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巡洋艦那智 ジャワ海に相対 [巡洋艦那智]

 ドールマン少将の避退を知ったABDA
連合司令部は、直ちに攻撃続行の指令を
発して、彼を督励しました。

 しかし、ドールマン少将は、無視して
避退を続けました。この時、日本軍は、
偽の西進をやめて、一斉に南下を
始めていました。

 ドールマン少将は、2月27日午後3時57分、
スラバヤ港の北端に達した時、日本軍が、
バウエン島の近くにあるという確定情報を、
受け取りました。

 こうなると、燃料補給や休息は口実にすることは
できず、ドールマン少将は、疲れた部隊を反転
させました。こうして、宿命の両艦隊は、
ジャワ海に相対しました。


 ここで、著者の萱嶋氏は、第五戦隊について
紹介しています。那智は、妙高型の1万tクラスの
巡洋艦として建造され、姉妹艦として、妙高、
足柄、羽黒がありました。

 開戦時、この4隻で、第五戦隊としていました。
しかし、足柄が、第三艦隊旗艦として引き抜かれ、
妙高が、空襲で被弾して、修理のため内地に
帰還したため、那智と羽黒の2隻で、今回の
作戦に参加することになりました。

(追記)
 ワシントン条約により、重巡洋艦の排水量は、
1万t以下に抑えられていました。妙高型は、
この制限内で、最大の要求である、兵装と、
速力を、いかにして織り込むかという課題を
達成すべく設計されています。

 妙高型は、要求どおりに建造され、重武装の
上に、高速の艦として完成しましたが、
この時点でも、排水量は、13000tと
なっており、1万t以内には
収まりませんでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦那智 敵軍の東奔西走 [巡洋艦那智]

 開戦時、イギリスは、シンガポールへの
増援に忙しく、アメリカとオーストラリアは、
チモール方面に、最大の関心を示して
いました。

 そのため、オランダ提督であった
ドールマン少将のジャワ島防衛は、
不十分な戦力しかありませんでした。

 そして、分散したABDA連合軍は、
各個撃破され、統合運用の実をあげる
いとまもなく、戦況は急速に進展して
いきました。

 シンガポールや、チモールが陥落し、
ジャワ島近くのバリ島に、日本軍の
上陸をゆるす情勢となりました。

 イギリスは、この時、ジャワ防衛の
見切りをつけ、自国兵力の引き上げを
策し始めていました。アメリカも増援を
送る気配すら、ありませんでした。

 このような苦境の中でも、哨戒機と
潜水艦により、日本軍の動静は、かなりの
情報を集めていました。そして、
日本軍上陸阻止のために、艦隊を
集結させました。

 2月25日に、日本軍ジャワ海に現れる
という報告を受けたドールマン少将は、
直ちに艦隊を率いて、スラバヤを出港
しました。

 しかし、この時、日本軍は、偽の航路として
西進しており、ドールマン艦隊と遭遇することは
ありませんでした。

 26日に、補給のため一度帰還した
ドールマン少将のもとに、日本船団に
対する情報と、攻撃命令を受けました。

 そのため、同日深夜に再びスラバヤを
出撃しましたが、日本軍と接触することは
ありませんでした。

 明けて27日に、逆にドールマン少将の
艦隊が、日本の航空部隊に発見され、
たちまち反復爆撃を受けた上、引き続き
触接されることになりました。

 重大な損害はなかったものの、戦意をなくした
ドールマン少将は、スラバヤに避退を開始しました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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