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巡洋艦大淀 火葬 [巡洋艦大淀]

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 今回の襲撃で、軍港にいた軍艦は、 ことごとく手痛い損傷を受けてしまい ました。  夕食が済んだ小淵氏は、呉市の火葬場に 行って、棺の番をするように言われました。 2人の仲間、棺と一緒に火葬場に行くと、 特潜からも棺が運ばれてきました。  基地で、潜水艦が被弾し、戦死者があった ということでした。棺をトラックから降ろし、 火葬場の親父さんが一休みするようにと、 控室の火鉢に火を取ってくれました。  見れば、火葬の残り火らしく、灰の中に 白骨が散らばっていました。特潜基地の 人達は、炭や夜食などを用意していました。  小淵氏らを見かねて、基地で焼いた松の 木の炭と、夜食の餅を分けてくれました。 そこに火葬場のおじさんがやってきて、 「手が回らないから手伝ってほしい。」と 言ってきました。  小淵氏ら、戦死者の遺体を運び、釜の中に 納めました。2時間ほどで火葬はできました。 骨仏を一番先に見つけ、遺骨に納めると、 先輩や戦友の遺骨を丁重に拾い上げました。  釜は8基あり、おじさんと小淵氏ら3人では、 忙しいくらいでした。機関科からも誰か来て もらえばよかったなあと、一緒に来た上水は ぼやいていました。  小淵氏らは、汗をにじみ出しながら、夜を 徹して作業を続けました。午前2時頃、もらった 餅を夜食に、水をがぶ飲みして作業に 取り掛かりました。  やがて夜が明けましたが、火葬は終わりません でした。太陽が昇って間もなく、艦で朝食を 済ませた人達が交代で来るまでに、小淵氏らは、 28柱の遺骨を拾っていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男


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