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駆逐艦神風 野風攻撃を受ける [駆逐艦神風]

 1945年2月17日、神風は、
シンガポールに向かいました。

 この頃、雨ノ宮氏は、ひどい風邪に
悩まされました。40度を超える高熱に
襲われて、電探室の隅に寝かされました。
後で、これはデング熱という風土病だと
知らされました。

 僚艦の野風が先航(野風が旗艦)し、
神風がその後を追っていました。昼間は
1.5kmの間隔とし、日が暮れたら500mに
つめての航行でした。

 2月20日の午前2時30分ごろ、
神風の逆探は、怪しい電波をキャッチ
しました。雨ノ宮氏は、そのことを
艦橋に報告しました。

 電探室は、艦橋からの伝声管がすべて
通過しているので、艦橋の会話をすべて
聞くことができました。

 そのため、この海域が、敵潜水艦が
網をはる危険海域であることを、
雨ノ宮氏は認識していました。

 そして、午前3時ごろ、カムラン湾付近に
差し掛かった時に、陸岸近くに接して
航行していた野風が雷撃を受けました。

 ズーンという予期せぬ震動がきて、機関科の
下士官が、すずしい声(雨ノ宮氏の主観)で、
「野風轟沈」と告げました。

 それを受けた当直将校が、「味方が
やられたのに、轟沈とは何だ」という
怒鳴り声が響きました。

 雨ノ宮氏は、はじかれたように旗甲板に
飛び出しました。その時に、神風は、急舵を
きり、大きく傾きました。

 雨ノ宮氏が、あたりを見ましたが、
真っ黒の海面があるだけでした。雨ノ宮氏は、
震えがきて、その場に座り込みたい衝動に
かられました。

 神風内から、「爆雷用意」「投下」という
号令が聞こえ、付近一帯に爆雷を落として
走り回りました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 台湾に到着 [駆逐艦神風]

 敵潜水艦の攻撃を受けた船団は、警戒を
厳しくしながら、航行を続けました。
そして、台湾の基隆に到着しました。

 ここでは、着いたその日からずっと雨続き
でした。ふりしきる雨の中、熱帯特有の名も
知らない原色の花が咲いており、岸壁の
あちこちに建造物に敵機の掃射痕が
ありありと残っていました。

 陸軍の輸送船団がちょうど到着し、車両や
陸兵、軍馬などで、港はごった返していました。

 雨ノ宮氏は、電信帳と一緒に人通りの少ない
日本人町の方へ行ってみました。そこで、
銭湯を探して入り、玄米酒づくりなどを
物珍しく見て歩いていました。


 基隆では、残飯処分の見返りとして、臨時
配給として各自石油缶一杯の白砂糖が
割り当てられました。雨ノ宮氏は、この
配給には驚きました。早速、電探台の
陰に置くことにしました。

 甘味に飢えていた電探科員たちは、当直の
交代のたびに、缶にいれておく古いはがきを、
さじ代わりにして、口の中に放り込んで
いました。

 それから1ヶ月足らずのシンガポールまでの
航海の間に、各自が石油缶いっぱいの砂糖を
なめつくしていました。驚くべき吸収力
でしたが、そのかわり腹をくだす事に
なりました。


 その後、神風は、シンガポールを出て、
2月1日に馬公に転出しました。着いたその日に
爆撃を受けましたが、無事にやり過ごし、16日まで
この地に滞在しました。その間、航空戦艦伊勢、
日向、軽巡洋艦大淀の出撃護衛などを務めました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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