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駆逐艦早潮 平穏な航行 [駆逐艦早潮]

 陸戦隊が上陸するニューギニア島には、
中央にオーエン・スタンレー山脈がそびえ、
上陸地点のラエから見ると、山脈を超えた
反対側にポートモレスビーがあります。

 ポートモレスビーは、最近兵力の増援が
著しいという噂がありました。岡本氏は、
今回も上陸舟艇の指揮官を命じられて
いました。

 岡本氏は、陸戦隊の下士官を集め、
ガダルカナル島での体験をもとに、
上陸時の注意事項を達しました。

 その間も、早潮は、平穏な警戒航海を
続けていました。日本海軍特有のスマートな
艦型をもつ駆逐艦5隻は見事な編隊を組んで、
30ノットという高速で、目的地向かって
航行していました。

 海面は、あいかわらず鏡のごとくで、
先頭艦が発した波のうねりが、後続艦の
艦首が突っ込んでいました。岡本氏は、
この光景を素晴らしい勇壮なものだと
絶賛しています。


 日没が近づき、士官室では、陸戦隊の
准士官以上5名を迎えて、夕食をともにし、
互いの武運長久を祈って乾杯していました。

 しかし、暑さにうんざりし、食事が終わると、
早々に上甲板に飛び出していきました。
岡本氏は、今日一日無事だったと思って
いました。

 ところが、「配置につけ」の号令が響きました。
それ来たぞとばかりに、総員は直ちにそれぞれの
戦闘配置についていきました。

 25mm三連装機銃の指揮官を務める
岡本氏は、右舷二番機銃の近くに位置し、
双眼鏡で前方を見つめました。右舷前方、
はるか水平線上スレスレに飛ぶ一機の
飛行機を確認しました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦早潮 唯一の慰み [駆逐艦早潮]

 ラバウル入港時に、砲術長の先任将校が、
退艦することになった他、分隊長のなかにも
若干の移動があり、岡本氏は、分隊士として、
きりきり舞いさせられました。

 唯一の慰みは、内地から郵便が届いていた
ことで、これは、乗員皆、大喜びしました。
しかし、岡本氏は、郷里にある母が亡くなった
という凶報が伝えられ、びっくり仰天しました。

 岡本氏の母親は、若い頃から苦しい労働による
過労で、早くから老衰の気配が見えていましたが、
こんなに早く亡くなるとは思っても、いません
でした。

 6人兄弟の末っ子であった岡本氏は、一番
可愛がってもらっていました。しかし、訃報は、
死後35日を経過しており、しかも、今の岡本氏には、
母親の死を悲しんでいる余裕はありませんでした。

 そして、ラバウルに入港した1942年11月23日の
夜半、総数5隻の駆逐艦は、敵に探知された
気配もなく、静かにラバウル港を出撃しました。


 翌日の1942年11月24日は、早潮にとって、
運命の日となりました。この日、天気晴朗、風も
なく鏡のごとき海面でした。

 いつも決まったようにやってくる敵の哨戒機にも
合わず、平穏な警戒航行でした。陽光は、艦の
鋼鉄をこがすばかりで、上甲板は、高速で航行
している影響で、涼しくなっていました。

 上甲板は、ところ狭しと陸戦隊の携行物資が
置かれ、その物資の上で、陸戦隊は思い思いの
姿勢で涼をとっていました。

 彼らの上陸地点は、ニューギニアのラエ、
サラモアの両地点と決定されました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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