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空母信濃 憲法第九条 [空母信濃]

 かつて、海軍省が解散するに当たり、米内海軍大臣は、
「苦闘空しく、海軍解散の日を迎えるに至り、海軍省創設
以来70余年、海軍の栄光を保全することができなかった
のは、慙愧に耐えない」としています。

 さらに、「全勢力を傾けて、終始敢闘したりといえども、
ついに叡慮を安んじ、奉じること能はなかったことは、
上御一人に対し奉り、国民各位に対し、深くその罪責を
痛感するものなり」と、自分の罪責を率直に認めています。

 他に、戦死者や戦病者に憐憫の情を披露しています。


 諏訪氏は、米内大将は、海軍の重要ポストを歴任した
最高責任者であり、戦犯をまぬかれたとはいえ、終戦後の
態度には割り切れないものがあるとしています。

 諏訪氏は、第二次世界大戦は、原子爆弾の投下により
終戦を終止符を打っていますが、これは、軍事科学の
驚異的な発達を意味するとしています。

 諏訪氏は、原子爆弾意より、人型をも留めぬほど吹き
飛ばされたたくさんの死骸、目と鼻の区別もつかないほどの
火傷をおった患者など、見るに堪えない惨状を確認し、
戦慄したとしています。

 そして、戦争はどんなことをしても防止すべきだとして
います。

 今、大日本帝国憲法に代わり、人民のための憲法ができ、
第九条に「戦争の放棄」という条文ができたことを喜ばしいと
しています。戦力の放棄についても、各国民相互の友愛と
信頼の心で、達成されることが立証されるだろうとしています。

(追記)
 諏訪氏には悪いとは感じますが、各国民相互の友愛と信頼の
心で、平和が達成されるとは言えない状況になっているといえます。

 かつて、国民を無視して、侵略行為を行い、最後は国土が破壊
された日本の事を学ばずに、同じ事をして領土拡張を行うような
国がいる限り、軍事力の放棄は、狂気の沙汰といえます。


紹介書籍:沈みゆく「信濃」知られざる撃沈の瞬間  著者:諏訪繁治(すわしげはる)

空母信濃 終戦を迎えて [空母信濃]

 諏訪氏は、終戦を迎えて、驚愕と憤慨を抱きました。

 全世界を紅蓮の炎に包んだ第二次世界大戦の真相は、
当事者として参加していた諏訪氏も知ることなく、
マッカーサー司令部が提供した太平洋戦争史で
知ることになりました。

 ミッドウェー海戦後、累次に渡る狂信的な反撃作戦に
より、一艦一艦太平洋の藻屑と消え、帝国主義的
侵略艦隊の末路、優秀艦隊から幽霊艦隊への
落ちぶれた経過が露になりました。

 一般国民は、長い沈黙を守っている連合艦隊に、
心強さを持っていましたが、終戦により真実を知り、
騙されたと知りました。

 新しい軍艦の資料は、高度の機密事項に属するので、
終戦のどさくさで大部分燃やされ、保管されていた
データは不完全なものしかありませんでした。

 特に、信濃は、杜撰の一言で、排水量と速力、
艦長くらいしか記述がありませんでした。しかも、
このデータは公式発表データで、実際の数値とは
かなり乖離していました。

 諏訪氏は、侵略主義者どもにいいように使われた
ことで、我々兵士が、いかに大きな精神的、物質的
浪費を重ねたかということについて、これらを兵士の
魂の叫びとして、残すべきだとして、著書を記載した
としています。

(追記)
 諏訪氏は、尊い税金を使用して購入された軍艦の
名前すら知らずに埋もれるようでは問題だとして
います。

 戦争については、大和魂や神風などに頼る非科学的な
精神では近代戦争は勝利できないことを教えてくれて
いるとしています。

 信濃については、撃沈について査問会議を開いたで
あろうから、この内容を国民に公表し公正な判断を
仰ぐべきだと信じるとしています。

 信濃撃沈の際、諏訪氏は、犬猫にも劣るような死に
場所しか与えられなかった戦友のことを思うと、
軍閥に対して恨みを抱くとしています。


紹介書籍:沈みゆく「信濃」知られざる撃沈の瞬間  著者:諏訪繁治(すわしげはる)

空母信濃 怒涛を乗り越え [空母信濃]

 三つ子島に来て3日目、士気を振興させるということで、
猫の額ほどの狭い広場で軍歌演習が行われました。

 「如何に狂風 吹きまくも 如何に怒涛は逆巻くも・・・」と
寒さに唇を紫にして、がたがたふるえながら唄いました。
諏訪氏は、島での生活において、一番印象の残っている
事だとしています。

 この歌にあるように、怒涛を乗り越えようと必死に抵抗を
試みた、当時の自分達のことが生々しく浮かび上がった
としています。

 三つ子島での生活は、約1ヶ月続きました。年も押し迫った
28日~30日の3日間で、信濃乗員は、横須賀、舞鶴、呉、
佐世保へと転勤命令が下りそれぞれの任地へ赴任して
いきました。

 ただ、信濃の乗員は、空母の乗艦経験者ということもあり、
半数以上が、当時長崎造船所で建造していた笠置(かさぎ)の
艤装員として赴任していきました。この著書の主人公とも言える
電信班班長の河原春雄一曹も長崎に赴任しています。

 しかし、ここで、原爆の投下により、命を落としています。
諏訪氏は、戦後、サンケイ新聞の経済部記者を振り出しに、
論説委員などを勤めています。

(追記)
 空母笠置は、雲龍型の四番艦として長崎県の三菱重工
長崎造船所で起工され、1944年10月19日に進水しましたが、
1945年4月1日に、進捗84%の段階で工事が中止さています。

 その後、未完成の「笠置」は、長崎県の佐世保軍港付近に
放置され、戦後佐世保で解体されています。そのため、活躍の
場はありませんでした。この経歴を見ると、河原氏が原爆投下の
日に長崎にいた理由は不明です。


紹介書籍:沈みゆく「信濃」知られざる撃沈の瞬間  著者:諏訪繁治(すわしげはる)

空母信濃 呉に到着 [空母信濃]

 遭難者を載せた浜風、磯風、雪風が、3隻の母港で
ある呉に到着したのは、午後5時すぎでした。3隻が
隣り合わせで碇泊すると、皆甲板に上がり、
生きている顔を見せ合い、懐かしがりました。

 しかし、冬の一日はあっという間に夜の帳が押し
寄せてきて、30分とたたないうちに、顔が見えなく
なるほど暗くなってきました。信濃の乗員は、
ここからも大変でした。

 信濃轟沈の事実が、漏洩しないよう、夜間に達磨船に
乗せられ、軍港から二時間ほどのところにある孤島の
三つ子島に、島流しになるという憂き目に合いました。

 この島は、漏洩を防ぐために、乗艦していた兵士を
入れる施設で、1ヶ月前に撃沈した信濃の姉妹艦である
戦艦武蔵の乗員も収容されていたことがありました。
壁には、「後から来るものに告ぐー武蔵生き残り乗組員」と
記されていました。

 信濃の艦長、砲術長、航海長は、信濃と運命をともにし、
副長兼機関長と内務長は、呉の病院に収容されていました。
他にも、海水を飲みすぎて内臓に故障を生じた兵士百数十名も
病院に収容されました。

 佐官で元気なのは、荒本通信長と主計長のみだったので、
荒本通信長が指揮をとることになりました。午前と午後の2回に
分けて、球技や格闘、体操などをして過ごしています。

(追記)
 三つ子島は、一棟の病室、気罐室、烹炊所、浴室、倉庫が
雑然と配置されており、島の最右翼には、五棟の平屋建ての
兵舎がありました。しかし、これらの施設以外ないところで、
娯楽の施設はありませんでした。

 配給された酒を飲むことと、上記のようなレクレーション以外
することがなかったといえます。


紹介書籍:沈みゆく「信濃」知られざる撃沈の瞬間  著者:諏訪繁治(すわしげはる)

空母信濃 駆逐艦乗員と信濃乗員の対立 [空母信濃]

 電信班班長は、目立たぬよう小さくなっていると、
駆逐艦乗員の会話が聞こえてきました。

 「士官の話によると、うち(浜風)の艦長や雪風、
磯風艦長が信濃の阿部艦長と、回航について
打ち合わせをしたとき、うちの艦長が、夜間は
潜水艦の攻撃が危険なので未明の出港を
主張したのに、阿部艦長が航空機の方が
危険だと言って、夜間出撃となったと
言うことだ」

 「信濃の艦長なんかにゃ、潜水艦の雷撃がどんな
恐ろしいかわかりゃーしねんだ」「でも今度という今度は、
潜水艦の恐ろしさを、肝に銘じたことだろうよ。竜宮城で
後悔してるだろう」「あれじゃー。助かったとしても生きちゃ
いらめえな」というものでした。

 遭難者にもあからさまに聞こえる大声で言っていた
ので、電信班班長は、彼らを睨みつけました。同時に
口惜しく、涙が出るほど煮えくり返りました。

 「信濃の艦長は、最後まで艦首に在って、びくとも
しなかった。そして、艦と運命をともにしたことを貴様たちは
知らないのか」という思いでした。信濃が浮かんでいたら
こんなことは言わせなかったと考えていました。

 電信班班長は、今度遭難者を迎えることがあれば
今日のような感情を味わわせるようなことはしない」と
誓いました。

(追記)
 上記の会話の通り、駆逐艦乗員と信濃乗員の間には、
明らかに、互いに対して侮蔑する感情がありました。

 駆逐艦乗員の感想は、上記の駆逐艦乗員の会話の
通りであり、磯風にいた井上氏も、信濃の撃沈は阿部艦長の
自業自得と言っています。

 駆逐艦の乗員は、信濃護衛の2日前に、横須賀に滞在
していましたが、巨艦を鼻にかけ駆逐艦を使いパシリと
侮るようなところが見られたとしており、信濃の乗員に
いい印象を持っていなかったとしています。


紹介書籍:沈みゆく「信濃」知られざる撃沈の瞬間  著者:諏訪繁治(すわしげはる)

空母信濃 瀬戸内海に到着 [空母信濃]

 翌朝、目覚めた電信班班長の耳に、「狭水道通過、
艦内保安配置につけ」の伝声が響いてきました。
駆逐艦乗員は、保安配置があるものは急ぎ部署につき、
その他のものは、上甲板に上っていきました。

 遭難者はやることがありませんが、今の放送で、
駆逐艦が瀬戸内海に入ったことが分かりました。
士官の一人が、「もう命は大丈夫だ。内海に入った
のだから」と、近くにいた遭難者に浴びせかけました。

 この士官は、何の気なしに言ったものでしょうが、周りの
遭難者は、階級による優越風を吹かせたものと受け取り、
嘲られたと感じていました。電信班班長は、拳を握って
いました。

 遭難者は、服を脱がされ、駆逐艦から支給された
簡易の服に着替えていたので、階級は判然としません
でした。そのため、若い兵士は、これ幸いと、我が世の
春を謳歌していました。いつも圧迫されている反動でした。

 朝食になり、昨晩は疲れで食べられなかった遭難者も
餓鬼の根性を露にしてガツガツ食べていました。永い
軍隊生活をしているものは、耐えるという精神が身に
ついているので、このようなことはしませんでしたが、
新参者は、訓練が徹底していませんでした。

 心あるものは、ガツガツ食べる姿に暗い気持ちを、持ち
ました。そして、遠慮もせずに食べている姿を見た駆逐艦
乗員は、遭難者を邪魔者扱いする態度がさらに露骨に
なってきました。

 そして、駆逐艦乗員と信濃乗員の間の決定的とも言える
対立が起こりました。

(追記)
 駆逐艦上委員の態度に対し、諏訪氏は同じ菊の紋章を
戴いている同じ国の海軍が、兄弟垣に攻めるようでは
これからどうなるのかとしています。

 しかしながら、駆逐艦は、菊の紋章を戴いておらず、軍艦という
扱いはされていません。この不満は駆逐艦の乗員は持っており、
大型艦の乗員に対する見る目が厳しくなっているといえます。


紹介書籍:沈みゆく「信濃」知られざる撃沈の瞬間  著者:諏訪繁治(すわしげはる)

空母信濃 信濃乗員の不安 [空母信濃]

 駆逐艦内は、駆逐艦定員に匹敵する遭難者で
あふれていました。駆逐艦は、信濃の艦橋の大きさ
くらいしかなく、ここに定員の倍の人数が埋まって
いるので、艦内は、寿司づめ状態でした。

 電信班班長は、駆逐艦に考慮して体を三つ折りに
して休んでいました。それでも、駆逐艦の乗員は、
露骨に嫌な態度をとっていました。

 継子のような扱いにを受け、この様な体験を
したことがない信濃の乗員には、痛々しさが
漂っていました。

 電信班班長は、駆逐艦の中のことではく、置き去りに
された乗員のことを考えていました。自分が、置き去りに
された乗員の側にいたらどうなっていたであろうかという
ことでした。

 ここで、悩むのは自分の班員が置き去りにされな
かっただろうかということでした。「皆救助されたに
違いない」という希望でもないと落ちつきそうも
ありませんでした。

 駆逐艦は、全速で航行を続けていました。時折、
変針すると、小艦艇だけに、同様が直接腹に響いて
きました。その衝撃が、信濃が魚雷をくらった衝撃と
似ており、不安を引き起こしました。

 駆逐艦の乗員は、何事もなく通常勤務しており、
当直交代の声が聞こえると、信濃に乗っているような
錯覚を引き起こしました。

(追記)
 救助されて、居候のようにしている兵士は、やることが
ないため、余計不安にかられます。しかも、信濃の乗員は、
半数以上が、新人という状況なので、この扱いには対応
しきれないといえます。

 一方で、浜風、磯風、雪風は、共に歴戦の駆逐艦であり、
九死に一生を得るような戦場を渡り歩いていたので、乗員の
練度という点では、信濃の乗員とは比較にならなかったと
いえます。

この違いが、信濃乗員と駆逐艦乗員の間で、温度差を
生じさせる一因になっています。


紹介書籍:沈みゆく「信濃」知られざる撃沈の瞬間  著者:諏訪繁治(すわしげはる)

空母信濃 戦争の冷徹なる断面 [空母信濃]

 遭難救助に見切りをつけた第十七駆逐隊は、
呉の軍港を目指して動き出しました。

 風が進路を急に変えたことで、この時、浜風の
舷側にいた電信班班長のところに、水しぶきが
上がりました。

 海面には、まだ遭難者が多数いました。しかし
ながら、数十人のために、駆逐艦が沈められるよりは
いいと、置き去りにされました。

 電信班班長は、待ってくれと叫びそうになりましたが、
救助された居候の身とあっては、駆逐艦司令に
言うことはできず、発言を封じるよりありません
でした。

 横須賀鎮守府司令に激励された強者たちは、
無意義な戦争の無残な犠牲となり、死への行進を
することになりました。

 これは、駆逐艦司令が冷酷だという話ではなく、
戦争の冷徹なる断面でした。戦争末期の日本軍は、
この傾向が特に強くなったと言えます。

 電信班班長が居住区に戻ると、遭難者は無雑作に
敷かれた帆布の上で眠っていました。電信班班長も
寝ることにしましたが、二度とこの様な目にあいたくない
と考えました。

 しかし、信濃が沈んだくらいでこれほどの打撃を
受けるのであれば、今まで敗戦を経験したことがない
日本が、敗戦に直面したらどのようになるのかと心配
でした。

(追記)
 第十七駆逐隊は、呉に向かう航海において、潜水艦の
尾行をまくため、之の字運動による航行を行います。
これは、旗艦の浜風が進路を決め、磯風と雪風は、
浜風の指示に従ってついていくというものです。

 当然のこととして、浜風が左右逆の信号旗を掲げたら、
互いに衝突する危険があります。実際、ミッドウェー海戦の際、
重巡洋艦の最上と三隈が、蛇行運転の指示ミスにより
衝突し、三隈が撃沈するという被害が出ています。


紹介書籍:沈みゆく「信濃」知られざる撃沈の瞬間  著者:諏訪繁治(すわしげはる)

空母信濃 遭難者の救助に見切りをつける [空母信濃]

 裸にされた電信班班長は、寒さを感じたので、
モンキーラッタルを降りて、居住区に行きました。

 ところが、居住区にいくと熱気で息が詰まるような
感じになりました。しかも、駆逐艦乗員から配られた
ウイスキーを飲むと、吐気もしてきたので、急いで
上甲板に戻っていきました。

 上甲板は冷えますが、冷えた大気の方が気持ちよい
と感じました。

 海の方を見ると、「海ゆかば」を唄っている一群が
いました。合唱は小さくなっていましたが、よくまとまって
いました。この時点では、自分の存在を知らせるために
唄っているようでした。手をあげたり、帽子をかざしたり
していました。

 空を見ると、夕刻が近づきつつありました。信濃が
横須賀を出港したのは、昨日の同じ頃だったと感慨が
わきました。魚雷命中から、浸水、傾斜、総員退去、
風洞に転落、生への行進、現在と、疲れた頭でも
思い起こすことができました。

 このような中、半分ほど入れてあった駆逐艦の錨が
引き上げられ、旗艦浜風の旗甲板に、出撃の旗が
揚げられました。

 十七駆逐隊は、夜間になることで、潜水艦の攻撃を
受ける危険が出てきたことで、遭難者の救助に見切りを
つけました。

(追記)
 せっかく駆逐艦まで到着したにもかかわらず、
波により舷側に叩きつけられ、そのまま浮かんで
こない兵士もいました。

 他にも波をかぶる度に、頭数が減っている様子を、
電信班班長は、駆逐艦の上甲板から見ています。

 この光景を見て、諏訪氏と同様に、パスカルの「人間は
一本の葦である。」という言葉を思い浮かべ、大自然の
脅威の前には、人間の生命など葦に過ぎないとつくづく
感じていました。


紹介書籍:沈みゆく「信濃」知られざる撃沈の瞬間  著者:諏訪繁治(すわしげはる)

空母信濃 服を脱がされる [空母信濃]

 フラフラしている電信班班長に対し、駆逐艦乗員の
一人が手を貸そうかと尋ねてきました。くたくただった
こともあり、無意識に手を借りようとしたとき、心の中の
負けん気が出てきて、しっかりしろと叱咤してききたので、
「一人でいく」と返事して歩いていきました。

 歩いているときも、「手を貸すというのに天邪鬼なことだ」、
「階級を見て言っているだけで、自分は肉の塊としか認識
されていない」といった思考の喧嘩が始まりましたが、
後甲板につくと、喧嘩別れとなってしまいました。

 後部の甲板まで来ると、屈強な駆逐艦乗員が軍服を
脱がしにかかっていました。遭難者は、一人では服を
脱ぐことすらできないほど疲れ切っていました。

 「兵曹こちらに」という声がしました。一瞬、電信班班長は
自分が呼ばれているとは思わず辺りを見回しましたが、
自分以外遭難者はいないので、自分のことかと改めて
気づきました。

 対応している駆逐艦乗員は、35歳ぐらいで補充兵と
思われました。彼に任せて、手から服を脱がされました。
「見てください。この黒さ」という言葉を聞き、改めて服を
見ると、信濃が沈没した時に漏れた重油で、真っ黒に
なっていました。

 「兵曹はまだいい方ですよ。さっき助けた方は、
全身真っ黒で、炭小屋の小僧のようでしたした」と
いう言葉を聞きました。

 どのような有様か想像つかなかったものの、ユーモア
ある駆逐艦乗員の話し方に、聞き入っていました。

(追記)
 電信班班長は、対応している駆逐艦乗員から兵曹と
呼ばれ続けることになりました。疲れていることも
ありましたが、自分が呼ばれているという感覚は
持てず、知らない第三者を呼ばれているような
気持ちになりました。

 名前が分からないのでしょうがないとしても、他に
呼び方がないのかとしています。


紹介書籍:沈みゆく「信濃」知られざる撃沈の瞬間  著者:諏訪繁治(すわしげはる)
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