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巡洋艦那智 殊勲甲 [巡洋艦那智]

 スラバヤ沖海戦、バタビア沖海戦の
両戦闘は、大勝利に終わったと言え
ます。

 しかし、これは、絶対的な兵力差と、
圧倒的な航空優勢のもとに戦われた
もので、当然の帰結とも言えます。

 萱嶋氏も、このことは率直に認めな
ければならないとしています。

 戦いは、錯誤の連続で、この海戦に
ついては、戦運が常に頭上に宿っており、
敵軍は、悲運の完敗をしたと言えます。

 しかし、おごるものは久しからずで、
自らの行動を謙虚に反省しないものは、
過ちを繰り返します。

 しかも、同じ過ちをした時に、幸運の
女神が微笑んでくれるとは限らないと
しています。

 この海戦も、貴重な体験や教訓が
含まれていましたが、これらが、後日、
冷厳な検討が受けたということを、
萱嶋氏は、聞いたことがないと
しています。

 実際、この後の戦闘に生かされたとは
言えないとしています。「殊勲甲」という
三字が、全ての過失を塗りつぶして
しまいました。

 「勝利は、慈善の如く多くの過失を
隠蔽する。」という、マハンの言葉で、
萱嶋氏は、著書を終えています。

(追記)
 スラバヤ沖海戦については、2000発もの
砲弾を使用していながら、命中弾が異常に
少なく、参加部隊からも批判の声が上って
いました。

 こうなった理由は一部の例外を除き、
遠距離攻撃に終始したためでした。
また、砲撃を一艦に集中するということを
せずに、行き当たりばったりに、目標を
定めて砲撃したことも、非難されるべき
ことといえます。

 バルチック艦隊を横切るように航行しながら
砲撃して、1艦に砲撃を集中させる戦闘をし、
敵艦隊を壊滅させた、東郷提督の海戦の
教訓も、生かされていないと言えます。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦那智 追撃戦 [巡洋艦那智]

 逃げた駆逐艦の追撃に移った日本軍は、
那智が、艦内に引き揚げた3機の航空機の内、
使用に耐える1機に、30kg爆弾2発を、
取り付けて、射出しました。そして、逃げる
敵を、追いかけました。

 敵駆逐艦を発見した航空機は、爆弾を
投下しました。爆弾は、命中はしません
でしたが、艦尾に至近弾を得て、まもなく
敵艦は、行き脚を止めました。

 そこに、足柄と羽黒が追いつき、牛刀の
雨あられ(20cm砲の斉射)で、南海の
海底深くに沈んでいきました。

 戦いは完全に終わり、ジャワ海の
制海権は、ついに日本軍の手に
落ちました。

 この間も、ジャワ島の上陸したわが陸軍
部隊は、破竹の進撃を続けており、ジャワ
全島の制圧は、時間の問題となりました。

 砲声はやみ、硝煙の消え去った熱帯の海に、
再び、静かな夕暮れが、おとずれました。

 翌日、那智は、使い果たした燃料と砲弾を
補給するため、戦場を去り、船脚も軽く、
ケンダリー湾に向かいました。

 その間、萱嶋氏は、激しかった戦闘に思いを
巡らせ、しばし、感無量の境地に、ひたって
いました。

 同時に、多くの過失を重ねながら、稀有の
大勝を博したわが軍の戦運の強さを、今更の
ように神に感謝しました。

 この戦いは、終局のところ、最小の損害を
持って、最大の戦果をおさめて、大勝利に
終わったといえます。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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