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巡洋艦那智 敵軍の情勢 [巡洋艦那智]

 日本軍は、真珠湾攻撃により、アメリカの
太平洋艦隊を撃破し、南方作戦に対する
腹側の脅威を絶つことに成功しました。

 これを受けて、残る精鋭をあげて、一斉に
南進を開始しました。それから3ヶ月が経過し、
最終目標である、ジャワ島攻略に取りかかる
ことになりました。

 ジャワ攻略作戦は、東方(スラバヤ)攻略
部隊と、西方(バタビア)攻略部隊に分かれ、
東方攻略部隊の指揮官高木武雄少将が、
那智に乗艦し、少将旗をなびかせていました。

 一方、敵軍は、4カ国の巡洋艦や駆逐艦の
混成部隊で、日本軍が集結を終えた2月26日に
ようやくスラバヤに駆けつけたばかりという
状態でした。

 しかも、重巡洋艦ヒューストンは、後部砲塔が
日本軍の攻撃で破損したままでした。このように、
敵軍は、性能はもとより、文字通り寄せ集めであり、
訓練も不十分でした。

 しかも、指揮、通信も円滑さを、欠いていました。
指揮官のドールマン少将は、太平洋戦争を通じて、
凡庸な指揮官の一人と目される人物で、各国将兵の
信頼を充分にかち得ていませんでした。

 このような状況なので、戦意は高くなかった
ようでした。しかも、日本軍の圧倒的な航空勢力の
下で、充分な航空支援を得られず、敵情情報の
入手手段を欠く上、行動も困難となっていました。

 開戦後、連合国側は、日本軍の南進に
対処して、この方面の各国兵力を統合運用
するため、バンドンの近くに連合艦隊司令部を
設置し、各国の頭文字を取って、ABDAと
略称されました。

 本来なら、この司令部に、海上部隊は、
統合運用されるはずでしたが、各国
それぞれの思惑で、充分な兵力が
与えられることはありませんでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦那智 ジャワ島攻略作戦 [巡洋艦那智]

 1942年2月24日、第五戦隊旗艦
那智は、僚艦の羽黒とともに、駆逐艦
江風、山風を従えて、スターリング湾を
抜錨し、ジャワ北方海面に向けて
出撃しました。

 目的は、間もなく敢行される、ジャワ島
攻略作戦の支援でした。

 第五戦隊は、開戦以来、フィリピン沖や、
セレベス海を縦横に走り回っていましたが、
いたずらに之字運動を繰り返すばかりで、
これはという敵と巡り合わず、いささか
髀肉の嘆をかこっていました。

 今回の出撃は、いよいよ敵艦と合間見ゆる
機会といえ、戦機がひしひしとせまるのを感じ、
身の引き締まる思いでした。

 この時、萱嶋氏は、第3、4分隊長として
那智に乗り込んでおり、発令所長兼測的指揮官兼
照射指揮官という一人三役を、務めていました。

 第五戦隊は、2月26日に、スラバヤ上陸戦隊の
船団と、アレンズ島東方で合流しました。この船団は、
駆逐艦海風を先導とする直衛艦艇10隻と、
西村祥治少将指揮の巡洋艦那珂が率いる
第四水雷戦隊の護衛の元、偽の航路を
西進していました。

 一方、田中頼三少将指揮の巡洋艦神通
率いる第二水雷戦隊も、2月25日に、
第五戦隊と合同し、船団支援の配備に
つきました。

 こうして、26日の夕方には、ジャワ作戦
東方攻略部隊と称された海上兵力は、
ボルネオ南端のセラタン角の南西洋上に
集結を終えました。

 一方で、これを迎え撃つ敵軍は、オランダの
ドールマン少将の指揮するアメリカ、イギリス、
オランダ、オーストラリアの連合艦隊で、
「ABDA連合打撃部隊」と言われて
いました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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