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巡洋艦大淀 サイパンへの出撃命令 [巡洋艦大淀]

 翌日、片舷当直となった小淵氏は、 見張り、衛兵、艦内整備作業で、1日が 終わりました。翌朝、上陸者が帰艦すると、 出撃準備が下命されました。  朝からどんよりと曇っていましたが、 やがて白いものがちらちらと舞い降りて きました。それが次第に激しくなり、 横須賀では珍しい大雪となりました。  雪の降りしきる前甲板に総員集合が かけられ、艦長から作戦命令の伝達が ありました。  「敵の反攻が開始され、サイパン島に 危機が迫っている。本艦は、重要物資を 搭載して、これよりサイパン島に赴く。  この重大任務を遂行するために、大淀は 選ばれた。この度は、一艦のみの行動で あるから、各員心して励んでもらいたい。」 というものでした。  サイパン島までの航路は、敵潜水艦の出没が 激しく、船足の遅い艦では、島への到着は、 難事だということでした。それに、サイパン島の 周辺は、敵艦隊が続々と集結中という噂でした。  午後になると、大発や、ダルマ船などが、 物資を満載して艦のまわりに集まってきました。 雪は、小止みなく降り続いていました。左右の 舷側に横付けされた船から、各種の物資が デリックで吊り揚げられ、甲板上に降ろされ ました。  その物資を格納庫の中や、甲板上に積み 上げて、整理してゆくのは、すべて乗組員の 人力でした。主砲弾、高角砲弾なども補充され、 規定量が積み込まれました。  飛行機の補助タンク、爆弾、ガソリン、 弾薬類、航空用魚雷がありました。雪中での 作業で、艦内靴は、ぐしょ濡れとなり、事業服も 汗と雪で、すっかり濡れてしまいました。  はじめのうちは、手も足も痛いように 冷たかったが、しばらくすると体中から 湯気が立って、湯上がりのように火照って きました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 半舷上陸 [巡洋艦大淀]

 艦は、港内へどんどん進んで行きました。 左手に砲術学校の勝力崎や練兵場が 見え出し、戦艦山城の雄姿も 現れました。  その少し奥に、秘密ドックで建造が急がれて いる空母信濃の艦橋も見えました。それ以外の 軍艦は見られませんでした。  その夜は外出の許可はおりませんでしたが、 翌日から、半舷24時間の上陸許可が通達 されました。遠方まで、外出して良いと言う事 でした。小淵氏は、翌日が上陸日でした。  小淵氏は、一緒来た山本兵曹の案内で、 東京の下谷にいる姉を尋ねましたが、新潟 出張でいませんでした。せっかく来たという ことで、浅草の観音様をお参りしようということに なりました。  本来、浅草の観音様はにぎやかな場所ですが、 戦時中のせいか、あまり人もおらず、寒々しい 境内でした。広い池の上を藤棚が覆っていました。 その幹の太い藤は、かなりの樹齢だと思われました。  その後、亀戸に行き、もうひとりの姉が 勤めている鳥居病院を尋ねました。姉は びっくりして出てきました。早速、応接間に 迎え入れられ、しげしげと見つめてきました。  山本兵曹と一緒に、下谷の姉を尋ねたが 居なかったと話すと、山本兵曹に礼を言って いました。1時間ばかり、姉のところを辞し、 山本兵曹の親戚がいる渋谷に向かいました。  山本兵曹の親戚の家は、道玄坂にある 立派な構えをした果物屋でした。そこで夕食を 御馳走になり、横須賀に帰り着いたのは、 夜の10時頃でした。  その日の夜は、山本兵曹の下宿に一泊し、 翌朝大淀に帰還しました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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