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巡洋艦大淀 夕闇に 帰る我が家に 梅香る [巡洋艦大淀]

 小淵氏が乗ったトラックは、すっかり 暗くなった道を、砂ほこりをあげて 突っ走っていきました。  途中、峠のようになったところで、燃料を 補給するということで、マキをかまの中に 継ぎ足して、手回しの風車で風を送って いました。  この時代、ガソリンの一滴は、血の一滴と 言われていたので、民間の自動車は、全部 マキか木炭を燃料にしていました。燃料の 補給は20分ぐらいかかりました。トラックは、 再び走り出しました。  やがて、中之条に着きましたが、灯火管制で 暗闇でした。通りを歩いている人影もありません でした。町を出て、外れた所で、降ろして もらいました。  小淵氏は、運賃を取ってもらおうと しましたが、受け取ってくれませんでした。 そこで、戦給品の桜と光を数個お礼に 渡しました。  小淵氏にとって、なんとお礼を言っても、言い 表せない気持ちでした。  村の入口に立った小淵氏は、入団の時に ここで見送ってもらった日のことを想いました。 あれから、1年半しか過ぎていませんが、 遠い出来事のように想えました。  故郷の山々は、まだ雪に覆われており、 暗い夜道でしたが、ほのぼのとした気分に なりました。見慣れた家々や森、林が、無言で 出迎えてくれているようでした。  小淵氏は、即興で、 「夕闇に 帰る我が家に 梅香る」 という句を作りました。  路地脇に早咲きの梅が匂っていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 歩いて帰省 [巡洋艦大淀]

 休暇の順番が来て、サイパン島のお土産に 渡された砂糖の配給と、トラック島で拾った サンゴを土産に、郷里へ帰ることにしました。  上野駅から上越線に乗ったのは5名ほど でしたが、高崎で皆、降りてしまいました。 小淵氏は、見覚えのある渋川駅で下車 しましたが、故郷まではまだ距離がありました。  バスも、もうこない時間帯となっていました。 仕方なく、歩いて帰ることにしました。近くの 店先で、道順を聞き、約20kmくらいだと わかったので、一刻も早く家に着くように、 一泊せず、すぐに歩き出しました。  榛名山からのおろしが吹き抜ける中、 歩きだすと、寒さが身にしみました。それでも 軍人として、みっともない格好はできません でした。  やがて教えられた大きな木橋に着き ました。ここで、渋川の町を外れたことに なりますが、距離は5kmくらいでした。橋を 渡り、少し行くと、左に入る道があり、これが、 中之条まで続く道でした。  道路の両側は桑畑になっており、ところ どころ農家が点在していました。畑のくぼみに 雪が残っていました。しばらくすると、当たりが 薄暗くなってきました。  この時、後方からトラックが来ました。道端に 避けると、トラックが小淵氏の前に止まり、 「兵隊さん。どちらまで行くのですか。」と 尋ねられました。小淵氏が、中之条の先の 折田までですと答えると、「中之条は通るので、 乗りませんか。」と、誘われました。  小淵氏は、一刻も早く家に着くように、 駆け出したい衝動がありましたので、この 誘いは嬉しく、乗っていくことにしました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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