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巡洋艦那智 搭載機の揚収 [巡洋艦那智]

 日が暮れて、視界は一度に閉ざされて
いきました。

 水雷戦隊は、すでに船団の方へ去って
姿は見えず、残された第五戦隊の二艦は、
帰着してきた搭載機の揚収にかかりました。

 各艦とも、三機ずつ持っている飛行機を、
この昼戦において、全機を空中に上げて
いました。

 漂泊しながら、飛行機要揚収用の大デリックを
舷外直角にふり出して、一機づつ揚収をはじめ
ました。萱嶋氏は、艦橋で、この揚収の様子を
見ていましたが、すでに艦内は、すっかり緊張が
緩んでいるようでした。

 最後の一機が、フックめがけて近寄ってきた時、
萱嶋氏の近くにいた見張員が、「敵巡洋艦。」と
叫びました。艦橋は総立ちとなりました。

 萱嶋氏は、大型眼鏡で確認すると、敵巡洋艦が
4隻航行していました。号令が、慌ただしく
矢継ぎ早に下されました。

 そこに、息つぐ暇もなく、見張員が、
「敵発砲」と叫びました。すると、
10数発の吊光投弾が、ずらりと
空中に浮かびました。

 明るい光の幕が、那智と羽黒に、架け
渡されました。間髪をいれずに、敵は
主砲射撃を開始してきました。

 閃光がしたかと思うと、轟音たる砲声が、
南海の夜の静寂を破って、とどろき、敵弾は、
那智と羽黒の間に、巨大な水柱をあげて、
落下してきました。

 艦橋では、飛行機をかまっている余裕もなく、
やりっぱなしのまま、艦の行き脚をつけるべく、
前進をはじめました。

 幸い、飛行機は、フックに引っ掛けられて、
吊り上げられていました。文字通り、油断大敵で、
不意をつかれて逃げの一手でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦那智 佐藤康夫大佐 [巡洋艦那智]

 スラバヤ沖海戦は、不徹底な戦いに
終始しましたが、その中で、思い切って
敵に飛び込んで、駆逐艦伝統の肉薄
攻撃の真髄を発揮した駆逐隊が
いました。

 それは、佐藤康夫大佐率いる第九駆逐隊
でした。所属している駆逐艦は、朝雲と
峯雲の2艦でした。

 全軍突撃で、竜頭蛇尾に終わった水雷
部隊の中で、第九駆逐隊は、防御砲火の
雨をものともせず、まっしぐらに
突っ込んでいきました。

 これに、敵駆逐艦3隻が、味方の巡洋艦の
退避を援護するために、これを遮って、
反撃してきました。そのため、接戦が
演じられることになりました。

 敵の真っ只中に飛び込んだ第九駆逐隊は、
両舷戦闘、主砲機銃同時戦という八面六臂の
戦いを行いました。

 この戦闘で、朝雲は、敵弾を機関室に受け、
敵中でストップしました。峯雲は、その四周を
ぐるぐるまわりながら、これを掩護して奮戦し、
敵の駆逐艦1隻を砲撃、撃沈するという
戦果をおさめました。

 萱嶋氏は、那智に乗艦する前は、峯雲の
砲術長をしており、その際、佐藤司令の
勇猛ぶりは承知していました。そのため、
「やはりやりおった。」と感嘆しました。

 しかし、戦果の判定は正確を欠いていました。
戦闘概報には、「雷撃で、巡洋艦一隻落伍。
砲撃により、軽巡洋艦1隻撃沈。駆逐艦2隻
撃沈。」となっていました。事実は、駆逐艦1隻
のみなので、過大報告になっています。

 混戦乱闘の間、同じ目標を、別のものと
思ったり、1隻の撃沈を、攻撃していた艦が、
別々に報告するということはよくあること
でした。

 戦闘当事者の報告は、必ずしも正しい
わけではないという一例でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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