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巡洋艦熊野 レイテ沖海戦 [巡洋艦熊野]

 1944年10月22日午前8時、
栗田健男中将率いる遊撃部隊主力は、
ブルネイを出撃しました。
レイテ沖海戦です。

 翌日の23日に、愛宕と摩耶が、
潜水艦の攻撃を受けて撃沈し、
乗員は、駆逐艦朝霜と岸波に
救助されました。

 乗員は、大和と武蔵に移乗し、大和に、
将旗が揚がりました。この時、魚雷を
受けた高雄は中破し、朝霜の護衛の元、
ブルネイに回航していきました。

 24日の午前8時頃、敵機が来襲し、
午後3時30分頃まで、五波延べ250機の
攻撃を受けました。

 この時、熊野は、第三波の攻撃の際に、
爆弾が一発四番砲塔に命中したものの
不発で、測距儀を貫いて、舷外に落ちて
いきました。

 第五波でも爆撃を受けましたが被害はなく、
左隣にいた駆逐艦清霜に爆弾が命中し、
火柱が上がりました。

 この空襲の後、反転し、レイテ突入
中止と思われましたが、午後5時14分に
再び反転し、艦隊は、レイテを目指しました。

 艦隊が、サンベルナルジノ海峡を通り
抜けたのは、24日の真夜中で、計画から
5時間遅れの通過でした。ここからは、
水上艦隊と遭遇することもありえました。

 艦隊は灯火管制の元、漆黒の海を
進んでいきました。その頃、左近允氏は、
「武蔵沈没」という電報を受け取りました。

 アメリカ軍と戦っている武蔵の姿が目に
浮かびました。同時に、昼の疲れがどっと
出てきました。当直以外は、戦闘配置のまま
仮眠をとっていました。

 左近允氏は、暗がりの中、旗甲板の隅の
隙間を見つけ、ゴワゴワした旗に首を入れて、
一眠りしました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦熊野 諸元 [巡洋艦熊野]

 今回から、那智と同じ書籍に掲載されている、
“我らが軍艦「熊野」の最期
 連合艦隊最後の決戦場レイテ沖大海戦回想録”
から、巡洋艦熊野の活躍を紹介します。

 著者は、左近允尚敏(さこんじょう なおとし)氏です。

 最初に巡洋艦熊野の諸元をWikipediaから
抜粋してみます。

起工 1934年4月5日
進水 1936年10月15日
就役 1937年10月31日
最期 1944年11月25日戦没
  北緯15度44分58秒
  東経119度47分57秒
除籍 1945年1月20日

基準排水量 12,000トン
全長    200.6 m
最大幅   20.2 m
吃水    5.9 m
ボイラー  ロ号艦本式重油専焼水管缶8基
主機    艦本式ギヤード・タービン4基4軸
出力    153,698馬力(新造時公試成績)
最大速力  35.36ノット(新造時公試成績)
燃料    重油:2,280トン
航続距離  14ノット/8,000海里
乗員    竣工時定 874名  昭和19年10月 1,094名

兵装
 竣工時:
  三年式15.5cm(60口径)3連装砲5基
  八九式 12.7cm(40口径)連装高角砲4基
  九六式 25mm連装機銃4基
  九三式13mm連装機銃2基
  九〇式61cm3連装魚雷発射管4基(九三式魚雷24本)
 最終時:
  三年式 20.3cm(50口径)連装砲5基
  八九式 12.7cm(40口径)連装高角砲4基
  九六式 25mm3連装機銃8基
  同25mm連装機銃4基
  同25mm単装機銃18基
  九〇式61cm3連装魚雷発射管4基(九三式魚雷24本)

装甲   舷側:100mm 弾薬庫:140mm 甲板:35〜60mm
搭載機  水上機3機(呉式二号五型射出機2基)
レーダー 二号一型(対空用) 1基
     二号二型(対水上用) 2基
     一号三型(対空用) 1基

著者の、左近允氏は、熊野の航海士の任務についていました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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