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巡洋艦大淀 海軍水兵長に進級 [巡洋艦大淀]

 内地は、春たけなわとなりました。陽光も うららかな日々が続き、サイパン島や、 ブラウン島等では、激戦が展開されて、 テニアン島等は、敵の大艦隊に取り 囲まれて、危機に瀕していました。  5月1日は、下士官の定期昇給日に なりました。この日、小淵氏は、海軍水兵長に 進級しました。前甲板に整列した各級の 進級者は、艦長からそれぞれの任命を 受けました。  しかし、乗組員の移動が少なかった大淀 では、小淵氏らが、下っ端兵でした。やがて、 改装になった大淀に、豊田副武大将や、 草鹿龍之介中将以下の将星を多数引き 連れて、座乗しました。  栄えの連合艦隊旗艦となった大淀は、 その日から司令長官旗をなびかせました。 それと前後して、大淀二代目艦長の篠田 大佐が、山城艦長に栄転され、三代目に、 阿部俊雄大佐が着任されました。  旗艦となってから大淀は、横須賀に しばらく停泊していましたが、あ号作戦 開始と同時に、木更津沖に停泊する ようになりました。  そして、戦闘訓練が猛烈に行われる ようになりました。今まで、臨機応変の 訓練でしたが、早朝に始まって、午前と 午後と訓練が続き、薄暮訓練に夜間 訓練と、ひっきりなしの訓練で息も つかせぬほど、凄まじい戦闘訓練に 明け暮れました。  旗艦になってからの大淀は、上陸も めったに許可されず、時々、半舷上陸が あるくらいでした。しかし、その時間は、 8時間で、うち2時間は、大発による 往復の時間でとられ、実質6時間 でした。  さらに、連合艦隊旗艦となると、乗員は、 色々気を使わなければなりませんでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 連合艦隊旗艦となる [巡洋艦大淀]

 面会を終えて渋谷に出た長兄と小淵氏は、 ホームの階段で別れました。中之条に行く兄は、 池袋から上野駅へ、小淵氏は、品川から 横須賀線に乗りました。  午後3時頃、横須賀に着き、下士官兵の 集会所で時間を過ごし、3泊4日の休暇は 終わりました。しばらくして長兄から手が 来ました。「階段をあがる後ろ姿を見て いたら、涙が出てきて仕方がなかった。」と ありました。  兄たちは、小淵氏をいつまでも子供だと 心配しているようでした。次兄は、終戦後、 山の中から投降したところ、機銃で掃射 され戦死したということでした。  3月になり、大淀は、連合艦隊旗艦に なるための改造に着手しました。軽巡洋艦と 言っても、大型な大淀は、その特異な艦体を 利用して、改造が進められました。  高速水偵を6機も積める格納庫が、幕僚室と なり、世界最長のカタパルトも、普通のものに 取り替えられました。  偵察機も2機となり、電探は新型に取り 替えられました。そして、25mm機銃を、 随所に増設しました。4月に入ると、 兵学校を卒業した候補生が10数名 乗艦し、従兵はますます忙しくなりました。  候補生の歓迎会がガンルームである ということで、食堂は大賑わいでした。 候補生は、童顔の若者で、小淵氏は、 自分より若いのではないかと思えました。  この候補生が艦内でまごついているのを 見ると、滑稽でした。しかし、「おい、従兵・・・」 と呼び出され、眼の回るような毎日となりました。  大淀の旗艦としての改造は、4月の末には、 ほとんど終わっていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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