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巡洋艦大淀 次兄と面会 [巡洋艦大淀]

 母校をあとにして帰る途中、積もっている雪を 掘り出して、口の中に含んでみました。後から 低学年の女生徒が、珍しそうについてきました。 振り向くと、皆笑い出しました。  小淵氏は、南洋での行動で、真っ黒に 陽焼けした原住民のようになっており、それが、 白い雪をかじっているのが面白かったようでした。  家に帰ると、前の家のおばさんが、鶏卵を 10個ほど持ってきてくれました。小淵氏より 2歳年上の息子が、入団したということでした。 どこか出会ったら、皆元気だと伝えてくれと 頼まれました。  翌日、世田谷にある砲兵連隊に入営 している次兄のところへ長兄が面会に 行くということで、小淵氏も一緒に行く ことにしました。  砲兵連隊の面会所に行き、しばらく 待っていると、衛兵所に面会の申告を して、新兵たちが入ってきました。  何番目かに兄の声がして、面会の 申請をしているのが聞こえました。兄は、 兵役はなかったのですが、30歳近くに なってから入営でした。  面会所で、義姉から渡された食物を、 むさぼるように食べる兄を見て、 小淵氏は直視できませんでした。  新兵生活を体験してきた小淵氏に とって、年をとってから強いられる兄を 思い、胸をえぐられる思いでした。  そして、「まだこどもだから、軍隊生活は つらいだろう。」と、小淵氏を心配してきました。 「海軍には馴れたし、5月には兵長に昇進 するので、大丈夫だよ。」と返事すると、 微笑みましたが、なんとなく翳りが ありました。  許可された面会時間は、過ぎようとして いました。その間、あまり語ったわけでは ありませんでしたが、肉親だけに心は 通じていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 国民学校に行く [巡洋艦大淀]

 家についたのは、午後9時半頃でした。 しかし、家からは明かりが漏れてきません でした。もう寝てしまったのかと考えました。  小淵氏は、「ただいま。休暇で帰ってきたよ。」 と板戸を開けると、暖炉に父と兄がいました。 「よく帰ってきたね。」と迎えられました。  早速仏壇に線香をあげ、泣き母や先祖の霊に 帰郷を報告しました。これは、働きに出ていた 姉たちが、帰ってきた時必ずしていたことでした。  3歳になる兄の長女が、盛んにはしゃぎまわって いました。妹は、学徒動員で、中島飛行場に行って いました。この家には、父と兄夫婦と3歳の娘の 4人暮らしとなっていました。  翌日、墓参を済ませてから、氏神様へ御参りし、 その足で国民学校にいきました。二日前、降った 雪で、校庭は覆われていました。窓から、妹の 同級生が、小淵氏を見つけ、大声で知らせて いました。  教員室に入ると、担任だった伊能先生が、 校長先生に紹介してくれました。そこへ、別の 先生が来て、生徒に何か話してくれと言われ 連れていかれました。  連れていかれた教室は、小淵氏の2つ年下の 生徒の教室で、顔見知りでした。聞くと、この中に 海軍の電測兵に合格している者が一人いると いうことでした。後輩に、海軍に入る者がいると 聞き、小淵氏は嬉しくなりました。  小淵氏にとって、国民学校は特別の思いが ありました。この学校の校訓が、至誠と規律・ 勤勉・自治・協同となっており、これは、 小淵氏にとって終生の人生訓となって いました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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