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巡洋艦大淀 着底 [巡洋艦大淀]

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 その後、大淀は、第四波、第五波と来襲する 敵機の大群に、艦中央の右舷に直撃弾を受け、 4番砲塔が破損しました。  大淀は装甲が薄く、軽快な動きで回避する ことが得意な艦ですが、この時は、前後を 繋留され、動くことはできませんでした。  損傷した大淀は、砲撃能力が激減し、その 虚をついて投下された爆弾が、第二砲塔背後の 通信室を貫通し、中甲板で炸裂し、通信室は、 跡形もなく吹っ飛びました。余波で、艦橋や 防空指揮所にいた数10名も死傷しました。  下甲板も火を発し、下甲板以下の配置の者は 脱出不能となり、主砲弾薬庫も誘爆の危機となり、 注水が命じられ、弾薬庫員は、艦を救う人柱と なりました。  かつて小淵氏がいた主砲発令所員も閉じ 込められ、脱出不能となりました。通風口を 切断して救助されたのは、敵機襲撃後 10数時間も経過してからでした。  午後4時に、敵機は姿を消しましたが、 大淀艦内は、火災が猛威をふるい始め、 爆風で飛散した機銃弾が各所で 誘爆し続けていました。  通信室の炎は、防空指揮所まで燃え 上がりましたが、指揮を取っていた 田口艦長は、足下にせまった劫火の 上で、不動明王のように立って 指揮していました。  大淀は、破口からの侵水で右に傾きつつ ありました。この状態で意を決した艦長は、 キングストン弁の開放を命じ注水しましたが、 着底していた大淀は沈下せず、復舷しました。  大淀は、この戦闘で百数十名の戦死者と、 百名前後の負傷者を出しました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男


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