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巡洋艦大淀 牟田口前艦長大淀を訪れる [巡洋艦大淀]

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 小淵氏は、大淀から来た交代要員に、 火葬の方法を申し継ぎしました。  すると、交代要員から、「俺達が火葬を するのか?」といてきました。「そうだ。」と 告げると、「番兵に行けと言われただけだ。」 と返答してきました。  それは小淵氏も一緒でしたが、火葬を することになったので、火葬場のおじさんに 交代することを告げて、大淀に戻りました。  帰り際、伊勢や日向の戦死者の棺と 行き違いました。大淀よりは少ないよう でした。  大淀に帰って朝食を済ませた小淵氏 でしたが、衛兵の当直番が回ってきたので、 衛兵所につめました。  昨夜は一睡もしませんでしたが、気が 張り詰めているせいか、少しも眠くありません でした。しかし、思考力はかなり低下して いました。  10時頃、伊勢の艦長になられていた 前大淀艦長の牟田口大佐が、大淀の 損傷を心配してやってこられました。  その時の状況を松浦艦長が、しきりに 説明していましたが、黙ってうなずいている だけでした。  無傷で戦い抜いてきた艦長としては、 大淀の損傷は、よほど残念だったと 思われました。大きな傷口をあけている 直撃箇所にたたずみ、牟田口大佐がは、 感慨無量の面持ちでじっと見つめて おられました。  小淵氏は、牟田口大佐にすがりついて 泣きたくなる衝動にかられました。力の 限り奮闘して、傷ついたのならあきらめも つきまいたが、思えば思うほど無念の 回頭でした。  大淀の緊急修理は、8日間もかかり ました。しかも、機関部に手痛い損傷を 受けていたので、以前のような快速は 出せないということでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男


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