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空母信濃 戦争の冷徹なる断面 [空母信濃]

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 遭難救助に見切りをつけた第十七駆逐隊は、
呉の軍港を目指して動き出しました。

 風が進路を急に変えたことで、この時、浜風の
舷側にいた電信班班長のところに、水しぶきが
上がりました。

 海面には、まだ遭難者が多数いました。しかし
ながら、数十人のために、駆逐艦が沈められるよりは
いいと、置き去りにされました。

 電信班班長は、待ってくれと叫びそうになりましたが、
救助された居候の身とあっては、駆逐艦司令に
言うことはできず、発言を封じるよりありません
でした。

 横須賀鎮守府司令に激励された強者たちは、
無意義な戦争の無残な犠牲となり、死への行進を
することになりました。

 これは、駆逐艦司令が冷酷だという話ではなく、
戦争の冷徹なる断面でした。戦争末期の日本軍は、
この傾向が特に強くなったと言えます。

 電信班班長が居住区に戻ると、遭難者は無雑作に
敷かれた帆布の上で眠っていました。電信班班長も
寝ることにしましたが、二度とこの様な目にあいたくない
と考えました。

 しかし、信濃が沈んだくらいでこれほどの打撃を
受けるのであれば、今まで敗戦を経験したことがない
日本が、敗戦に直面したらどのようになるのかと心配
でした。

(追記)
 第十七駆逐隊は、呉に向かう航海において、潜水艦の
尾行をまくため、之の字運動による航行を行います。
これは、旗艦の浜風が進路を決め、磯風と雪風は、
浜風の指示に従ってついていくというものです。

 当然のこととして、浜風が左右逆の信号旗を掲げたら、
互いに衝突する危険があります。実際、ミッドウェー海戦の際、
重巡洋艦の最上と三隈が、蛇行運転の指示ミスにより
衝突し、三隈が撃沈するという被害が出ています。


紹介書籍:沈みゆく「信濃」知られざる撃沈の瞬間  著者:諏訪繁治(すわしげはる)


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