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巡洋艦大淀 大淀に乗った報道班 [巡洋艦大淀]

 1944年10月28日早朝、大淀と 若月は、新たな戦場へ向かって 出撃しました。  内地に帰投する伊勢や日向などの 甲板上では、手を振って見送る人の 姿が見えました。  小沢艦隊が出撃する時、新聞社から 派遣されてきた報道版の人達が大淀に 乗り込んできました。その中のひとりは、 大淀に残り、残りは空母に移っていきました。  その報道班員からは、「こんなよい軍艦に 乗せてもらっって、本当にいい取材が できました。軍隊で言うなら、私の取材は、 勲章ものですよ。」と会うごとにお礼を 言っていました。  また、よほど嬉しかったと見えて、 誰彼なしに、「強い軍艦だ。素晴らしい 巡洋艦だ。」と、褒めちぎり、世話を していた兵長が、「終いにはテレて しまったよ。」と言っていました。  この報道官は、探照灯座にカメラを ぶら下げて取材していましたが、味方の 艦が次々に沈んでいくのを見て、気が 気でなかったと思われます。他の報道班が 移動していった艦船は、すべて撃沈しています。  この人は、伊勢に移動して内地へ帰ることに なり、これから行く出撃には同行していません でした。小淵氏は、伊勢から手を振る人の 中にいたのではないかとしています。  大淀と若月は、快調に航行しており、敵潜水艦の 雷撃もなく、台湾海峡を通過し、南支那海を 南進しました。ところが、翌日になり、西沙諸島が 遠望される頃、竜巻が昇降しているのが見えました。  巨大な水柱が、天に冲し、上部は暗雲の 中に包み込まれていました。艦の上空は、 カンカン照り付けているのに、彼方の 水平線上では、突風が吹き荒れ、黒雲が 海水を天高く上げていました。  海神の怒りではないか思わせる光景でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 新たな出撃命令 [巡洋艦大淀]

 碇泊すると、内火艇や短艇が降ろされ、 各艦との連絡が行われました。駆逐艦に 収容されていた沈没した艦の生存者が、 大淀にも移動してきました。  皆、重油まみれの顔で、居住区の隅に うずくまっていました。まだ、死の彷徨から 脱しきれていないのか、能面のように 無表情で、誰も口をきこうとしてきません でした。うつろに開いている目に、 動きがありませんでした。  ところが、1時間ほどで、この人達は、 他の艦に移動となりました。どうした訳かと 思っていたら、大淀には出撃命令が 下りました。負傷者は、伊勢に移乗 しました。  出撃を命じられたのは、大淀と、同じく ほぼ無傷の若月でした。  日没近く、1隻の海防艦が、小型の油槽船を 護衛して入港しました。その油槽船から燃料を 補給した大淀と若月は、各感から機銃弾をかき 集めて搭載し、霜月からなけなしの高角砲弾を 全部譲り受けて搭載しました。  大淀の持つ10cm長砲身高角砲の砲弾を 持っているのは、現存艦隊では、霜月だけ でした。主砲用対空砲は、皆無の状態で、 出撃でしたが、大淀の乗員は、再度の出撃と 聞いて、意気は天を衝きました  それは、無傷で戦い抜いた誇りと、戦闘に 対する絶大な自信が、乗組員の士気を いやがうえでも高めていたからでした。 新たな戦いは、勇者の心を弾ませる ものでした。  夜遅くまで、出撃の準備が続けられ、 各艦から寄せ集めた機銃弾や高角砲弾、 消耗品などの積み込みを終わり、内火艇と 短艇を収容した頃には、夜半を過ぎて いました。  旗艦は、伊勢に移され、内地に帰投しました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 岡崎曹長 [巡洋艦大淀]

 水葬礼の海面をゆっくりと一巡した 傷心の艦隊は、英霊の冥福を祈りつつ、 再び静かに北上していきました。  この頃、小淵氏は、見張りの当直に 立ちました。しばらく見張っていると、 艦首方向を見張っていた見張員から 「前方に島が見えます」と報告して きました。  見張員は、一斉にその島を注視しました。 久しぶりに見る緑の島影でした。しばらく 眺めていると、「自分の見張り範囲を 忘れるな。こんなときが一番危ない。  艦隊が入港する直前に油断するのは、 敵は知っている。ぼんやりしていると、 艦の横腹を目掛けて、魚雷が突進して くるぞ。」と、怒鳴りつけられました。  この時怒鳴っていたのが、見張り指揮官の 岡崎曹長で、小淵氏が、大淀にはじめて 乗り込むときに、艇の指揮をしていた人でも ありました。昨日も、大淀は、敵潜の雷撃を、 見張りの発見で回避したということでした。  岡崎曹長は、見張りに特に厳しい人で、 夜間の見張り中に、背後からこっそり近づき 対物レンズを覆ってしまうことがありました。  居眠りしていると、これが分からないので、 時々手痛い目覚ましをもらうものがいました。  奄美大島が次第に近づいてきました。すると 二隻の駆逐艦が湾口の左右に進んでいって、 爆雷を投下し始めました。入口付近に数10発 投下され、その後、艦隊は湾内に静かに 進んでいきました。  湾内は鬱蒼とした亜熱帯林に取り囲まれ、 湖のような感じでした。岸辺には、人工的な 物は、一切見かけられませんでした。まるで 無人島のようでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 7人の勇士の柩 [巡洋艦大淀]

 伊勢、日向、大淀、五十鈴、若月、霜月、 槇、桑の8隻は、奄美大島を目指して北上 しました。激戦があった洋上は、何事も なかったように朝日がきらめいていました。  このゆるいうねりのみが残る決戦場を、 味方遊撃部隊の大いなる戦果を確信しつつ、 役目を果たし終えた小沢艦隊は、粛々と 去りました。  やがて第二戦闘配備が下命され、艦内では、 当直者を除き、全員が死んだように なって眠りました。  10月27日、もうすぐ奄美大島だという所で、 水葬礼が行われることになり、7名の棺が 後甲板に軍艦旗で覆われて飾られました。  艦自体はかすり傷ひとつない大淀でしたが、 これだけ多くの犠牲者があったということは、 いかに激烈な戦闘だったかを物語るもの でした。勇戦奮闘して散華した勇士の柩は、 午前10時20分に、一つずつ美しい海に 降ろされました。  送る人達は、一斉に挙手の礼をして葬送ラッパが、 尾を引いて鳴りました。物悲しい余韻を残し、消えて いきました。紺碧の海は、乗組員が馴じみ親しんで きたトラック周辺の海に似た色でした。それは、 戦さに疲れた者に安らぎを与える色でした。  澄み切った秋空からは、太陽が温かい光を 投げかけていました。風は止み、陽光にきらめく 海は、あくまでも穏やかでした。  「小なる犠牲はかえり見ず」とはいえ、共に 戦ってきた人達が、今、このように葬られることは、 心をかきむしられるように悲しいものでした。 戦闘は犠牲の積み重ねを必要としました。 兵士とはそのためのものでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 奄美大島へ帰投 [巡洋艦大淀]

 小沢長官は、「昼間の仇は討ってやる。」と、 なみなみならぬ決意の程を見せていました。 そして、他の駆逐艦や五十鈴には、沈没した 乗組員の救助が済み次第、本隊に続くように 命じました。  大淀、伊勢、日向は、敵水上艦との交戦は、 望むところと、勇躍して突進しました。敵は、 戦艦と巡洋艦など数10隻からなる艦隊と いうことでしたが、多いほうが張り合いが あると考えていました。  水上艦なら徹甲弾で良いと考えながら、 敵艦との交戦に、胸をときめかせていま したが、いくら進撃しても、敵艦隊発見の 報告はありませんでした。  伊勢や日向が鈍足なので追いつけない のだと、腹立たしくなってきました。数時間の 懸命の索敵でも敵艦隊は発見できず、東方の 空が、白み始めました。やむなく敵艦隊との 交戦を断念し、奄美大島へ帰投を命じました。  初月は、果敢に応戦し、敵中に突進して 魚雷攻撃を敢行しました。そのため陣形を 崩された敵艦隊は、五十鈴と若月を見失い、 孤軍奮闘する初月を攻撃しました。  敵艦隊は、初月を重巡洋艦と見誤るほどの 強靭さを発揮したということでした。敵数10隻と 猛闘した初月の乗組員は、雨と降り注ぐ敵弾に 全員玉と砕け散りました。  軽巡洋艦の多摩は、多くの被弾のため 各所を破壊され、5ノットという微速で 帰投中に、敵潜水艦の攻撃を受け、 本隊よりずっと離れた海域で沈みました。  昼に多摩の損傷を見ていた五十鈴は、 曳航のため近づきましたが、「救助不要。 貴艦のご健闘を祈る。」とだけ告げ、救援を 断ったということでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 敵艦隊からの砲撃 [巡洋艦大淀]

 瑞鶴が沈没して5時間以上経ちました。 小淵氏は、浮くものを見つけて、つかまった としても、絶望のどん底で耐える数時間が、 どれほど苦悩に満ちたものかと考えて いました。  小淵氏には、「頑張ってくれ。今少しの辛抱だ。」 と、心の中で叫ぶ以外には、なすすべはありません でした。伊勢、日向、大淀は、粛々と航行しながら、 救助に向かっている駆逐艦が帰ってくるのを 待っていました。  小淵氏らは、「こんな時が一番危ないのだ。 敵潜水艦がつけ狙って雷撃してくるからなあ・・・。」 と会話しているときに、「われ、水上艦船と交戦中。」 という無電が入ってきました。  救助に向かっている駆逐艦からで、 発令所員は、「敵潜の浮上攻撃だろう」と 話し合っていましたが、小沢長官は、伊勢、 日向、大淀に南下を命じました。  大淀は、伊勢と日向の全速に合わせ、 南下しましたが、砲撃音は聞こえません でした。  しばらく南下すると、敵か味方かわから ない艦船が近づいてきました。警戒しながら 確認すると、駆逐艦若月でした。若月からの 報告では、若月より北方で救助活動をして いた初月と五十鈴は、敵10数隻の水上艦が 砲撃してきたということでした。  この時、初月は、敵の集中砲火を浴びて、 火災が発生しましたが、巧みな操艦で敵の 電探射撃を回避しつつ、「我、敵水上機と 交戦中。マテ・マテ。」という終いの意味 不明の電文を発し、若月の視界から 消えたということでした。  小沢長官は、敵艦隊との交戦を決意し、 伊勢、日向を並列し、前方に大淀と若月を 配置し、敵艦隊を求めて南下しました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 日が暮れる [巡洋艦大淀]

 やがて太陽が沈み始めた頃、敵機も 次第に少なくなりました。  「日が暮れる」。この時ほど、日没が ありがたいことはありませんでした。 太陽は、地平線の雲を赤く染めて、 沈みつつありました。一日が終わり、 長かった日が暮れていきました。  小淵氏は、一息つくために、上甲板に 出ました。夕日の沈んだ洋上に向かって、 深呼吸しました。  ふと見ると、近くの物陰に、誰かが眠って いました。それは、高角砲の一番体力を使う 配置の人達でした。  やがて、戦闘配置に夕食が届けられました。 烹炊所の人達が、昼と同じように、握り飯を 運んでくれました。号令官が、「味噌汁も ほしいな」というと、それも届けられました。  発令所では、またにぎやかな夕食が 始まっていました。その時、艦内スピーカー から、「本隊は奄美大島に帰投する。」と 伝えてきました。  沈没した艦の乗員は、駆逐艦が救助に 向かうので、伊勢、日向、大淀は、低速で 北上するので、特に対潜警戒を厳重にせよ という通達がされました。  これを聞いて、発令所員は、沈没した 艦のことなど忘れていたことを思い出し、 シュンとなりました。戦闘中に、駆逐艦が 横付けして救助しているところは見ません でした。  沈没した艦の人達は、救助されるまで、 浮いていなければなりませんでした。洋上は、 不気味に静まりかえっていました。  そんな状態に置かれた時、救助されるという 望みを抱き続けることが、果たしてできるだろうか。 そのような時に考えられるのは、全部の艦が 次々に撃沈されてゆくことだけではないか としています。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 第7波来襲 [巡洋艦大淀]

 艦首脳部は、電探の情報に疑問を持って いましたが、準備は怠りなく行っており、 その上での敵機来襲でした。  雲が広がる中での迎撃と砲撃なので、 正確に敵機を捕捉するのは困難になって いました。  第7波からは、敵機は間断なく来襲し、 上空には20機から30機が常時滞空して いました。日没までに、小沢艦隊を全て 葬り去ろうという、必死に連続襲撃を はじめたようでした。  これに対し、残存の伊勢、日向、大淀、 五十鈴、若月、初月、霜月、槇、桑の9隻は、 ガッチリと防空陣を固めました。洋上補給が できなかった杉と桐は、燃料不足のため、 戦場を離脱していました。  ほとんどの艦は損傷しており、単独の 防御には限界が来ていました。それに、 各艦とも、対空砲団が残り少なくなって いました。そこで、向かってくる敵機にのみ 発砲していました。  大淀では、「砲弾がなくなったら、 カビエンの時のように、徹甲弾でも演習弾 でもぶっ放す。砲弾があるうちは、撃って 撃って撃ちまくるんだ。」と強気なことを 言っていました。  ついに主砲対空弾が底をつき、高角砲弾と 機銃弾が残り少なくなっていました。大淀は、 あまり長く戦うことができなくなってきました。 大淀の快速も、航空機と比べれば亀の歩みで あり、限界がありました。  朝から400機以上の敵機を迎撃して いるので、いくら節約しても砲弾は足りなく なります。ついに徹甲弾をうち始めました。  今は、太陽が沈むのを待つしかない というのが、実情でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 第6波来襲 [巡洋艦大淀]

 第6波の来襲は30機ほどであると 報告がありました。発令所は、手順通り 機器を動作させ、準備よしを砲術長に 報告しました。各配置の準備が整い、 主砲が咆哮するのみとなりました。  今回の来襲は、カビエンの戦闘の時より、 味方に損害が多いのが気がかりでした。 6度目の来襲は、大した機数ではなく、 激しいとも感じませんでした。  大淀は、快速で突っ走っており、 攻撃されにくいようでした。さらに、 正確な対空砲撃で近づけないのか、 至近弾もあまりありませんでした。  小淵氏も、6回も襲撃されたため、 至近弾では気にならなくなりました。 「大淀は、絶対沈みはしないぞ。」と 誰もが自信に満ちて戦っていました。  いまだに完全無傷であることからくる 自信でした。大淀は、いつまでだって 戦えると叫びたくなりましたが、そろそろ 対空砲弾が少なくなっていました。  第6波も30分ほどで終わりました。 上空は、いつしか雲量も増して、青空も ところどころしか見えなくなっていました。  青空から、突如敵機が降って湧いたように 出現し、またしても対空戦闘のラッパが 鳴り響きました。  第6波が去ってから10分と経っていない 時刻でした。雲が多く、遠距離での発見は できませんでした。電探は、正確な距離が 出ないので、機影を確認するまでは 信頼できませんでした。  この時、大淀の電探は、かなり遠距離の 雲の中の敵機を捕捉していました。しかし、 あまりにも遠距離なので、艦首脳部は かえって疑問に思えたようでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 比叡での思い [巡洋艦大淀]

 小淵氏が、甲板の片付けに行こうしたところ、 あまりのその必要がないとなり、行かなくても 良くなりました。  甲板上に破壊されたものはなく、機銃や 高角砲も砲弾がなくなるのを心配して、 節約しながら撃っているということ でした。  小淵氏は、休息のために上甲板に上がり ました。上甲板の戦闘配置の人は、砲煙で どす黒くなったところに、太陽の直射を 受けるので、誰も彼も赤黒い異様な 人相になっていました。  小淵氏は、知り合いの単機銃手に、 「敵機を撃ち落としたか」と、声をかけ ました。  すると、「近づいてくる前に主砲や 高角砲が落としてしまう。少しこっち にも回してくれと砲術長に言って やってくれ。」と高笑いして いました。  この頃から、上空に雲が広がって きました。昨日ほどではないものの、 半分くらい青空が遮られていました。 それに炸裂した砲弾の煙がたなびいて いるので、薄暗い感じでした。  砲撃を止めてから30分近く立った頃、 第6波が来るだろうと考え、配置につき ました。いつもはにぎやかな発令所は、 第4波の来襲時に戦死者が出たことで、 シュンとしていました。  上曹と兵曹が話をしていました。聞くと、 以前乗っていた比叡で、トップ伝令が戦死し、 代わりを出したら、その伝令も死んでしまった ということでした。今回戦死した方位盤手も 一緒に比叡に乗っていた人だったということ でした。  小淵氏は、比叡が猛闘した時の話を固唾を 呑んで聞いていました。その時、敵機来襲 という報告がなされました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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