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駆逐艦神風 諸元 [駆逐艦神風]

 今回から、早潮と同じ書籍を元に、
駆逐艦神風を紹介していきます。

 最初に駆逐艦神風の諸元をWikipediaから
抜粋してみます。

神風(かみかぜ)は日本海軍の
2代目神風型駆逐艦の1番艦。
1922年(大正11年)に竣工。
 日本海軍の艦名としては1905年(明治38年)竣工の
初代神風型駆逐艦・神風に続いて2隻目。

 太平洋戦争中は北方警備、1945年以降は南西方面で
輸送や護衛に従事。ペナン沖海戦、米潜水艦ホークビル
との死闘を経て、シンガポールで無傷で終戦を迎えた。

 戦後は特別輸送艦(復員船)となったが、1946年に
静岡県沖で座礁し、1947年に解体された。

基本情報
 建造所 三菱重工業長崎造船所
 運用者 大日本帝国海軍
 艦種 駆逐艦
 級名 神風型駆逐艦(2代目)
艦歴
 発注 1918年度計画
 起工 1921年12月15日 [1]
 進水 1922年9月25日 [1]
 竣工 1922年12月28日 [1]
 除籍 1945年10月5日
 その後 1945年12月1日特別輸送艦指定
     1946年6月7日擱座
     1946年6月27日特別輸送艦指定解除

基準排水量 1,270t
全長 102.6メートル
最大幅 9.2メートル
吃水 2.9メートル
ボイラー ロ号艦本式缶4基
主機 パーソンズ式オールギアードタービン2基2軸 38,500 SHP
最大速力 37.3ノット
航続距離 14ノット/3,600カイリ
乗員 154名
兵装
新造時
 45口径三年式12cm砲×4基4門
 6.5mm単装機銃×2基
 53センチ魚雷連装発射管×3基6門
 爆雷投下軌条×2基
最終時
 45口径三年式12cm砲×3基3門
 25mm連装機銃×4基8門
 25mm単装機銃×2基
 40mm連装機銃
 53センチ魚雷連装発射管×2基4門
 22号対水上電探

(追記)
 著者の雨ノ宮氏は、駆逐艦神風は、
第二次世界大戦を生き抜き、
アメリカ潜水艦の絶賛まで得た
名艦と言える存在としています。

 「深く静かに潜航せよ」という映画に
なっており、活躍した駆逐艦と言えます。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦早潮 勇者花本少尉 [駆逐艦早潮]

 岡本氏は、花本少尉の姿が見当たらないと
分かった時、胸騒ぎをおぼえました。そして、
胸を圧迫されるような重苦しさにおそわれ
ました。

 焦る心をおさえて、内火艇の艇長に
花本少尉がどうなったのか確認しました。
艇長の話では、僚艦に到達した時には、
すでに息が絶えていたようでした。

 貴重な内火艇とはいえ、定数以上乗せる
スペースは駆逐艦にはなく、早潮艦長の
命令で、花本少尉の遺体を、内火艇に
固縛して安置し、艇とともに水葬に
付されたということでした。

 岡本氏の願い虚しく、花本少尉はついに
還りませんでした。少尉が残した愛国精神は
永遠に消えることはないだろうとして著書を
終えています。

(追記)
 岡本氏は、サイパンに帰還した桟橋で、
同郷の竹馬の友である山本信光氏に
あっています。

 岡本氏は、山本氏が海軍に入っている
ことも知らず、戦争中に日本から遠く離れた
戦地で会うは夢にも思っていませんでした。

 山本氏は、桟橋で武装解除された捕虜の
ような格好で降りてきた岡本氏を見つけ、
ただ事ではないと思い近づいてきた
ようでした。

 岡本氏は、最初人違いだと思っており、
声をかけられても合点がいかない
思いだったとしています。

 山本氏は、戦争勃発と同時に応召され、
小さな漁船で特殊任務のため、ソロモンに
きているということでした。

 翌日、山本氏が差し入れてくれたビールは、
終生忘れられない味になったとしています。

 山本氏は、岡本氏と別れた早々、ラバウルの
近海で戦死していました。岡本氏は、戦後、
山本氏の家を訪ねそのことを聞かされました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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