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空母「飛鷹」 あとがき [空母飛鷹]

 最後に、あとがきを紹介します。あとがきは、
志柿氏のご子息の志柿忠邦氏が、平成14年に
記しています。

 志柿氏は、昭和46年5月6日に死去しており、
このあとがきは、死後書かれたものになります。

 太平洋戦争が終わり、50年以上もたち、
戦争経験者が次第にこの世を去って遠い
昔のことになりつつあります。この記録は、
父の大戦中に経験したことを、克明に
記録していますとして、始めています。

 この本を復刻するに当たり、志柿氏が
書いた原紙は、黄色に変色し、字はにじみ、
完全に消滅している文章もあったと言う
ことです。

 本書は、下書きを参考にしながら、
忠邦氏が復刻したものだとしています。

 志柿氏は、飛鷹撃沈後、セブ島で先任
参謀を務め、海軍大佐に昇進し、終戦の時に
セブ島で、アメリカ軍と停戦協定を成立させた後、
フィリピンの収容所に抑留され、翌年の昭和21年
3月に、内地に復員しています。

 志柿氏は、貧乏国の日本が、大金持ちの
アメリカと四つ組んで、果たして勝てるのか。
こんな国力で、よく戦争を始めたものだと
しています。

 そして、戦争をしなければならないように
なった日本の実情に、慄然たらざるを得な
かったとしています。

 しかし、消極的だった日本海軍が、魂魄と
なって立ち向かった姿こそが、日本海軍の
本質であり、父の姿だとしています。

 志柿氏は、兵学校で教官を務め、その時の
教え子たちと戦闘に参加しています。そして、
教え子たちが死を賭して国に殉じていく姿を
思う時、悲痛な気持ちになると記しています。

 最後に、本書は、アンボンなどの東南アジアで
起きている紛争の根本原因である、白人支配に
ついて、その実体を見ることが出来るとして
います。


紹介書籍:空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦
著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 ああ飛鷹よ [空母飛鷹]

 志柿氏に発令されたのは、フィリピンに
できる根拠地隊の先任参謀でした。

 志柿氏は、24根拠地対の先任参謀を
務めていましたが、志柿氏本人は、落第
だと考えていたので、再び先任参謀に
なるということで驚きました。

 今度赴任するのは、ダバオの北の方と
いうことでした。志柿氏は、家族を疎開
させる暇をもらい、辞令を受けることに
しました。

 志柿氏は、飛鷹乗員の配属先を、
各係の人達のところに行って、交渉
してきました。飛鷹の乗員は、皆、
前線復帰を望んでいると伝えると
驚かれ、「大丈夫ですか」と反問
されました。

 そして、配属を希望通り、第一戦に
変更しました。少尉候補生は、新鋭の
空母葛城への配属が決まり、再び
第一線に立つことになりました。

 松永主計大尉について、本人の希望に
沿って、経理部への配属が決まりました。
志柿氏は、急ぎ松永大尉に電報を打ち、
その日のうちに自宅で大急ぎで手紙を
書いて速達で送りました。

 7月になり、駆逐艦に配属が決まった
宮林少尉と横須賀で会いました。宮林
少尉は、横須賀に来る途中で、松永大尉に
会い、志柿氏が送った手紙を見せて
もらったと言うことでした。

 そして、乗員の転任先が、副長の尽力に
より、希望通りにいっていたことを喜んで、
みんなで祝杯をあげたと言うことでした。

 この話を聞き、志柿氏は、飛鷹は思い出
深い艦で、乗員みんなが、和気藹々として、
常に心を一つにして苦楽をともにしたと
しています。

 飛鷹を永久に誇り、永久に忘れないだろうと
して、著書を終えています。


紹介書籍:空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦
著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 三つ子島からの別れ [空母飛鷹]

 見舞いから戻った志柿氏は、残務処理を
行い、半日ほどで終わらせました。

 大鳳や翔鶴の残務処理は進捗して
いないと聞いていましたが、志柿氏が
持っていった書類を見て、人事部では
大変喜ばれました。

 この時、志柿氏と、主計長以外は、
転任が発令されており、希望通り
だったので、皆喜んでいました。

 士官は、志垣氏が人事部まで一緒に
連れて行き、交渉してその日のうちに
発令手続きをとりました。それでも、
一部の士官は、配属が決まりません
でした。

 三つ子島での最後の日、志柿氏は、
総員を集めて、訓示しました。志柿氏は、
総員の顔を見ていると、じつに離れがたく、
さらに愛情が湧き出てきて、しようがなかった
としています。

 訓示の後、士官室一同は、水交社食堂で、
簡単に別れの会食をしました。大鳳や
翔鶴の士官は、料亭で酒盛りした
そうですが、志柿氏らは、時期が
時期だけに、料亭での酒盛りは
遠慮しました。

 7月上旬の、水交社での会食の翌日、
志柿氏は、上京して、海軍省に向かいました。
人事局に着くと、志柿氏の兵学校1年先輩の
長沢大佐がこられました。

 海軍の人事省では、お行儀よくするもの
ですが、知り合いということで、遠慮なく
お茶を所望しました。

 配属が決まっていない士官たちのことを
話したところ、長沢大佐は、そのことには
見向きもせず、志柿氏の希望を確認して
きました。

 志柿氏は、このような時期に希望も何も
ないでしょうと返答しています。志柿氏は、
陸戦隊か、空母勤務しかできないだろうと
していました。ところが、発令されたのは、
全く違う部署でした。


紹介書籍:空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦
著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 二度目の見舞い [空母飛鷹]

 志柿氏が、再度艦長のお見舞いに
出かけたのは、上陸の許可が出た時
でした。この時は、新人の少尉も一緒に
連れて行きました。

 この時は、艦長は元気にしておられ、
見舞いに来た少尉を、「坊や来たか」と
言ってことのほか喜ばれていました。

 艦長は、転地療養がしたいという希望を
話していました。機動部隊の先任参謀が
来た時に、話が戦争の話になり、議論
されたと言うことでした。

 また、見舞いに来た艦長たちには、「一度
死に損なうと、後ではなかなか死ねないものだ。
ピストルで一思いにやるか、艦に体をくくりつけて
おかないと、死に損なうことがある。」と、語った
としています。

 志柿氏は、警備科の小林大尉を見舞いました。
彼は、足を引きずりながら出てきました。しばらく
顔を見合わせていましたが、「副長。お世話に
なりました。」と言ってきました。

 彼は爆弾で、肩甲骨をえぐられ、動脈が
切れ、左アキレス腱が切れていました。彼は、
部下だった一等兵に助けられ、駆逐艦まで
運ばれました。

 駆逐艦の軍医長は、助からないと匙を
投げていましたが、食塩注射までして、
命をとりとめました。

 志柿氏は、彼に、「助かったのは、一等兵の
お陰だ。恩を忘れてはならないが、一等兵が
助けてくれたのは、普段の君の態度が立派
だったからだ。」としています。

 志柿氏が、小林大尉と会ったのは、これが
最後だったとしています。この後、どうなった
のか知ることはできなかったとしています。

 志柿氏は、小林大尉の面影が忘れられず、
健全を祈ってやまぬとしています。


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著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 艦長のお見舞い [空母飛鷹]

 三つ子島で、下士官以下は、元気を取り
戻しましたが、准士官以上は、残務処理が
忙しくなりました。それらも、10日くらいで、
大体かたづいて、後は、臨時考課表の
清書となりました。

 考課表を書く時は、分隊長は、一人一人を
呼んで、色々と聞きました。その時、横井艦長に
頼まれている下士官を探すことにしました。
そして、二分隊の弾庫長だと分かりました。

 このことが分かった志柿氏は、艦長の
お見舞いも兼ねて、呉の海軍病院に行き
ました。海軍病院の遭難者の面会は大変
やかましくなっていました。

 そこで、職務上のことで来ていると言って、
面会することにしました。艦長は、志柿氏が
来てくれたことを大変喜び、例の下士官も
分かったことを伝えると、さらに喜ばれました。

 志柿氏は、この下士官を表彰しましょうと
提案しました。艦長は、自分が助けられた
ことに対して表彰するのは、具合が悪いと
言われました。

 しかし、艦長代理の志柿氏が、艦内限りの
表彰をするのは、差し支えないでしょうと
言って、了解をもらっています。

 艦長のところには、鎮守府の長官をはじめ、
司令部の皆が良くして下さったという事でした。
長官の家族も、毎日のように見舞われたと
言う事でした。

 飛鷹の下士官で病院に入院していた者も、
グングン回復していきました。ある者は、艦長の
ところに来て、洗濯物がないかとか、何か
致しましょうかとやっていたようでした。
艦長はとても喜ばれていました。

 この日、志柿氏は、あまり時間が取れず、
一部の下士官だけ見舞って、帰りました。


紹介書籍:空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦
著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 機動部隊の主計長 [空母飛鷹]

 志柿氏は、主計長に遭難時になくした物を、
取り寄せる交渉を命じていました。この時、
艦と一緒に沈んでしまった軍刀を取り
寄せるように言っていました。

 軍刀は、遭難者用として、飛鷹の分も一緒に、
鎌倉から機動部隊主計長が取り寄せていました。
そのことを知った、飛鷹の主計長は、艦隊に交渉に
行くと、前主計長がやったことで、飛鷹に分ける
必要はないとして、別の艦に配ったと言う事
でした。

 志柿氏は、三つ子島への運行に対する
準備不足もあわせ、艦隊主計長のやり口に
激怒しました。飛鷹は、他艦から誉められても、
恨まれる覚えはないので、艦長代理として、
厳重抗議することにしました。

 公文書で、二航戦先任参謀に、「機動部隊
主計長が、かくかくのことをしている。何の
恨みがあって、飛鷹に対してかかるやり方を
するのか、機動隊司令部の釈明を求む。」と
いう書き出しで、作成しました。

 二航戦先任参謀(志柿氏のクラスメイト)は、
機動部隊先任参謀(こちらも志柿氏のクラス
メイト)を、訪れてその書類を示し、何とかして
もらいたいとやりました。

 機動部隊先任参謀は、主計長を呼び出し、
どうなっているのかと尋ねました。主計長の
回答は、「前任者がしたことで、自分は
知らない。

 このような事情なら、遭難していないのに
配った瑞鶴の分を取り返す。」としています。
志柿氏は、前主計長がいたら、処分して
もらうつもりだったとしています。

 決戦で死力を尽くして、なすべきことを
した上での、遭難生存者です。このような
仕打ちをされる言われはないとしています。


紹介書籍:空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦
著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 騒いだ罰 [空母飛鷹]

 内山大尉が騒いだ日の翌朝、志柿氏は、
砲術長に、内山大尉の件で、「昨夜は
困った」と言いました。

 すると、砲術長は、笑いながら、「昨晩は、
ガンルームを、みんなで冷やしてやりました。」
という返答が来ました。

 近くにいた内山大尉は、さかんに頭を
かいており、何かしらあると感じた志柿氏は、
尋ねてみました。すると、昨夜は、うるさいと
感じたのは志柿氏だけでなく、皆、安眠
妨害されて、困っていたということでした。

 そこで、砲術長が、午前3時ごろに飲んで
騒いだ連中を叩き起こして集め、水泳を
やらせたという事でした。しかし、水泳と
言っても、桟橋から海に入らせ、桟橋に
つかまったまま、海に入っていろ
命じただけでした。

 そして、充分冷えたところで、桟橋から
上がらせ、夜風に当たらせました。これを
1時間半に渡り数回行い、酔いがさめる
どころか、体の芯まで冷え切ることに
なったという事でした。

 志柿氏は、後になって、この時砲術長に
冷やされた2人の少尉に会って、状況を
確認すると、冷やされたどころではなく、
ふるえがきたと言っていました。

 どちらも、もうこりごりという顔をして
いました。騒いだ罰としては、相当に
思い処罰のように感じます。


 このようなことはありましたが、飛鷹の
乗員は、三つ子島での、体育と遊戯と
水泳ですっかり元気になり、朗らかに
なりました。

 一方で、先遣隊長が困らされた機動部隊の
主計長については、さらに問題を起こしてくれた
ため、志柿氏が怒ることになりました。


紹介書籍:空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦
著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 新たな人事 [空母飛鷹]

 意見交換会で出た、この陣容のままで
他の空母で出撃したいという意見を
聞いた呉の人事部は驚きました。

 大概の兵士は、一度艦が沈没すると、
当分は、艦に乗ることをとても嫌がる
傾向があるからでした。そのままの
陣容で再び出撃したいと言う意見は
始めてだったとしています。

 呉の人事部としては、嬉しい意見であり、
実現してやりたいと言っていましたが、既に
発令が出されているので、難しいと言うこと
でした。

 一番最初に発令がされたのは、内山大尉で、
兵学校の教官でした。前艦長の古川大佐が、
志柿氏と相談の上で、考課表に兵学校教官
適任と書いたことで、実現しました。

 この発令があった晩、志柿氏のいる部屋の
真下の部屋で、内山大尉を中心に夜遅くまで
騒いでいました。うるさいと思ったものの、
しょうがないとあきらめ、海岸に散歩に
出かけました。

 散歩からの帰り道、酔っ払った内山大尉と
会いました。内山大尉は怒ったように、
志柿氏に対して、「どうして兵学校なんかに
やられましたか。」に突っかかっていきました。

 志柿氏は、古川艦長との人事考課表の
ことは知っていたものの、内山大尉が
兵学校に行くと言う辞令は初めて
聞いたので、知らないと答えています
(正確には心当たりはあるというべきですが)。

 内山大尉は納得せず、さらにしつこく聞いて
きたので、「君のようにお行儀の悪い奴は、
行儀見習いだよ。」と返答しています。

 内山大尉がこれだけ突っかかってきたのは、
前戦で戦いたいという思いがあったからで、
この心情は、志柿氏も理解できるとしていますが、
人事についてはどうしようもないということでした。


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空母「飛鷹」 三ツ子島 [空母飛鷹]

 夕刻になり、志柿氏らを載せた浅間丸は、
三ツ子島に着きました。家屋はさほど悪くは
ありませんでしたが、大変淋しいところでした。
島流しにあったような気分を味わったとして
います。

 早速、部屋を割り当て、一応落ち着くことに
しました。食事は、午後9時頃になりました。
準備は出来ていませんでしたので、ご馳走も
何もなく、若い兵士にはさぞ辛かっただろうと
しています。

 翌日から、日課をこなすことにし、砲術長に
頼んで、体育日課を定めてもらいました。
寝具については、先遣隊長の努力により、
数をそろえることが出来ました。これで、
寒い思いをしなくて済みました。

 翌朝から、遊戯と体育の連続となりました。
午後は、水泳を加えました。皆、今までの
ことはすっかり水に流して、また、昔の
なごやかな気分にひたっていました。

 その中で、志柿氏は、艦長代理として
活動する必要がありました。艦体司令部や
二航戦司令部、鎮守府にある色々な用事を
こなしていました。さらに、衣服や給料の
交渉をしている主計長を応援しました。

 その他に、残務整理のため、分隊長や
分隊士、約30名を連れて、人事部に交渉に
行きました。色々便宜を図ってくれたので、
仕事はとても進捗しました。

 将来の参考のため、実戦の経験、並びに、
意見を航海学校に送るべく、各科で下士官兵
合同の研究会を開きました。

 この意見交換会で出た意見の中に、この
陣容のまま、別の空母に乗って出撃したい
というものがありました。

 飛鷹の乗員にとって、今一度前線に出て、
思う存分働かせてもらえれば、この経験を
活かせると言う事でした。


紹介書籍:空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦
著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 先遣隊長の苦労 [空母飛鷹]

 浅間丸の状況を確認するために、高雄に
便乗した志柿氏が派遣した先遣隊は、
相当な苦労をすることになりました。

 一つめが、高雄の便乗者に、機動部隊の
主計長が乗り込んでいたことでした。浅間丸の
手配は、彼がやったことであり、状況を確認
するために先遣隊を出すとは何事かと露骨に
言ってきました。

 先遣隊の隊長は、中尉であり、階級が上の
主計長に何も言うことができず、苦しい思いを
することになりました。

 呉に着いてからも、苦労を強いられました。
主計長は自分が手配すると言っていたのに、
実際は、毛布は半分もなく、蚊帳も準備されて
いませんでした。先遣隊隊長は、苦労して
できるだけのことをしました。

 そして、浅間丸が見えてきたので、船のことを
頼んで、志柿氏に状況を報告するために、
戻ってきました。ここでも苦労を強いられ
ました。

 志柿氏は、先遣隊長がした一連の苦労を
全く知らないところで、準備不足という報告を
受けました。その瞬間、志柿氏の憤りは極に
達しました。

 志柿氏が怒ったのは、飛鷹の乗員は罪人
ではなく、前線で命がけで奮戦した兵士にも
かかわらず、寝具も充分でないことでした。

 隔離については、機密保持情致し方ない
とはしていますが、忠勇なる下士官に対して
すまないと思ったからでした。

 問題は、準備不足は、目の前にいる先遣
隊長の責任ではなく、司令部にあることです。
一連の苦労をして準備不足を補うべく活動
してから、報告のために戻ってきたにも
かかわらず、謂れのないことで怒られた
ことで、むっとした態度をとりました。

 しかし、先遣隊長は、何も言わずに、呉まで
準備の交渉に出かけていきました。後に苦労
したのに、副長に叱られたとこぼしていました。


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