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巡洋艦大淀 牟田口艦長 [巡洋艦大淀]

 大淀は、機動部隊本体(敵艦を引き 出すための囮部隊)に編入されました。  母港の横須賀で、最後の日没を待って いました。秋の陽は、またたく間に沈み、 黄昏の中に威勢のよい出港用意の ラッパが鳴り響いていました。  黒々とした影を、静かに滑らせて、大淀は 母港に不帰の別れを告げ、東京湾に進み ました。懐かしい三浦の山々も、港を取り 巻いている全てのものも、闇にかすんで、 シルエットしか見えませんでした。  艦尾にほの白い航跡を曳いて、東京湾を 進む大淀の艦内には、八百の熱血がたぎって いました。小淵氏は、「全艦ことごとく撃って 出る。」という言葉が、良い響きとなって いました。  あのもの静かな艦長の言言血を吐く 訓示に、乗組員は誰も感極まっていました。 牟田口艦長は、威厳がありましたが、 近寄りがたいものではありませんでした。  凛々しい姿ではありましたが、その顔は、 慈父の愛を想わせる瞳がありました。時折 艦内をまわって、静かな眼差しで乗組員の 動作を見ていました。そのような艦長に、 乗り組みの下士官は、全幅の信頼を 抱いていました。  大淀は、快速で、伊豆南端を通り、 紀伊半島を迂回して鳴門の海を進んで いました。夜明けの鳴門海峡は、 素晴らしい景色でした。  10月初旬にガンルーム従兵の役を 代わった小淵氏は、再び見張り当直が 割り振られました。艦は夜明けの 瀬戸内海に入り、航海の護り神と 言われている金毘羅宮の近くに 差し掛かりました。  ここで、乗組員から航海安全の祈願が 込めらた御賽銭が集められ、艦の模型の 中に納められました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 滅私奉公の気概 [巡洋艦大淀]

 牟田口艦長の訓話が続きました。  「今、航空隊は体当たりたいという決死の 勇士によって編成された飛行機が、大型 爆弾を積んで、1機でもって敵の1艦を 屠るべく、肉弾となって敵艦に体当たりを 敢行して入る。」  連合艦隊の中でも特に優れている本艦は、 乗組員が挙艦一致してことに当たるならば、 どこへ出ても恐れることはない。  見張員が、5000mの距離の雷跡を 発見したならば、本艦は、ゆとりを持って、 回避できる。  30000mで敵機を発見したならば、 砲術関係者は、日頃の腕に物を言わせて、 必ず仕留めるだろう。  全員が一致団結してことに当たるならば、 大淀1艦のみにても、神出鬼没の行動で、 海賊のように思う存分暴れまわることも できよう。」とし、全員に強烈な決意を うながしています。  その力強い訓示は、乗組員の脳裏に 焼き付きました。「この艦長とともに 死すべし。」と、乗組員は、全員が、 滅私奉公の気概に燃え立ちました。 (追記)  戦場に出て、撃沈したら軍艦と運命を ともにすることが多かった艦長は、この ような気概を持っていたと言えそうです。  一方で、大淀に先日まで乗艦していた 豊田長官や、草加参謀などに、このような 気概があったかは、疑問がつきます。  長官がこのような気概を持っていたので あれば、大淀に乗り込んだまま、レイテ沖に 出撃するくらいはしたと思われます。  長官が、戦場に行く事の是非はありますが、 レイテ沖海戦は、敗北=日本の敗戦となるので、 最後の奉公とすべきだったと言えます。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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