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駆逐艦神風 非論理的応酬 [駆逐艦神風]

 軍隊生活では、「私はわかりません。」という
言葉を口にすることは絶対にできませんでした。

 例えば、教官から、「海軍がお前にどれだけ
期待しているか分かるか」と尋ねられ、雨ノ宮氏が、
「わかります。」と返答すると、「嘘を言うな。
分かるはずはない」と怒鳴られ、雨ノ宮氏が、
「はい」と返事すると、「分かる気になれ」という、
非論理的な応酬が行われました。

 電探の原理を質問すると、「原理など
どうでも良い。そう思え。」と言われ、
「そう思いました。」と返事すると、
「よし」と言われました。受講生の
態度がこうでないと、激しい制裁が
加えられました。

 制裁になったのは、電探のことではなく、
日常の生活に関することが大半でした。
軍隊では、軍人精神を、鼓吹されます。
受講生は特に厳しかったようでした。

 電探については、教える側も相当に
尖鋭化していて、そのようすから
教えられる側の雨ノ宮氏らは、
容易ならざる立場にいるという
激しい危機感にさらされて、
毎日を送りました。

 起床ラッパから、煙草盆出せまでの一日、
脳みそは電波づけの状態となりました。

 授業が終了すると、必ずその時間内に
教えられた事柄について、テストを受け、
成績の悪いものは、食事抜きで再教育を
受けさせられました。

 教科書は、員数とページ数を確認して、
金庫に格納します。この教科書は、何代もの
講習生の手垢と脂でかなり傷んでいました。

 そのため、修理のため、特別の時間が
設けられて、全員でその作業をやる日も
ありました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 通信学校の受講生 [駆逐艦神風]

 砲台任務にあたっていたある日、
雨ノ宮氏は、ある通達を盗み見る
チャンスに恵まれました。

 その通達は、「第七次電波探信儀
取扱講習生募集」と書かれていました。
これは、1944年の正月明け早々に、
実施されるものでした。

 雨ノ宮氏は、早速砲台長に受講志願を
申し出ました。砲術長は、「普通科生でも
かなり難しいものだが、神奈川工業卒業で
あれば、出来るだろう。

 しかし、ここほどのんびりした具合には
いかぬぞ。」と笑っていました。雨ノ宮氏は、
はやまったかなと思うところもありましたが、
願いは受理され、久里浜へ向かうことに
なりました。

 別れの時、「次の講習にくので待って
いてくれ。」と見送ってくれた同僚が
いました。

 特別な感情はなかったので、そのまま
別れましたが、この時声をかけてくれた
平野一等水兵は、言葉通り、数カ月後に
通信学校で再会し、その後も縁が続く
ことになりました。

 雨ノ宮氏は、海軍通信学校の第七次
電波探信儀取扱講習生となり、とたんに
後悔しました。そこでの厳しさは、いままでの
訓練とはどれとも違い、峻厳なものでした。

 汐風の吹きまくる校庭整列から始まり、
絶え間ない駆け足、教場でのかたくるしい
態度、居住区での潤いのない日常、どれを
とっても、城山砲台とは、天地の差が
ありました。

 暖房費節約のため、コンクリートの建物全体が
冷え切っており、火の気のないところで、一日中
追い回されながら、極秘と書かれた教科書を
大事に小脇に抱えながら、走り回りました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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