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巡洋艦矢矧 戦争という現実 [軽巡洋艦矢矧]

 矢矧が撃沈すると、あたりの海面を、
しばし空虚な何ものかが、支配しました。

 井上氏は、呆然となって、水を蹴ることを
忘れていました。そして、角材にしがみ
ついたまま、途方もなく大きいうねりに、
揺られていました。

 うねりは、漂流している生存者を、
しだいに燃料重油の浮いているかたまりの
中に、連れ込みました。みるみるうちに、
黒い重油で汚れてしまいました。

 重油は、2cmほどの層をなしており、
広範囲に及んでいました。もったいない
燃料ですが、自分が巻き込まれ、鼻孔に
入り込むと呼吸もできなくなり、命が
なくなります、現に、黒い仏が、
あちこちにできていました。

 そこに、グラマンF6Fが、機銃掃射を
加えてきました。みな、物につかまり、
浮いているのが精一杯で、死の危地から
脱し、次の戦闘のお役に立とうという
気魄だけで、生きていました。

 それほど戦闘力を失い、漂流している
乗員を機銃掃射することは、人道上
許されることではありません。

 戦争という現実の中では、どうしようも
ないことなのかも知れませんでした。F6Fは、
執拗に機銃掃射を反復して、去って
いきました。

 井上氏は、近くに池田氏がいるのを
発見しました。池田氏は、機銃掃射が
去ってほっとしているようでしたが、
重油でひどく汚れ、顔の表情までは、
わかりませんでした。

 一時間ほど漂流してしたころ、水平線に
駆逐艦が3隻現れ、救援のために近づいて
来ました。誰もが元気づいて、重油の塊から、
抜け出そうと、焦り始めました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 撃沈 [軽巡洋艦矢矧]

 海へ飛び込むために左舷に向かおうとした
寸前、矢矧が右に傾いたため、右舷見張壁まで
転がった井上氏は、四つん這いになって這い
上がりました。

 そして、海の飛び込もうとしたところ、
目の前が海面だったため、そのまま水面に
浮くことになりました。

 木金高射指揮官や、一緒にいた見張員も
同様に、水面に浮かぶことになりました。
海に飛び込んだ井上氏は、1m四方の箱を
入手しましたが、浮き代わりには、
心もとないものでした。

 思わず、神社仏閣祭神の名を、次々と
つぶやきました。すると、霊験が通じたのか、
目の前に5mほどの角材が流れてきました。

 井上氏は、角材を脇に抱えると、沖に
向かって泳ぎだしました。矢矧の沈没時に、
渦から脱出するためには、一刻も急がな
ければなりませんでした。

 100mほど泳いだころ、急に背後から、
万歳の声が湧きました。井上氏は、ただごと
ではないと感じ振り返ると、今まさに矢矧が
沈没するところでした。

 井上氏がいた、見張指揮所は見えず、
主砲射撃指揮所が僅かに見えるだけでした。

 この海で、数10発の爆弾と、5本以上の
魚雷を食らっても屈することなく、対空射撃を
やめなかった矢矧も、ついに矢折れ、刀つきて、
沈んでいこうとしていました。

 射撃指揮所の窓ガラスが、きらりと光ったのを
最後に、射撃指揮所も水面下に没しました。次の
瞬間、後マストが海面から頭をもたげました。
我々の万歳に手を振って答えるかのようでした。

 1945年4月7日午後1時12分。矢矧は
撃沈しました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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