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駆逐艦神風 夜襲訓練 [駆逐艦神風]

 呉に入港すると、衣類など冬物は一切を
陸揚げして、夏服をもらいました。

 雨ノ宮氏は、夜の半舷上陸時に、厳重に
灯火管制した街を、電信の下士官たちと
歩いていましたが、真っ暗な中に、人の
群れがざわめく大きな街という印象を
受けました。

 停泊中、涼感の野風は、兵員総出で、
船体の塗替え作業をはじめました。
神風は、このような命令が出ていない
ため、雨ノ宮氏は、黙って野風の
作業を見ていました。


 やがて、訓練のために豊後水道を
往来しました。訓練は、大和と矢矧を
向こうに回しての水雷線隊独特の
夜襲訓練でした。

 帝国海軍は、伝統的に夜襲による奇襲
戦法を金科玉条とする根強い考えが
ありました。

 しかし、電子機器の発達により、敵軍は、
レーダーを装備した艦船を用いて、夜間は
もちろん気象条件が悪く視界ゼロであっても、
目標を捕捉して、いち早く照明弾をあげて、
砲火に集中できました。

 潜水艦も姿を表すことなく、目標に
向かって魚雷を発射することが
できました。

 末期には、レーダーが目標をとらえると、
直ちに正確な距離を測定して、砲撃に
直結する高性能を誇るまでになって
いました。お家芸の魚雷急襲による
「隠密急襲」はできなくなっていました。

 今回の訓練も、夜襲訓練ですが、最も
成果を上げたのは、電探でした。この時は、
故障もなく感度は最高でした。数万m先に
いる大和と矢矧の位置を正確につかみました。

 しかも、艦の大きさの違いも分かり、
「電探は、矢矧を目標にする」という
命令を実行する事ができました。

 この報告を聞いた春日艦長は、
「電探は掴んだが、見張りは
まだ見えんのか」と聞いて
いました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 呉への航海 [駆逐艦神風]

 艤装工事を終えた神風は、僚艦の野風と
ともに、一路呉に向かいました。航海は、
厳冬の日本海であり、海は俺に荒れており、
雨ノ宮氏は、はげしい船酔いに悩まされました。

 搭載兵器の調整を表向きの理由に、
電探室に閉じこもり、食事は運んでもらう
ということをして過ごしていました。

 そのことで、先輩である見張長の先任下士に
呼ばれ、「たまには居住区の部下も見てやれ。」
と言われました。

 先任下士は、雨ノ宮氏の状況を知って
いながら、このように言っているわけで、
「本艦にも慣れろ。」という叱責だと
言えます。

 呉までの航海中、雨ノ宮氏は、暗号長の
田中二等兵曹と特別に親しくなりました。
田中兵曹は、雨ノ宮氏より年上で、善行章三本の
元軍楽兵でした。神風では最年長となり、
神風内では思う通りに振る舞っていました。

 雨ノ宮氏は、特別親しくなったことで、
田中兵曹の庇護のもと、一目置かれるように
なっていました。彼は、「全然楽器を手に
してない。」と寂しそうにしていました。

 田中兵曹は、音楽だけでなく、映画や演劇、
文芸などにも趣味が広く、油絵をやっていた
雨ノ宮氏とは、共通する部分がありました。

 同じ心境で、互いに心をまぎらす場面が
多いので、親しくなっていったと言えます。

 よく、暗号室でから、田中兵曹が、
「大森一水、電探長(雨ノ宮氏)を
呼んでこい。」という声が聞こえました。

 雨ノ宮氏は、大森一水の背中から顔を
のぞかせると、「やあきたか」と嬉しそうな
顔になっていました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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