SSブログ
駆逐艦神風 ブログトップ
前の10件 | -

駆逐艦神風 最期 [駆逐艦神風]

 一旦神風から降ろされた乗員は、
復員船として戦後処理に再び新任務に
つくこととされ、戦時編成の三百名から
百数十名が残置されることが下命され
ました。

 電探員の中では、狩野一水だけが、
残ることになり、雨ノ宮氏は降りる事に
なりました。

 雨ノ宮氏ら残置組は、おぞましい検閲を
受け、イギリスの水雷艇に載せられ、
収容所に送られました。

 ここで、2年間の捕虜生活をすることに
なりましたが、戦いで戦死した人達を思えば、
幸いだったと、思い直されました。

 1946年1月、収容所にいた雨ノ宮氏に、
狩野一水から手紙が届きました。神風は
健在で、日本と南方を往復して、復員兵の
引き上げに、協力しているようでした。

 手紙には、爆撃で荒れた横須賀や
横浜付近の近況を、気遣いの行き届いた
書き方で、細かく記されていました。
手紙は貴重品であり、皆で回し読み
されました。

 雨ノ宮氏は、手紙の最後に書かれた、
「きっと神風が迎えに行きます。」という
言葉を何度も嗚咽しながら、読み返し
ました。そして、深く頭に刻まれたと
しています。

 食糧事情などで、全員脚気にかかって
いましたが、たくましく生き続けた不死鳥
「神風」の名前に、希望が湧いてきました。

 抑留は、この手紙から1年半も続きました。
しかも風の便りで、神風は座礁し、乗組員一同
艦を降りたと聞かされた時は、目先が暗くなり、
身体中の力が抜けて、へなへなになったと
しています。

 神風は、1946年6月7日御前崎で座礁し、
戦歴に幕を閉じました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

駆逐艦神風 終戦の日 [駆逐艦神風]

 終戦の日、神風は沖に出て、機密に属する
不要品や書類などを集め、中甲板に燃える
ドラム缶で焼却したり、海中に投棄しました。

 その中には、暗号関係のもの、赤本その他が
ありましたが、電探室の機器も含まれていました。
電探員総出で機械を取り外し、力づくで甲板に
引き出しました。

 重い受信機や定電圧調整機などから、
順次、「レッツゴー」の号令で、波の上に
突き落としました。

 どれも、相当手を焼かされた代物であり、
生死をともにし、血肉を分け合った気難しい
相棒でした。

 搭載して8ヶ月、危うい時は、不思議と
よく働いたと、電探員の皆が、胸裡に
熱いものが逆流していました。

 平野兵長が、「くやしいすね、電探長」と
つぶやき、雨ノ宮氏は、黙ってうなずき、
「電探の最期だな。」と一言だけ答えました。

 一方、比較的軽い電磁ラッパは、ハンマーで
叩き潰していましたが、必要以上に執念深く
叩きつけており、高井電測士が、「それくらいに
しておけ。」と声を掛けるまで続けていました。

 しかし、電磁ラッパは、見る影もなく変形して
いたにもかかわらず、なかなか沈まず、しばらく
してから傾きながら、波に没していきました。

 がら空きになった電探室は、物置より
索漠とした感じになり、雨ノ宮氏その
空しさの中で、思いっきり椰子酒などを
飲んで、泥酔しました。

 神風は、セレター軍港に帰還し、春日艦長が
終戦の詔勅を拝読し、兵員整列の中央で、
軍艦旗をうやうやしく焼却しました。

 そして、半旗の下、大砲と機銃を俯角
いっぱいに下に向かせ、国辱にならない
ように、艦内の大掃除をしました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

駆逐艦神風 潜水艦と駆逐艦の戦闘 [駆逐艦神風]

 スキャランド大佐率いる潜水艦群の攻撃を
交わした神風でしたが、船団は、B24の爆撃を
受けたことで被害を受け、所期の目的は
達成できませんでした。

 雨ノ宮氏は、潜水艦と駆逐艦の戦闘は、
プロ野球のイニングに似ているとしています。
一方が攻撃している時は、他方は防御に回り、
相互に撃ち合う形にはならないとしています。

 受ける側は、隠忍自重の我慢と回避を重ね、
攻防が入れ替わるのを、じっと待ちます。
この時間交替型の戦闘は、神経の消耗が
激しいものでした。

 しかも、神風は、敵に先攻を与えていました。
これは、電探の使用方法にあります。日本海軍は、
電探を防御のために利用し、攻撃には使おうと
されませんでした。

 それは、このような戦法を使用するように、
兵器が開発されていなかったからでした。
一方、敵は、レーダーを100%駆使して、
先制攻撃をかけてきました。

 野風、羽黒、足柄などの艦船が潜水艦の
攻撃を食らったのは、ほとんど見張りの
きかない闇夜でした。

 雨ノ宮氏は、スキャランド大佐率いる
潜水艦群と戦闘する前から、「逆探は、
おびただしい敵電波が、神風に向けて
発せられていることを、とらえていた。」
としています。

 隣の電信室も、敵潜水艦同士の暗号抜き
無線電話を受信しており、受信機を
そのままに、喋らせていました。

 しかし、月のない夜でも、総員見張りの
役を務める兵員の姿がありました。

 日本海軍は、前線で戦っている兵員たちの、
貴重な実戦体験の声が、技術や戦略に
活かせていないという、問題に
直面しています。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

駆逐艦神風 ホークビルとの死闘 [駆逐艦神風]

 魚雷をかわした神風は、深度30mに
設定して爆雷を18個投下しました。

 水深35mの海で、爆雷を投下された
ホークビルは、潜望鏡を海面に出しました。
神風は、その潜望鏡の上を乗り切りました。

 一方、神風の下をくぐり受けたホークビルは、
爆雷に押し上げられ、神風後方の航路と直角に
200m離れた波間に、おびただしい泡もろとも
60度の角度で、艦首を中天に指し、司令塔まで
出して倒立しました。

 神風は間髪をいれずに、後部40mm機銃が
射撃し、激しい曳痕弾の帯が吸い込まれて
いきました。ホークビルは、艦尾から沈んで
いきました。これを見た神風の乗員は、
大歓声を上げました。

 重油の流出点を目標に浮標を投入し、
激しく渦巻く海面の周囲を、執拗に爆雷
攻撃を数時間に渡り続行しました。この時、
17個の爆雷を投下しています。

 ホークビルは、夜半まで、物音を潜めて
海底にへばりついていたようでした。神風は、
撃沈公算大と判断し、艦隊司令長官に打電し、
先行させた船団を追って、任務遂行のために、
戦闘海域から離脱しました。

 船団は、シャムワンの難所を通るので、
ここでの護衛は必須でした。神風は、この後
2日間にわたり、スキャランド大佐率いる
5隻の敵潜水艦群の魚雷攻撃を浴びましたが、
全て完全に回避しました。

 戦後になり、スキャランド大佐は、
春日艦長に書簡を送っています。
その中で、「潜水艦士官達は、戦時中、
我々がぶつかった駆逐艦の中で、もっとも
優秀な艦長だ。」という一致した意見が
あったことが記されており、敬意を
表していました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

駆逐艦神風 海上、海面下の死闘 [駆逐艦神風]

 1945年7月16日、神風は、マレー東岸
プロテンゴール南で、スキャランド大佐
率いるアメリカ潜水艦のホークビルと、
延々十時間もの海上、海面下の死闘を
演じました。

 午後3時、神風が、プロテンゴール南方の
危険水域で、水中探信機にて、敵潜水艦
らしきものを発見しましたが、はっきり
しませんでした。

 電探室は、逆探に不審音を捉えており、
短時間継続的に電探を発動させましたが、
ブラウン管には、異様な干渉波を、映し
出しました。直ちに艦橋に報告しています。

 神風は、船団を特務掃海艇に任せて、
できるだけ接岸しつつ北上させ、探知を
続行し、捕捉に専念しました。

 しかし、ホークビルは、船団はあまり
問題にしておらず、神風の方が価値ある
目標としていました。

 午後4時、神風の右舷120度方向、
距離2kmから魚雷6本が、扇状に
開いて発射されました。

 電気魚雷らしく無航跡でしたが、
一本が波間に躍り出て突進してきたので、
神風は増速し、取舵一杯で交わしました。

 この時、潜水艦の水中反響をキャッチし、
敵に肉薄して爆雷を投下していきました。
ホークビルは、水中でこちらに向かってきて、
右に舵をきってせまってきました。

 神風も面舵30度で、寄りせまりました。
とたんに思いがけず、ホークビルは、魚雷
3本のスチーム魚雷を、神風の軸方向の
至近距離から、急発射しました。

 これを、春日艦長は、見事な操艦術により
回避しました。神風の左舷スレスレを一本、
右に二本、艦首を挟んで通過していきました。
頭部が赤く塗られた魚雷を雨ノ宮氏は、
はっきり視認しました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

駆逐艦神風 アメリカ潜水艦ホークビル [駆逐艦神風]

 足柄にいた陸軍兵士や乗員を救助し、
少し傾いた状態で航行した神風は、
シンガポールに無事到着しました。

 陸軍兵士は、ケッペル、海軍兵はセレターに、
陸揚げされました。むかえる用意は、陸軍は
至れり尽くせりだったにもかかわらず、
海軍は、着たままに乾いた服装で、
岸壁に整列して神風を見送って
いました。

 暗号長が、「陸さんの方が、はるかにサービスが
良いな。」と指摘していました。この救助の際、
電探室にも数名の陸軍兵を収容しました。

 このうちの一人に、後に東京都氷川町の町議となる
村木氏がおり、ひょんな事で、数十年後、雨ノ宮氏は
ある会社の職場で再開を果たすことになりました。

 当時はそのようなめぐり合わせが起こるとは、
知る由もなく、人間の縁はわからないものだと
しています。


 1945年7月15日、特務掃海艇3隻とともに、
神風は、小型タンカー4隻を護衛して、仏印の
ハッチェン目指し、マレー半島ぞいを北上
しました。

 翌16日午後1時すぎ、アメリカ潜水艦ホークビルとの
死闘が、延々10数時間にわたって敢行されました。
これが、「深く静かに潜航せよ。」に再現され、水雷長の
鈴木中尉が詳細を記載しています。

 雨ノ宮氏は、詳細は、鈴木中尉の記事を見て
もらうとして、電探員としての立場から、
蛇足的に説明をしています。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

駆逐艦神風 陸軍兵士 [駆逐艦神風]

 波らしい波もない凪いだ海。そのままの
姿勢で沈めば、おそらく、上甲板スレスレの
深水しかなかったと思われます。しかし、
足柄は横倒しになったようでした。

 神風は、海面下に逃げ込む敵をとらえんと、
付近を高速で走り回り、爆雷を投じて、
ソナーを下ろして探索し、ソナーを
あげては爆雷投下を、繰り返しました。

 掃海戦をしつこく繰り返した後、次第に
足柄の沈没箇所に近寄っていきました。
ちょうど、足柄の艦型そのままに、おびただしい
陸軍兵士が、鉄兜を背負い、波間に集合して、
「勝ってくるぞと勇ましく・・・」の一大合唱を
始めていました。

 やがて、風模様が変わったのか、うねりの出た
海面に高くなり、低くなり、それでも歌は続いて
いました。

 暗号長が、「歌ってやがる。」と、雨ノ宮氏の
後方から声をかけてきましたが、雨ノ宮氏は、
返事できませんでした。

 兵器を命より大事にする陸兵らしく、白布をまいた
小銃を、海水から守るように両手をさしあげ、懸命に
喉をからして、歌っていました。神風は、救助活動を
はじめました。

 助け上げた陸軍兵士と、足柄の乗員で、神風は
混み合ってきて、隙間という隙間、機銃の下から、
舷側ハンドレールのかたわらで、どこもかしこも
すしづめとなりました。

 この状態は、羽黒の乗員を救助した時より、
ひどい満員状態で、神風自体、左舷に5度ほど
傾斜したまま、甲板士官や甲板下士の整列命令
にもかかわらず、一向に復元しませんでした。

 この日も美しい夕焼け空で、なんとも象徴的な
日没になりました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

駆逐艦神風 凄烈にして静かな最期 [駆逐艦神風]

 敵潜水艦2隻の間に渡りこんでしまった
神風の当直士官は驚き、「砲戦用意。
一番撃て。」「機銃撃て。」の命令を
出しました。

 「仮泊する。」という命令を聞いていた
雨ノ宮氏は、直後の戦闘命令に驚きました。
霧の中に黒い影が確かに左右に、立ちはだかって
見え、その中を神風は進んでいきました。

 少しに間があって、機銃の音がしましたが、
効果の程は不明でした。しかし、敵潜水艦も
驚いていたようで、あたふたと姿をくらまし、
何事も起きずに過ぎ去りました。


 1945年6月8日の朝、神風は、
先程の件もあったので、念入りに
付近一帯を対潜警戒しながら、
ジャワ島のジャカルタ港に
近づいていきました。

 午前10時頃、晴れ渡った空に小さな
入道雲が陸岸方向にいくつもたち、
若草色の水平線の彼方から、足柄の
マストの尖端が顔を出し、だんだんと
せり上がってきました。

 その時、見張員から、足柄を発見した
という報告が来ました。続いて、足柄の
前部砲塔が大きく見え、すぐに全貌が
現れてきました。

 雨ノ宮氏が、艦首左10度方向に足柄を
確認した瞬間、足柄の高さの3倍はあろうか
という巨大な水柱が3本、舷側近くに屹立
したかと思うと、水中を鈍い震動が走ってきて、
ズーンと腹の底を揺さぶってきました。

 「足柄に魚雷命中」という報告があり、
神風が急舵をきったので、艦が横に大きく
傾きました。

 足柄の火柱が次第に下降して、雨ノ宮氏が、
右舷に回って見たときには、足柄の勇士は
視界の外に消え去っていました。

 かつて、皇族の御召艦にもなった
気品ある名艦は、凄烈にして静かな
最期をむかえました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

駆逐艦神風 バンカ島 [駆逐艦神風]

 日没いっぱいまで、羽黒の乗員を救助した
神風は、電探で潜水艦に警戒しながら、
シンガポールのケッペル岸壁に入港
しました。

 ここで、1週間をかけて被弾部を修理し、
再び次の任務につきました。


 1945年6月7日、神風は、ジャワ島から
陸軍兵員移送の任務にあたった足柄を
出迎え、シンガポールに連れ戻す護衛
任務のため、バンカ海峡に進出しました。

 バンカ島は、スマトラ南東岸と海峡を
はさんで接する島で、世界的なスズ鉱石
生産地として有名でした。

 この島には、翼を広げると1.5mにもなる
コウモリが生息しており、毎日、スマトラ島と
この島を往復していました。

 この周囲は、潜水艦の跳梁する危険区域
なので、この海域の対潜掃海のため、
警戒を一層厳重にしながら、足柄の
艦影を捜索してまわりました。

 この日の夜更け、霧状の空気の流れが
ぼんやり薄明るくたちこめる深夜、
仕事を終えた神風は、朝まで待機
すべく、潜水艦のひそみにくい
浅瀬に仮泊目的で、島影に入って
いきました。

 両舷のエンジンを停止して、行き足を
利用してすべるように進航していきました。
「只今より仮泊する」という声を聞き、
雨ノ宮氏は、旗甲板に出ていきました。

 ここで、突然、前部砲側の見張りから、
「右舷、敵潜水艦」の絶叫がありました。
しかも、別の見張り委員から、「左舷、
敵潜水艦」という声がしました。

 さらに、「司令塔が出ている。」、
「敵潜水艦、本艦の左右。」という声が
しました。神風は、海霧に紛れて浮上していた
潜水艦2隻の真ん中に渡りこんだようでした。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 

駆逐艦神風 遺体処理 [駆逐艦神風]

 雨ノ宮氏があらためていた遺体は、
満足な形をとどめないものが多く、
どれがどれかわかりませんでした。

 「あげるぞ」という声がして、片足を
次々と手渡されました。「合わせてみろ」
の声で、甲板に並べて寝かせた亡骸の
そばに持っていきました。

 しかし、左足が2本あったり、別の
遺体にも合わないということが起こり、
はっきりした遺体は半数もありません
でした。

 ほとんどは、居住区に飛散したようで、
運用科員が海水ポンプで洗浄すると、
梁などから肉片がバラバラと落ちて
きました。

 雨ノ宮氏は、戦死した電探員を、
特徴である入れ墨を頼りに探して
みましたが、見つかりませんでした。

 夜が明けてから、これらの遺体をボートで
島岸に送り、荼毘に付しました。ついで
燃料を補給し、再び戦場に戻りました。

 燃え殻だらけの羽黒沈没箇所には、
スコールが降り残っていました。重油が
広がる波間には、満タンのドラム缶が
数個浮かび、被災者がとりすがると沈み、
離すと浮かぶを繰り返している者が
数名いました。

 神風は、内火艇に山もりになって
叫ぶ兵たち、円材に乗る者など、
そこかしこから拾い上げて
いきました。

 こうして、羽黒の乗員を約400名
救助しましたが、ただでも狭い駆逐艦は、
まさに満杯状態になりました。

 この日のインド洋の夕日は、泣きたく
なるほどに美しかったとしています。空も
海も切れ目が判別としないほど、さいはても
なく真紅に染め上げていました。


紹介書籍:駆逐艦「神風」電探戦記
著者: 「夕雲」及川幸介、「早潮」岡本辰蔵、「神風」雨ノ宮洋之介
nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | - 駆逐艦神風 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。