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巡洋艦大淀 総員退去 [巡洋艦大淀]

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 敵の機動部隊が再度の襲撃をかけて きたのは、28日でした。24日に通信室を 破壊された大淀は、適確な情報は 得られませんでしたが、来襲は 予想していました。  多くの対空火器を失っている大淀は、 迎撃の砲火も途絶えがちであるのに対し、 敵機は、巧妙を極めました。  山陰から不意に現れ、機銃掃射で 甲板上の戦闘員を幻惑し、上空では 四方八方からそれぞれの高度をとって 交互に水平爆撃してきました。  さらに、水平爆撃の間隙をついて、 低空から急襲と、急降下で突入するという、 考えられる限りの猛襲を続けてきました。  立ち昇る水柱は、艦の周りを飛瀑の ようにさえぎり、視野の開けているのは、 艦の真上のみという状態が、断続しました。  この激襲に、さしもの大淀も力尽き、 刻々と右への傾斜を深め、必死に応戦 する甲板上の戦闘員も海中に滑り 落ちる者が続出しました。  艦は、炸裂する直撃弾や至近弾に 煽られるように傾きを深め、25mm機銃も 旋回不能となりました。  もはやこれまでと無念の涙を呑んで、 田口艦長は総員退去を命じました。 田口艦長自身は、防空指揮所に残ろうと しました。かし、艦首脳部の数名は、艦長の そばを離れず、退去の命令には応じません でした。  大淀は、急激ではないものの、次第に 傾いていきました。強靭さを証明するように 静かに横になり、左舷の真半分を水面上に 残し、擱座の状態になりました。  7月24日と、28日の戦闘で、大淀は、 223人の戦死者と180余の負傷者が 出ました。これは、乗り組んでいる乗員の 過半数の人員でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男


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