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巡洋艦大淀 大淀川 [巡洋艦大淀]

 大淀は、名前の由来である大淀川が そそぐ海域を、粛々と決戦場に向けて 航行していました。  大淀川は、宮崎県の中央部を横切って 流れる川で、流域は多くの台風が上陸する ので、激しく荒れ狂う川ということでした。 大淀の守護神である宮崎神社も大淀川の 流域に、祭られていました。  台風の季節でしたが、日向灘はすっかり ないでいました。灘と呼ぶには、あまりにも 穏やかな海原でした。  やがて、九州南端を出外れ、太平洋に 乗り出した艦隊は、単縦陣をといて航行 しました。この頃には、九州は水平線の 遥か彼方に消え去ろうとしていました。  ここで、戦艦伊勢と日向が並列し、 続いて、瑞鶴、瑞鳳、千代田、千歳と 二列になりました。その前方に、巡洋艦 3隻が張り出し、左右と後方を取り囲む ように、駆逐艦が配置された輪形陣と なりました。  輪形陣となった艦隊は、ジグザグ航法で 次第に南下しました。変針の際は、一斉回頭 するので、大淀は、先頭になったり、左舷に 伊勢谷日向を見たりしながらの航行でした。  小淵氏が、大淀に乗り込んでから約1年が 経ちましたが、このような大艦隊での戦闘 行動は、一度も経験がありませんでした。 (本来なら、マリアナ沖海戦の時に、連合艦隊 旗艦として豊田長官を乗せて、戦場に向かうべき だったと言えますが)。  この時の艦隊は、全部で17隻ですが、全部の 排水量を合計すると20万t近くなり、その浮城の 群れが時速40km余りの速度で進撃しているので、 まさに威風堂々というにふさわしい出撃でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 機動部隊出撃 [巡洋艦大淀]

 最後の夜、澄み切った空には、上弦の月が 蒼く輝いていて、そぞろ肌寒さが感じられる 中秋でした。  諸艦は、静かな海面に、黒々とした影を 浮かべ、静寂な時が流れていました。大淀の 艦内は、いつもと変わりなく、巡回が行われ、 甲板整列がありましたが、精神棒の制裁は ありませんでした。  「艦長の訓示を守って頑張るんだ。 自分が行きたかったら、この艦を沈めない ことだ。どんな事があっても、へこたれるんじゃ ないぞ。みんなして頑張るんだ。」と、 古参兵長の訓戒が終わりました。  10月20日、出港用意のラッパが鳴り響き、 機動部隊出撃のときが来ました。さわやかな 秋風に送られながら、各艦は、行動を 起こしました。月級駆逐艦を先導に、 大淀、五十鈴、多摩と進みました。  その後に、瑞鳳、瑞鶴、千歳、千代田、 伊勢、日向が続き、後衛に丁型駆逐艦が 従っていました。これが、内地に合った 帝国海軍の全容でした。  九州東北方の洋上を単縦陣で静かに 南下する機動部隊の晴れ姿を、太陽は 暖かな光を投げかけて、見送ってくれ ました。右手はるかに別府の温泉街が 見えていました。  艦上からは、遠距離のため人影は 見えませんでしたが、この堂々とした 艦体行進を、九州の人達は、手を 振って見送ってくれているに 違いありませんでした。  艦隊は、伊予灘から佐多岬を迂回して、 豊後水道を通り、日向灘に入りました。 ここは、戦艦日向にとっても大淀にしても ゆかりの深い土地でした。この日向灘は、 名前の由来の大淀川が、そそいでいたから でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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