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巡洋艦那智 諸元 [巡洋艦那智]

 今回から、矢矧と同じ書籍に掲載されている、
“重巡「那智」神技の砲雷戦を語れ”から、
巡洋艦那智の活躍を紹介します。
著者は、萱嶋(かやしま)浩一氏です。

 最初に巡洋艦那智の諸元をWikipediaから
抜粋してみます。

艦歴
起工 1924年11月26日
進水 1927年6月15日
就役 1928年11月26日
最期 1944年11月5日、米空母「レキシントンII」艦上機の攻撃により沈没
除籍 1945年1月20日

要目
基準排水量 10,902トン
公試排水量 13,281トン
全長 203.76 m
水線長 201.63 m
垂線間長 192.48 m
最大幅 19 m
水線幅 17.86 m
吃水 10.97 m
主缶 ロ号艦本式12基
主機 艦本式タービン4基
出力 13,0000馬力
最大速力 35.6ノット
航続距離 7,000浬(14ノット時)
乗員 竣工時定員704名
搭載機 水偵3機(射出機:呉式2号1型1基、後に呉式2号5型2基)
兵装
(新造時)
50口径3年式20cm連装砲5基 10門
45口径10年式12cm高角砲 6基
7.7mm単装機銃 2基
13式水上固定発射管 12門 (魚雷:8年式2号61cm 24本)

(最終時)
50口径3年式II号20cm(20.3cm)連装砲5基 10門
40口径89式12.7cm連装高角砲 4基
96式25mm連装機銃 10基 同 単装 28基
92式4連装発射管 2基 (魚雷:93式酸素魚雷61cm 16本)
2号1型電探 1基
2号2型電探 2基
1号3型電探 1基

 著者の、萱嶋氏は、那智の主砲発令所長の任務についていました。
この著書には、スラバヤ沖海戦の様子を紹介しています。

紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 救援 [軽巡洋艦矢矧]

 5時間ほど漂流して、海面がいささか
肌寒さを感じる夕景となりました。

 長かりし無念の4月7日の太陽が、
今まさに西海に沈もうとして、海面に
接近していました。その頃、防空駆逐艦
冬月が、救援に来てくれました。

 井上氏は、冬月の右舷中部甲板あたりから
投げ込まれたT字型ブイで、吊り上げられ
ました。

 井上氏は、浮遊力を上げるため、冬用の
外套を着込んでいました。これに重油が
染み込んで、重量が跳ね上がって
いました。

 当初二人がかりで、引き上げようとして
いましたが、あまりの重さに、容易には
揚げられず、ひと息つくたびに、井上氏は
海面に戻されました。

 結局3人がかりで助けられ、井上氏よりも、
冬月で引き上げてくれた乗員の方が、
ホッとしていました。

 助けられた井上氏が海面を見ると、
名残の人頭が浮き、正気を取り戻した
元気さで、扇の要に集まってくるように、
救援艦の舷側に向かい、あとからあとから
接近してきました。


 大和は、午後2時20分ごろまで、頑張り
通していましたが、最後には、残存の火薬、
弾丸類を、一時に誘爆させて、上空の敵機を
粉砕させ、従容と海底に沈んでいきました。

 沈み浸水しても機銃砲火をしていた矢矧、
沈没の時に誘爆し、敵機を粉砕した大和、
二幅の武者絵のようでしたが、どちらも
すでに過去のものでした。

 出撃した10隻の内、生き残ったのは
4隻のみでした。矢矧は、乗員の半数に
当たる400名が戦死しました。

 水上特攻隊は、こうして中途で挫折
しました。この作戦での井上氏の戦いは
終わりました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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