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駆逐艦神風 羽黒撃沈 [駆逐艦神風]

 神風は、左から敵の機銃弾を、
右から羽黒の機銃弾を浴び、
「我、神風」の発光信号を
羽黒に送りながら、照明弾が
照らす戦場を走り回って
いました。

 照明弾の下に、同航、反航する艦などが
白々と浮き出し、全速で交錯する敵駆逐艦の
上甲板には、人影が見えていました。神風は、
敵駆逐艦の包囲の真っただ中にいました。

 羽黒は、半分頭を突っ込んだ状態で、主砲が
火をふいていました。この時、艦橋から、電探の
始動を告げられました。この時も機器の調子は
最高でした。

 しかし、この時は、敵艦を探知するために、
起動したわけではありませんでした。部下から、
「艦首方向固定目標。陸地。」という報告が
来ました。近くにあるペナン港を探すための
ものでした。

 このことを艦橋に報告すると、艦橋から、
「その目標を離すな。」の声がありました。
神風は、羽黒とすれ違い、ペナンを目指して
航行していきました。

 すれ違いざま、羽黒から「神風」と呼ぶ声が
聞こえました。雨ノ宮氏は、戦後になっても、
その声を忘れられないとしています。神風は
この時30ノット以上の速度で航行していました。

 遠ざかっていく羽黒を見ると、火が赤々と
見えました。羽黒は、この後、撃沈しています。
ペナンに入港した神風は、甲板士官の指揮の
もと、運用科の兵員が滑車を卸おろし、戦死者の
引き上げ作業を行いました。

 薄明かりの中、屍臭のただよう昇降口のあたりを、
雨ノ宮氏は、暗号長と一緒に屍一体一体を、
あらためていきました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 羽黒被弾 [駆逐艦神風]

 総員配置の命令直後、敵の砲弾が次々と
飛来し、体に”ビーン”という感じの衝撃を
受けました。船体も振動している
ようでした。

 「総員配置につけ」の命令で、後部
居住区から兵員がどっと集まった
ラッタルのど真ん中に、敵の
ポムポム砲かららしい砲弾が
命中炸裂したので、瞬時に
27名もの死者を出しました。

 後部居住区にいた電探員2名も壮烈な
戦死をとげました。雨ノ宮氏は、ちょうど
旗甲板に出ており、大煙突から探照灯の
後ろあたりに放物線がオレンジ色のゆるい
感じで烹炊室の向こうに、消えていくのを
見ていました。

 続いて、羽黒の二番砲塔下左舷に、
被弾雷して火災を起こし、速力が落ち
ました。

 敵艦隊は、最初レーダー砲撃をして
いまいたが、羽黒が大火災を起こしたので、
照明弾を打ち上げ、斉射と雷撃をして
いました。

 羽黒は、15分ほど大火災となり、行き足が
停止しました。弾火薬庫に火が入ったようで、
艦首が海面に突っ込んだ形になりました。
その間、神風は、30ノットで走り回り、
敵と交戦しました。

 神風は魚雷発射管を外しているため、
主砲による攻撃しかできませんでした。
水雷長の鈴木中尉は、敵が魚雷攻撃して
くるのを、「魚雷があったら。」と
思わずにはいられなかったようでした。

 この海戦でも、レーダー砲撃が、相当正確で、
敵側の先制勝利になっていました。神風は、
全速で避雷運動を続けながら、羽黒の艦尾を
回って、煙幕を展開しつつ走り回りました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 極超短波用逆探 [駆逐艦神風]

 神風改造時に、電探そのものも増設が
なされました。

 それは、アルミ製のナベブタ式アンテナをもつ、
極超短波用逆探でした。艦橋上のキャンバス
天蓋上に、1名の電探兵が座って、手動で
旋回させる簡易型のものですが、敵の
電波を小気味よくとらえました。


 1945年5月15日、「敵機動部隊(巡洋艦2隻、
駆逐艦2隻)が、サバン島南東に向け、速力16ノット。」
の報告が届きました。巡洋艦羽黒と神風は、
迎撃のために、直ちに18ノットで、これに
迫りました。

 合戦準備で、全員手拭止血棒を腰にぶらさげ、
艦対艦の決戦と期するところあって、いっそう
緊迫した空気に包まれました。甲板の血糊に
よる滑り止めの砂なども十分用意されました。

 神風水雷長の鈴木中尉が、この当時のことを
記述しています。

 羽黒と、神風は、18ノットで敵艦隊のいる
海域へと急ぎました。しかし、敵はすでに
反転した後でした。そこで、羽黒と神風は
待機することにしました。

 海面は比較的穏やかで、時折スコールが
あり、視界は8000mでした。潜水艦に備える
ために之字運動を繰り返し、電探は使わず
逆探のみ使用して、怪しい電波とらえました。

 5月16日2時すぎ、羽黒が突然面舵を
とって増速し、すぐに取舵をとりました。
異常を感じて海面に目を向けると、羽黒に
向けて発射され、外された魚雷が、神風に
突進していました。

 神風も、舷側スレスレでうまくかわしました。
その後、「総員配置」の命令が下りました。
しかし、この命令は仇となってしまいました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 電探不調時の調整 [駆逐艦神風]

 神風の電探を使い慣れてくると、感度は
常に良好で、敵の潜望鏡はもちろん、本来
感知しないはずの、島影にあったジャンクと
なっている木造船まで敏感に像を現しました。

 こうしてジャンクを何度もキャッチし報告すると、
今のはジャンクだという返答が艦橋から来ました。
ジャンク船といえども、臨検すれば、無線機を
備えたスパイ船だった可能性はありました。

 電探が不調な時は、接触不良という時が最も多く、
これに一番泣かされました。平野上等水兵は、
この接触不良の調整がうまく、「おい、頼むぜ。
またっく。」と、笑いながら、機械の横腹を
平手で軽く叩いていました。

 叩いて調整するという方法を、平野上等水兵は、
通信学校の教官から教わったということですが、
この瞬間は、映像が動いて、雑音の状態も最高調
となり、感度最良の電波干渉度を見せたりしました。

 雑音は、本来邪魔なものですが、この当時の電探は、
ブラウン管に雑音がたくさん出ると、状態が良いことを
示していました。それは、この雑音は、接触や半田付け部
から出ているので、接触が良ければ出てくるということでした。

 この頃、神風は大規模な改造がなされました。それは、
魚雷発射管を外して空いた場所に、対空機銃を取り付ける
というもので、これにより歩くスペースもろくになくなり、
艦外から見ると、ハリネズミのようになりました。

 この時に、電探員も数名増えましたが、メインは
機銃要員なので、対空戦当時は、機銃係を命じられ
ました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 電探員の戦争 [駆逐艦神風]

 電探は、故障が多いといえますが、
原因は大きく以下の3つでした。

 1.真空管の不良
 2.接触不良
 3.機器(コンデンサ、抵抗など)の不良
です。

 もともと脆弱でしたが、戦闘で砲撃や
銃撃を行ったり、爆弾や魚雷の投下の
震動で、予期しない故障を惹起することが
ありました。

 対空戦闘の際は、高角砲弾を装填して
撃ちます。特に艦橋直後の二番主砲を前方に
放つと、砲弾が電探室をかすめ、爆風の示す
威力はものすごいものがありました。

 整流器の真空管は、点灯していれば、
たちまち管球の中で沸騰状態となり、
燃え上がりました。

 対空用の連装機銃や、単装機銃も対空射撃を
一斉に始めると、艦全体の空気が、大掃除の際の
畳を叩くように、バタバタをと鳴りはためき、
爆風は相当な衝撃でした。

 電探を、大湊で据え付けた時、木台に
緩衝ゴムを念入りに当てて、締め付け
ましたが、各部がたちまちガタガタに
緩みました。

 横柄な書記を納得させて、真空管の予備を
十分に手持ちしていたことが、その後、
大いに役立ちました。

 電探員は、戦闘時、半裸で蒸し上がりながら、
小さな部屋一杯にテスターやドライバー、
半田ごてを広げて、半田付けしたり、
ビスを外したリ、接触部をサンド
ペーパーで磨いたりの、「分解⇒組立戦争」を
していました。

 しかも、艦が速力を増すと、電波発射器が
強風の抵抗でたちまち旋回不能となり、
導波管が何度も破断しました。

 しまいには手動で動かす事になりましたが、
なぜか、大事な場面では立派に作動し、
神風を助けてくれました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 感電の危機 [駆逐艦神風]

 日々、危機感は、惻々と身にせまって
いましたが、赤道近い南の海は、凪の時は
若草色に輝き、湖のなごやかさで、一体
どこに戦争があるのか、疑わしいくらい
平和に見えました。

 しかし、突然、敵機があらわれ、白波を
蹴立てて、雷跡がせまってきました。

 「総員で見張りをせよ」という通達が
出ていましたが、乗員は非番であっても
甲板でゴロゴロしながら、見張りを
かねていました。全員が、緊迫感に
ヒリヒリしていました。

 しかし、水平線や、空、雪は、一日の内
一刻も同じ姿をしておらず、千変万化
していたので、退屈はしませんでした。

 ことに、マレー半島に接岸する航行の際は、
陸岸の景色、島の形、漁構、ジャンクなど、
見ていて楽しいと感じていました。

 暑いので、居住区にはおらず、甲板で、
雑誌を読んだり、昼寝したり、雑談を
しながら、絶えず海の上に視線を
漂わせていました。夜も同様に
甲板に寝ました。

 こうした中、雨ノ宮氏らは、電探の外板を
外して機器をむき出しにしていました。日中は
もちろん夜でも、灯火管制で入口に毛布を厚く
垂らした室内は高温になりました。しかも、
真空管は内部温度を上昇させました。

 外板を外すのは当然の措置でしたが、
兵器の説明に、「このコンデンサが」と
鉛筆を近づけ、数万ボルトの電圧が、
鉛筆の芯を通して電撃を与える事が
ありました。

 また、電探員も上半身は裸同然でしたので、
裸の肘を、機器に突っ込んで感電する危険も
ありました。電探員は、感電の危険に晒され
ながら、任務をこなしていたと言えます。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 艦長春日均中佐 [駆逐艦神風]

 出撃のたびにこれで最後という覚悟を
持つと同時に、「今度もひょっとしたら、
うまくやり通せるかもしれない。今度は
必ず生還してみせるぞ。」という不思議な
自信のようなものも、生まれてきました。

 同時に、「神風は絶対にやられない、
やられるはずがない。」根拠はなくても、
乗員の胸中には、そう思わせるものが
ありました。

 それを支えていたのは、神風の艦長
春日均中佐の絶妙な操艦術と、戦闘
熟練度、人間的魅力でした。

 それに、士官たちの統率力、下士官兵の
団結力、それらが乗員全員の精神活動の
能力を、極限いっぱいまで発揮させ、
物理的に老朽した艦そのものも、
奮い立たせていました。

 神風という艦名には、特攻隊のイメージが
オーバーラップしましたが、突っ込んでいく
果敢さの裏側には、いくばくかの神がかり的な
信念もありました。

 春日艦長は、いつも艦内帽のあご紐を、
頭の上に渡らせて、ときにステテコ姿のまま、
重い革のスリッパをバタバタ音を立てて、
艦橋のラッタルを上り下りしていました。

 たまに電探室に顔を出すと、巻き煙草を咥えて、
「火をくれ」と言われました。艦長の覗いている
右手の壁に、直流のスイッチ盤が取り付けてあり、
当直員が、手を出して、「ここでつけてください。」と
把手を下げていました。

 そこから、青い火花が飛び、艦長はそれで
タバコに火をつけていました。艦長はその事を
知っていて、壁際から顔を出していると言えます。

 海軍の兵隊は、どの配置になっても、
必ずどこでライターに相当するものがあるか、
考え出していました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 独自の行動 [駆逐艦神風]

 神風は、リンガ泊地で、重巡洋艦足柄、
羽黒とともに、訓練をして、その合間に、
走り使い役として南十字星の下にきて、
寧日働き詰めでした。

 5月になり、神風は、サイゴンにいき、
その帰り道は、ジャカルタ、アンダマン諸島と、
物資輸送船の護衛任務に、忙しく明け暮れました。

 美しい街並みのサイゴンも、何度も行くうちに、
爆撃の黒煙が空をおおうような変わり方を見せ、
すでに完全に内地との交通は壮絶し、一方、
沖縄を掌中にした連合国軍は、孤立化させた
南西方面にまで、余力をまわしてよこすまでに
なりました。

 広い南方の、あちこちに残存する陸軍と、
雑木林程度の小艦隊しかない状態で、制空権を
失い外洋に出ることもできなくなり、にわかに
活発化した戦場で、神風は、独自の行動を
よぎなくされました。

 神風は、護送する船団に組み込まれましたが、
船団と行っても、船の大きさはマチマチで、
出撃のたびに沈められるので、最初は、
大型タンカーもあったものが、回を
重ねるごとに目に見えて船は小さく
なりました。

 護る方も、古い石炭燃料を使う掃海艇との
共同作戦から、ついには神風1隻になって
しまいました。輸送船がやられても、神風
だけは生き残り、ついには、どこへ出かける
にも、護衛する神風が最も大きな船となりました。

 一艦だけ残る優秀な艦となった神風は、
B24や潜水艦から文句なしに標的とされ
ました。それでも、いつも人命救助を
あくことなく続けていました。

 そして、出撃のたびに今度こそは最後かも
しれないと覚悟しました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 破局がせまる [駆逐艦神風]

 雨ノ宮氏は、四囲の情勢と、目の前の
現実との食い違いが、納得しにくくなって
いました。

 下士官の目がとらえる狭い範囲の戦闘
経過だけで、正確な判断は難しいという
現実がありましたが、破局がせまっている
ことは感じられました。

 敵と渡り合っている第一線の兵士には、
大局を知るすべはないところへ、マイナス
情報を極端に抑え、プラス面はかなり各自の
願望をまじえてとらえていました。

 従って、兵士は、表面的にはのんきに
過ごしていました。しかし、一皮むけば、
そこには、息もつまる終末感がせまって
いて、皆、再び生きて帰れるなど、
思いもしませんでした。

 雨ノ宮氏が、海軍に招集された1943年は、
5月にアッツ島で玉砕し、6月には山本長官が
戦死、1年後のマリアナ沖海戦とレイテ沖海戦で、
航空戦力、主要艦船はほぼ壊滅していました。

 しかし、雨ノ宮氏らには、詳細は伝えられて
いませんでした。そのため、1945年3月26日、
リンガ泊地に停泊していた神風では、水泳したり、
甲板で飼育していた鶏が誤って海に落ち、
大騒ぎで拾い上げたり、スコールによる
沐浴をつかったりといった、のんびりした
日々を過ごしていました。

 しかし、アメリカ軍は、この日、沖縄に上陸し、
嘉手納沖から、本島の土を大きな靴が、ふみ
にじっていました。そして、先日夜襲訓練をした
矢矧と大和は、菊水作戦に参加して撃沈
しています。

 これらのことも、雨ノ宮氏は全く知らされて
いませんでした。しかし、知っていたとしても、
行き着くところまで行くしかなかったのでは
ないかとしています。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 官僚海軍 [駆逐艦神風]

 工廠についた雨ノ宮氏と、電信の
下田二曹は、海軍書記と称する軍属と
会いました。

 大きなプロペラが回る扇風機の下で、
二人は立たされたまま、書記は籐椅子に
もたれて、威張ったような態度を、とって
いました。

 そして、「書類に不備があり、印鑑も
足りないので、もう一度出直してもらい
たいな。」と言い放つと、後ろを向いて
しまいました。

 緊急に必要な部品だったので、都合して
もらう必要があり、二人は食い下がりましたが、
「書類を整えてから」と繰り返すのみでした。

 雨ノ宮氏は、官僚海軍、書類海軍という
風評は知らないわけではありませんでしたが、
納得のいかないものがこみ上げ、我慢が
なりませんでした。

 書記が、「今は休憩時間だ」と言い放った時、
下田二曹が、ついに爆発しました。「まだ話が
ある。こっちを向け。」と、書記に飛びついて、
胸ぐらをとりました。

 いつもはおとなしい下田二曹が爆発したので、
雨ノ宮氏も、「もっときちんとした話をしろ。」と
声を張り上げ、書記の座っていた籐椅子を
けとばしていました。

 すると、書記は、とたんに猫のように豹変
しました。このことが、余計に憤慨をさそい
ました。

 雨ノ宮氏と、下田二曹は、「ああいう奴らが
いるんだ」「ああいう奴をのさばらしている者が
いるということですよ。」と話し合っていました。

 結局、帰り道も怒りが収まりませんでした。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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