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駆逐艦神風 下士官に任官 [駆逐艦神風]

 敵機が上空を飛来するようになると、
校庭での駆け足どころではなく、
大規模な防空壕掘りがはじまり、
警報下でも休みなく続きました。

 かくして、校庭の様相は一変しました。
なかでも伝令用の小型壕を数多く掘られ、
通行が不便になりました。

 ある日、雨ノ宮氏は、暗くなってから
トイレに行った帰りに、誤って小型壕に
落ちてしまいました。

 その際、掩蓋で下顎を突き上げられ、
絞首台にかかったような格好になりました。
寝ていられる状態ではなく、何度も起きては、
喉を冷やしていました。それでも、翌日、
ふだんのごとくに課業をしていました。

 訓練期間の終了近くに、茨城県にある
演習場に、数日間の特別訓練に送られ
ました。

 移動は汽車であり、車窓から見える
景色は、戦時下の物不足に差し迫った、
どこも殺伐とした冬景色のさなかでした。

 ここでの訓練は、トレーラー式電探の、
始動、調整、運動方法などでしたが、
電探が故障続きで、なおったと思うと
すぐに使用不能になるようなものだった
ため、ろくな訓練になリませんでした。

 それでも、予定は予定として組まれて
いたので、赤本による学習が優先され
ました。

 訓練代わり、電測学校に帰着すると、
一人残らず下士官に任官しました。
成績優秀者は、一等兵曹、その他は
二等兵曹になります。雨ノ宮氏は、
ひそかに一等兵曹を狙っていましたが、
なりませんでした。

 しかし、下士官の軍服と、軍帽が
支給されると、そんなことはどうでも
いいと、思い直すことにしました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 乙種幹部候補生 [駆逐艦神風]

 雨ノ宮氏は、上司のすすめで、電測学校
開設以来初の乙種幹部候補生を志願する
ことになりました。

 6ヶ月の訓練を終えると、二階級特進の
兵長となることができ、下士官と呼ばれる
ことになります。しかし、上司からは、
かなりきついらしいと、自分で勧めて
おきながら知らせてきました。

 同じ学校なので、いざとなったら上司のもとに
駆け込めると安易に考えていた雨ノ宮氏でしたが、
この考えが誤りであることを痛感することに
なりました。

 日々の猛訓練では、しぼるだけ絞られました。
電探原理、取扱法についてはなんとかなり
ましたが、下士官としての兵員掌握法、
部隊誘導法などが、問題となりました。

 教えていた教官は、乙種を終了したばかりの
下士官で、雨ノ宮氏は中途半端な印象を受け
ました。そのため、こんな下士官になるのは
嫌だなと思ったとしています。

 下士官は、兵士の模範とならなければならず、
教官は、模範となるよう厳しくしごいたという
ことでした。そのため、怒号、全員連帯制裁、
時間制限無しの腕立て伏せが開始されました。

 行軍演習で、小休止によった農家で
ふるまわれた芋を、ガツガツ食った
ということで、海軍の恥として、
数時間腕立て伏せをやらされ、
苦痛に泡吹くものは、軍人
精神注入棒をくらいました。

 雨ノ宮氏が訓練した時期は、レイテ沖海戦が
行われ、日本海軍が壊滅した頃でしたが、
そのような状況は聞かされることはありません
でした。

 しかし、敵機進入の経路に学校があったようで、
はるか上空に敵機の姿を見る日が多くなって
きました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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