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駆逐艦神風 陸海軍合同訓練 [駆逐艦神風]

 雨ノ宮氏は、製造現場を見て、なぜ
故障が多いのかわかりました。

 電探の心臓部に相当する真空管の
製造は、組み立てやスポット溶接時に、
繊細な手作業が必要でした。しかし、
人手不足で、これらの作業を素人の
女工員たちが担っていました。

 もともと設計屋だった雨ノ宮氏は、
でしゃばって、「電探の故障がむやみに
多い理由に思い当たりました。」と
漏らしました。それに対し、上司は、
「そう言うな。銃後も一所懸命
なんだから。」と応じられ、
一笑に付されました。

 一方で、雨ノ宮氏の留守宅は鶴見にあり、
電探を製造している製造工場の近くと言って
いい場所だったので、上司は、駅で落ち合う
ことを約束し、雨ノ宮氏が内緒で帰宅する
ことを許可していました。

 ある日、陸海軍合同電探訓練があり、
雨ノ宮氏は見学に行きました。飛行機を
飛ばして補足する訓練を、周囲が暗く
なり始めるころから行われました。

 しかし、雨ノ宮氏からは、目標が肉眼で
見えるにもかかわらず、アンテナは変な
方向を見ていました。これは、アンテナを
操作する人達にはわからず、外部から
見ている雨ノ宮氏だからこそ分かること
でした。

 しかも、探照灯を隣接の電探を操作して
いた電探員に照射して、目をくらませ、
転落させるという事故まで起こして
いました。

 幸いそれほどの高所ではなく、怪我も
なかったので、雨ノ宮氏は、大笑いして
いました。

 これ以外にも、多数の手違いが多く、
雨ノ宮氏は、あまり参考にならなかった
としています。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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駆逐艦神風 長後にある学校 [駆逐艦神風]

 横浜駅で小休止後、弘明寺から山坂に
かかり、長後へ出ることになります。

 雨ノ宮氏は、トラックの連結部に
しがみつき、振落されないように
しながらの移動でしたが、シャバの
風をきって走るのは爽快だったと
しています。

 隊が、長後に移動して何日かは、
電測学校の木造校舎と、長後駅間の
砂利道が、運搬専用路と化しました。

 青嵐の吹きまくる野道は、延々たる
蟻の行列(雑多な物を、袋詰して肩に
担いで行く兵士)で埋められました。
にわかに増えた海軍兵に、地元の人達は、
奇異な思いで見守っていました。

 長後にある学校の方は、だだっ広い
敷地に植えたばかりの立木がまばらに
ある殺風景な校庭で、面白みのない
校舎と兵舎が並んでいるだけでした。
ここでも、雨ノ宮氏の仕事は変わらず、
掛け図や教科書の挿絵描きでした。

 ある日、雨ノ宮氏は、上司と一緒に
電探製造現場に出かけました。この当時、
電探を製造していたのは、東芝、ビクター、
コロンビア、マツダランプなどでした。
出かけた要件は、最新の装置や結線図を
入手するためでした。

 この当時、軍需工場は、対空戦闘に備えて、
武装していました。工場の高いところに
見張り櫓を立てて機関銃を据え付け、
陸軍、又は、海軍の兵士が配置
されていました。

 何度目かの来訪時、空襲警報が鳴り、モンペ・
ハチマキ姿の若い徴用の女工さんたちと一緒の
防空壕に避難したことがありました。その際、
一緒にいた雨ノ宮氏の上司は、冗談を
言って、女工たちを笑わせていました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
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