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巡洋艦熊野 機関員の奮闘 [巡洋艦熊野]

 熊野は、煙突の跡から、黒煙を吐き出し、
青空を舞い上がっていきました。

 熊野は、潮のままに漂流していました。
機関科指揮所からの報告は、まちまち
でした。

「缶は、見込みがあり、30分ほどで動ける模様。」
という報告があれば、
「二時間はかかる。」
「動く見込みなし。」
というものもありました。

 一時、ノロノロ動き出しましたが、また
止まってしまい、機関科員の懸命な努力が
続けられました。

 これを見て、人見艦長が、「機関科に
甘いものと冷たいものを、どんどん
出してやれ。」と、命じました。

 艦橋にも、サイダー、乾パン、みかんの
缶詰などが上げられ、立食しました。
死傷者は、下に運ばれ、破壊された
兵器以外は、戦闘準備を完了しました。

 この頃、対空電探が、敵機の編隊を
とらえました。そして、見張りから、
40機の編隊を発見したという報告が
来ました。

 これだけ、航行不能の熊野に殺到したら、
結果は沈没以外ありえませんでした。

 すると、人見艦長は、「来はせんよ。
これだけやられているのに、かかってくる
ようなやつの、弾は当たらんさ。」と平然と
言い放ちました。そして、艦長の目論見通り、
敵編隊は熊野の方には、来ませんでした。

 漂流2時間あまり、正午前にようやく
1缶だけ修理ができ、艦尾に航跡が現れ、
舵が効き始めました。

 煙突跡から上がる黒煙はすさまじく、
低速で追風のため、艦橋は時折スス臭い
煙に襲われ、そのつど手拭いで顔を
覆って防ぎました。

 人見艦長は、目標をコロン湾から、
ウルガン湾に変更しました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 被害状況 [巡洋艦熊野]

 爆弾を受けた熊野は、速力が落ち、
航跡が小さくなっていきました。
敵機は、乱舞していました。

 機関科から、缶室火災の報告がありました。
熊野はほとんど停止し、空襲は途絶え、
対空砲火も沈黙しました。

 そこに、見張りから、
「雷撃機が突っ込んでくる。」
という報告がありましたが、停止している以上、
避けようがありませんでした。機銃が、
雷撃機に迫り、曳痕弾が赤い尾を引いて、
飛んでいきました。

 雷撃機が投下した魚雷は、かなり遠く、
熊野の前方を通過していきました。敵機が
去り、戦闘が終了すると、左近允氏は、
改めて、艦橋周りを見渡しました。

 爆弾は煙突に命中したらしく、大きな煙突の
艦首より8割ほどが、焼いたスルメのように、
しわくちゃな一枚の鉄板と化していました。

 煙突の中で爆発したようで、付近の高射器、
高角測距儀は、破壊されるか黒焦げで、
壊滅に近い状態でした。

 マストの近くにあった対水上電探室もひどく
やられており、全部の缶室は火を吹いて、
たちまち航行不能に陥りました。

 艦橋左舷から見下ろすと、航海科倉庫付近の
構造物を吹き飛ばし、三番砲塔の左にある
機銃にいた乗員は全滅していました。

 操舵室の窓を破って飛び込んだ弾片は、
数名の操舵員に重軽傷を、おわせていました。
銃撃による死傷者も多く、その交代に忙しく
動き回っていました。

 「上空しっかり見張れ。」「どんどん弾を運べ。」
という声とともに、高角砲の薬莢が、ガラガラ音を
立てながら片付けられ、新しい砲弾が準備されて
いきました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 26日の空襲 [巡洋艦熊野]

 空襲が終わると、待ち遠しかった夜に
なりました。左近允氏は、鉄兜や、防弾
チョッキを脱いで、身軽になり、夜風が
流れていきました。

 この日の夜は、潜水艦の襲撃もなく、
24日に撃沈した武蔵が眠るシブヤン海を
抜けて、26日の朝、ミンドロ島南方に差し
掛かりました。一晩航行を続けましたが、
まだ、敵機の行動版範囲内でした。

 当面の向かう先であるコロンの島が、
前方の水平線上に見えてきました。
そこには、油槽船が待機しているはず
でした。熊野の燃料は、ブルネイに
直行するには、不足していました。

 夜が明け、強い陽射しに島々が輝き
始めた頃、対空電探が、敵機らしきものを、
探知しました。そして、熊野に徐々に
近づいているようでした。

 しばらくすると、機影が見えてきました。
やがて、熊野の上空で、敵編隊が旋回を
はじめました。今回は合計32機で、昨夕と
似た状況でしたが、海面が広いので、
行動に制約はありませんでした。

 敵の編隊は、悠然と高角砲の射程付近を
旋回しました。まもなく、戦闘隊形に移った
敵艦上機群は、熊野に爆撃、銃撃、雷撃を、
放ってきました。

 熊野は、すかさず応戦し、凄まじい音で、
航海長の号令が、とぎれとぎれに聞こえて
きました。なんとか回避し続け、最後の
SB2C3機が、左上方から突っ込んで
きました。

 1番機、2番機の投弾はかわしましたが、
3番機の投弾後、左近允氏は、飛び上がり
ました。爆弾が命中したようでした。

 艦橋上部に張り巡らした電纜が切れて
ぶら下がり、マグネットコンパスが、
転がり落ちました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 激しい敵機の攻撃 [巡洋艦熊野]

 敵機が再び来襲してくるのが分かり、
左近允氏は、見張員に、敵機が魚雷や
爆弾を持っているかを、尋ねました。
相当持っているという返事が来ました。

 何分か経過し、戦闘が再開されました。
右上方から、SB2Cが、突っ込んで
きました。

 13mm機銃弾を浴びせ、弾丸を
投下するや引き起こして遠ざかり
ました。

 弾着は近く、ビリビリとこたえました。
機銃弾が、船体に食い込む音が、耳を
うちました。さらに、異なる方向から、
5本の魚雷が来ました。

 これだけの魚雷が来ると、全てを回避
することは、困難でした。当たる当たらないは、
運次第でしたが、この内一本が、熊野に当たり
そうな進路をとってきました。人見艦長以下、
この一本を凝視しました。

 魚雷は、艦の中部は避け、艦尾に迫って
いきました。当たるかと感じましたが、
ぎりぎりかわしたようでした。この後も
魚雷を投下してきましたが、白い尾を
引いており、かわせそうでした。

 見張員から、「右に零戦3機」という報告が
ありました。遅まきながらありがたいと
感じました。

 右に目を向けると、TBFが1機撃墜されて
いました。左舷を見ると、零戦がTBFに
追われており、左近允氏は、逆じゃないかと
感じました。


 しばらくして戦いは終わり、敵機も味方の
機体も去っていきました。熊野は、至近弾で、
艦艇の一部に浸水しましたが、航行に支障は
ありませんでした。しかし、機銃掃射による
死傷者が各部に出ていました。

(追記)
 この日(1944年10月25日)に、
同型艦の鈴谷は、敵の空襲による火災で
撃沈しています。

 また、同じ同型艦の最上は、別の海域で
戦闘を繰り広げて、大破後に、味方駆逐艦に
よって、処分されています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 狭い海域での回避運動 [巡洋艦熊野]

 敵機は、TBF20機と、SB2C10機の
合計30機でした。厄介な相手でした。

 急いで、一番砲塔に掲げていた日の丸を
引っ込めました。増速が命じられましたが、
その分、航跡が大きくなりました。敵編隊は、
熊野の周囲を旋回していました。

 対空戦闘の準備ができ、熊野の波を切る音と
爆音が交錯するうちに、不気味な時間が
刻一刻と経過しました。

 島に囲まれた海面は、運動力の大きい
熊野にとって、やや狭く、しかも、
付近には、機雷を敷設したところが
あり、そこを避ける必要がありました。

 主砲と高角砲、機銃が火をふきました。
編隊の近くには、黒い花が、点々と音もなく
開いていきました。SB2Cの編隊は、高度を
上げて、縦隊を作り、TBFは散開して、高度を
下げました。

 敵機による、雷撃と爆撃の同時攻撃が
始まりました。熊野の左右に、次々と
水柱が上がり、機銃弾が、雨とそそぎ、
四方から魚雷が這い寄ってきました。

 水柱の飛沫が、艦橋をたたいていきました。
一瞬、攻撃が途絶えた時、伝声管から航海長の
声がしました。それは、左近允氏に対して、
機雷の状況がどうか尋ねるものでした。

 左近允氏は、回避運動で大きく傾いている
艦橋で、脚をふみしめて、コンパスを抱え、
急いで島の頂きや先端の方位を測りました。

 そして、海図台に走り、海図に三角定規を
当てて、測定しました。黒っぽい海水が
くっつき、やりにくかったものの、
なんとか割り出し、航海長に
報告しています。

 敵は、攻撃を終えましたが、旋回して、
再度来襲する気配を見せていました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 サンベルナルジノ海峡に入る [巡洋艦熊野]

 艦艇から航空機の識別をするのは、
九九艦上爆撃機のように、脚が
引っ込まないものは例外として、
相手は小さく、ほとんどが単葉の
低翼か、中翼なので、かなり
難しいと言えます。

 正面からとなるとほとんどお手上げ
でした。しかも、瑞雲は、はじめて見る
機体なので、なおさらと言えます。

 マリアナ沖海戦において、敵機動部隊に
向かった大編隊が、味方識別のバンクを
しなかったことから、熊野を始めとした
艦艇が対空砲火したことがありました。


 午後3時30分前後、味方の編隊を
見かけました。零戦と九九艦上爆撃機
39機の編隊でした。

 それまで10機以上の編隊は、敵だと
思って間違いはありませんでした。
そのため、この編隊は頼もしいと
感じました。帽子を振って、攻撃隊の
成功を、心からお祈りしながら、
搭乗員を見送りました。

 予定より早く、日没1時間前に、
サンベルナルジノ海峡に入りました。
これから、前日とは逆のコースを通って、
フィリピン中部を、西進して、コロン湾に
向かいました。

 熊野は、速やかに敵機の行動圏を脱して、
戦力を回復する必要がありました。空襲の
恐れがない夜になるのが、待たれました。

 海峡の最狭部を通過してまもない、
午後5時過ぎ、にわかに艦橋の付近が
ざわめきまいた。見上げると、小型機が
4機見えました。

 人見艦長が、左近允氏に、「敵か、味方か」と、
尋ねてきました。左近允氏は、眼鏡で確認し、
敵機であることを報告しました。

 すぐさま対空戦闘のラッパが、鳴りましたが、
これが合図になったように、次々と敵機が
現れました。


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著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 味方からの爆撃 [巡洋艦熊野]

 味方の水上機を追い払った後、見張長が、
識別資料を持って、人見艦長のところに
来ました。

 「今の航空機は瑞雲のようでした。」という、
左近允氏と同じ見解を示しました。左近允氏は、
1年前に、横須賀航空隊で、瑞雲を見ていたので
知っていましたが、人見艦長以下、他の乗員は、
瑞雲を見たのは初めてでした。

 にしても、どちらにせよ、けしからん話だと、
言い合っていました。

 ところが、一時間も経たないうちに、今度は
天山艦上攻撃機に、熊野が気づかないうちに
投弾されました。

 幸い、義理にも至近弾とも言えない投下
でしたが、奇怪至極な話であると同時に、
ただただ唖然とせざるをえませんでした。

 現状、熊野は、艦首がなく特有の形は
しているとはいえ、注意すれば、最上型
巡洋艦であることは分かりそうなもの
でした。

 これが陸軍機からの攻撃なら、まだ
分かりますが、同じ海軍の機体に攻撃
されたというのが、信じられない
思いでした。

 最初の瑞雲の爆撃は、大きな破片が、
後甲板に飛び込んできており、命中
していたらと思うと、慄然たるものが
ありました。

 「味方がいるはずがない場所なら
敵とせよ。」という判断だと思われ
ますが、うかつすぎると言えます。

 単艦になってから、数時間が経過した
ものの、敵機の来襲はなく、味方機に
気をつけてもらう必要がありました。
一番砲塔の上に大きな日の丸の旗を、
展張されました。

 そして、人見艦長は、味方の航空機から
爆撃を受けたことを、電報で発信しました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 突然の空爆 [巡洋艦熊野]

 左近允氏が、戦艦らしき敵艦隊を発見
したことで、熊野は、戦闘態勢に入りました。

 ところが、間もなく岩であることが分かり
ました。左近允氏は、疑心暗鬼から、枯尾花を
幽霊と見て、しまったわけではなく、岩が
戦艦の前檣に似ていたためだとしています。

 これを知った人見艦長は、「魚雷は完全だし、
ひと合戦やれるぞ。」と破顔一笑しました。


 航行を続け、正午前ころ、「零式水偵3機、
近づく」という報告がありました。見ると、
日の丸が見え、安心しました。

 しかし、突然大きな音がしました。中部
左舷から数10mの海面に水柱が上がり、
艦橋前方を上昇していく水上機が
ありました。

 艦尾の方向から降下爆撃をしたようでした。
見張り委員から、「日の丸はつけているが、
零式水上偵察機ではない。」という報告が
ありました。

 それを聞き、人見艦長が、「撃ち方はじめ」を
下命しました。左近允氏は、爆撃した機体を確認し、
瑞雲のようだと報告しました。

 しかし、艦長は、「かまわん。撃て。」と
命じました。前部の機銃が、火をふき、
高角砲も斉射しました。航空機は、
たちまち遠ざかっていきました。

 瑞雲は、新しい水上爆撃機で、零式水上
偵察機に似ていますが、エンジンと、尾部に
相違点があります。人見艦長は、左近允氏の
進言で、味方の機体だということは理解して
いたと思われます。

 しかし、誤爆してきたことをけしからんと
思ったことから、攻撃を命じたようでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 単艦 [巡洋艦熊野]

 航海長から、針路を尋ねられた左近允氏は、
慌てました。会敵以後のコースは、複雑で
艦位がはっきりしないからでした。

 そこで、サマール島に近づき、そこから北上
すれば良いと当たりをつけ、航海長にその旨で、
針路を報告しました。

 間もなく第一戦速が命令されました。熊野の
本来の能力なら20ノット出る、回転数でしたが、
現状14ノットくらいでした。

 やがてサマール島が見えてきました。空は、
このころから晴れ上がってきました。水上戦闘の
戦場は、はるか東に移っており、艦艇は一隻も
見えませんでした。ときおり、敵味方不明の
航空機の編隊が、見えるくらいでした。

 熊野は、徐々に北に針路をひねりました。
この調子なら、日没後に、海峡に到達すると
思われました。

 問題は、変形した艦首から、両側に流れる波が
大きく、艦尾波とともに、はるか後方まで続いて
いました。これでは、上空から容易に見つけ
られます。

 しかも、今は単艦でした。警戒と戦闘すべてを
自力で行う必要がありました。左近允氏は、
一人ぼっちの寂しさはあるが、司令部が
いなくなったことで、艦橋が広々とし、
のびのびしたとしています。

 この時、見張員から、「戦艦らしきマスト」
という報告がありました。左近允氏は、見張士に
代わって、眼鏡に取り付きました。

 左近允氏は、「戦艦らしい。駆逐艦もいる。」と
確認し、この海域に味方はいないので、敵艦隊だと
判断しました。

 すぐさま、人見艦長は、「戦闘」という下命を
下しました。警急ブザーに続いて、ラッパが
鳴り響きました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 中将旗降ろす [巡洋艦熊野]

 甲板士官大場少尉の指揮する12名の
艇員は、掛け声も勇ましく、全力で
こぎはじめました。

 鈴谷は、左前方600mにありました。
この時、TBF1機が飛来、急降下して、
爆弾を投下しましたが、鈴谷の右舷から
だいぶ離れて水柱があがりました。

 カッターは、鈴谷の艦尾に到着し、
索梯子から、まず白石司令官が上った
らしく、鈴谷の後部マストに中将旗が
上がりました。

 同時に、熊野が、中将旗を降ろしました。
時刻は、午前8時30分、被雷から1時間以上
経過していました。

 この時、またもやSB2Cが数機来襲し、鈴谷は
高角砲と機銃を撃ちながら、航進を起こし、
友軍の後を追っていきました。熊野は、
ただ1隻戦場に取り残されました。

 司令官を送ったカッターが、帰還しました。
司令部付きの最後の一人は、乗り込む時に、
鈴谷が動き出したため、乗れずに戻ってきた
ということでした。

 熊野は、白石司令官の指示に従い、単艦で、
前夜通過したサンベルナルジノ海峡に向かう
ことになりました。その時、航海長から、
「航海士(左近允氏)。針路はどうか。」と
尋ねられました。これを聞いて、左近允氏は、
慌てました。

(追記)
 アメリカ側の記録で、熊野に魚雷を当てた
駆逐艦は、ジョンストンであるとされています。
会敵と同時に、日本艦隊に向かい、午前
7時10分に、熊野に向けて200発以上の
砲撃を行ったとしています。

 魚雷は、午前7時20分に、全て発射しました。
この呉、ジョンストンは、味方の砲弾3発を浴び、
その後、矢矧と駆逐艦数隻と交戦し、多数の
命中弾を浴びて、午前10時10分に
沈没しています。


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著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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