かになり、敵の波状攻撃も一応おさまったと
判断し、再度矢矧への横づけをおこないました。舷側に
舫策した瞬間、敵の急降下爆撃が襲いかかってきました。
艦長から、「急げ」という烈声が飛んできました。

 磯風は大きく右に傾き、回避に移りました。しかし
速力が上がらない上に、取舵一杯にしても舵の効果が
十分でなく、爆弾回避には致命的でした。爆弾は、
右舷側後部への至近弾となりました。

 ものすごい爆発音と衝撃で、井上氏は、毬のように
吹き飛びました。しばらく頭の中が真っ黒になり、
赤い閃光がピカピカと走りました。この時は、
井上氏は、「ついにやられた。死んだのだ」と
思っていました。

 艦内の電灯はボーっと人魂のように消えて、舵取機の
主軸は止まり、室内は真っ黒になりました。井上氏は、
死は苦しい煉獄だと聞いていましたが、案外楽なもの
だと感じていました。こう感じたのは一瞬で、すぐに
現実に立ち返りました。

 状況を確認すると、愕然となりました。磯風は、シリンダが
動かなくなっており、一方向にぐるぐる回りながら走っていま
した。すぐに、舵が故障していると分かり、新人と一緒に修復
に当たりました。

(追記)
 磯風が被弾するきっかけを作ったといえる第二水雷戦隊
司令は、矢矧が沈没後、初霜により救助されていました。

 この司令官は、この後、前田艦長が、磯風を近くの陸に
陸揚げして、砲台として使おうという提案に対し、潜水艦が
出るという理由で却下しています。

 しかし、航空機による爆撃攻撃を行っている海域の海面下に
潜水艦が潜むことはまずあり得ないといえます。実際、この戦闘に
参加した、涼月は、先端を破損したため、後進6ノットしか
出ませんでしたが、無事に佐世保まで、帰還しています。


紹介書籍:駆逐艦磯風と二人の特年兵

駆逐艦磯風 無謀なる命令 [駆逐艦磯風]

 1945年4月7日午後2時、大和の速力は7ノット
ほどとなり、回避は絶望的となりました。砲は、頭を
垂れたように沈黙しており、かつての勇姿は、見る影
もなくなっていました。

 散発的に、機銃が火を吹いていましたが、かえって
無念さをさらけ出していました。

 先頭は走る矢矧も、息付く暇もない攻撃にさらされ、
浮力を失いつつありました。この時、矢矧から、磯風に
対して、とんでもない命令が下されました。矢矧に
近づけということでした。

 上空には敵機が乱舞しており、戦闘の最中でしたので、
これはかなり危険な命令でした。しかし、第二水雷戦隊
司令からの命令ということで、ただちに行動に移りました。

 回避できる範囲まで接近すると、矢矧から、横付けせよの
命令が来ました。第二水雷隊司令が移乗するということでした。

 この命令には、前田艦長と、同乗していた駆逐艦司令は、
「この激戦の中で、横付けせよとはなにごとか。磯風に
乗りたければ、内火艇か泳いで来い」と怒りをあらわに
しました。

 磯風は、上官命令ということで、横づけを試みましたが、
敵機の攻撃と、矢矧がいつ爆発するかも分からないという
ことで、断念しました。

(追記)
 井上氏は、今回の特攻作戦は、「救助艦は来ない。1艦に
なっても突入せよ。」という命令を受けており、いまさら、
第二水雷戦隊司令が移動したところで何になるのかとして
います。

 スリガオ海峡で、西村艦隊を指揮した西村司令が、戦艦山城
から、「われをかえりみず突撃せよ。」と命じて、最期をとげた
事と比較しても、井上氏の主張は妥当といえます。

 このような、個別の戦闘の時、司令官はあまり役には立たず、
艦長の方が、奮戦しているケースが多いように感じます。


紹介書籍:駆逐艦磯風と二人の特年兵
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