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飛鷹の乗員への司令 [空母飛鷹]

 豊後水道を通って、桂島水道に仮泊
しました。

 志柿氏は、大淀にいる連合艦隊司令部を
訪れました。そこで、同級生に会いました。
彼は、志柿氏が生還したことを喜んで
くれました。

 司令部で、飛鷹の乗員は、呉の三つ子島に
いるようにと言い渡されました。これは、敗戦を
隠すために、当事者を隔離するためのものであり、
戦場に来もしなかった司令部が、このようなことを
言う神経を疑いたくなります。

 便船は、浅間丸だと言うことで、隼鷹に帰って
指示を待つことにしましたが、浅間丸は来ません
でした。

 翔鶴と大鳳の乗員も同じ司令を受けていました。
彼らは、今の便乗生活の待遇が不愉快のようで、
浅間丸に移って生活しないかと、言ってきました。

 しかし、志柿氏は、隼鷹では家族のような対応を
受けており、浅間丸に移って生活する要を認めな
かったので、断りました。艦長や負傷者は、病院船で
呉の海軍病院に送られました。志柿氏は、負傷者に
はなりませんでした。

 そうこうしているうちに、巡洋艦麻耶が、正午、
呉に向かうことになりました。浅間丸に移乗するに
あたり、どれほどの荷物が必要かわからないので、
先遣隊を送ることにしました。その旨を麻耶に送り
ましたが、知らぬ顔で出港していきました。

 そこで、もう一隻の出港予定の高雄に
頼みました。幸い、高雄の副長は、志柿氏の
同級生で、彼は、艦長に頼んで、出港を
遅らせてもらうようにしました。

 後に、彼の努力を聞いた志柿氏は、本当に
感激したとしています。


紹介書籍:空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦
著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 隼鷹の被害 [空母飛鷹]

 最終的に、庶務係の主計兵が、総員名簿を
完全な状態で、駆逐艦に運んだことは、この後の
残務処理に大きく役立ちました。そのような中で、
志柿氏は、艦長を助けた下士官が誰なのか、
つかめませんでした。

 志柿氏は、隼鷹が戦闘中どういう状況
だったのか確認しました。その結果、隼鷹も、
飛鷹に劣らず活躍したことが分かりました。

 しかし、飛鷹ほど、事前準備が徹底して
いませんでした。本来なら陸揚げすべき
書類が多数積みこまれたままと、なって
いました。

 これが、爆撃を受けたときに、火災の燃料と
なり、火災が大きくなりました。そのため、鎮火
するまで6時間もかかっていました。30分で
消し止めた飛鷹の12倍もかかったことに
なります。

 臨戦準備を徹底することの大切さは、
飛鷹では皆体験していたので、隼鷹の
不備に驚いたとしています。

 隼鷹は、爆弾を煙突に受けていました。
そのため、近くの見張所は破壊され、乗員の
死体が外側にぶら下がり、悲惨極まりない
状況になっていました。

 このような状況なので、隼鷹も人手が
不足気味であり、志柿氏は、飛鷹の士官と
同じように、隼鷹の当直を手助けしました。
そして、手が空いた時に、飛鷹の残務処理を
行いました。

 志柿氏が負った手の傷は、なかなか治りま
せんでした。両手ともすっかり指の先まで
皮がむけてしまっていました。満潮にいた時、
包帯を代えるたびに、新しい皮は再び
はがれていき、治療は困難でした。

 隼鷹に来てから、軍医長が種々の工夫を
してくれたお陰で、だいぶ新しい皮が出来
始めましたが、洗面や入浴は全く出来ず、
箸を持つことも難しかったとしています。


紹介書籍:空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦
著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 乗員の奮闘 [空母飛鷹]

 志柿氏は、飛鷹は、平常の艦内の融和した
雰囲気があったため、非常時においてもこの
雰囲気が活かされたとしています。

 志柿氏が命じることなく、我先に退去する
という乗員は、一人もいなかったとして
います。そして、各乗員は、職務を全う
していました。

 六分隊(見張り、水測関係の乗員)は、
分隊長が重傷者と水泳不能者を退去させて、
水泳の達者な上級者が、彼らを駆逐艦まで
運んだということでした。

 六分隊は、マストに命中した爆弾で、
半数以上が戦死していましたが、重傷者は
このように助かったようでした。

 航海長は、戦時治療室に運ばれた時には
戦死しており、飛行長は、うわごとを言って
いましたが、息絶えたということでした。
飛行科の幹部は、小林大尉以外全員
戦死していました。

 電気長は、最後まで発電気室で頑張って
いましたが、灼熱の部屋から部下全員を
上げた後、責任を持って配置を守り続け、
艦と運命をともにしました。惜しみて
余りある人を亡くしたとしています。

 各分隊長は、分隊員を集めて状況を調査
しましたが、各自よくその職責を完全に果たして
いました。命じられたことだけでなく、自分が
気づいたことを、万難を排して成し遂げて
いました。

 志柿氏は、飛鷹の乗員の優秀さを証明する
もの以外なにものでもないとしています。飛鷹は、
撃沈されたとはいえ、乗員の奮闘は、賞賛に
値すると言えます。

 その一方で、帰還した機動部隊は、大急ぎで
瀬戸内海に回航しました。敵潜水艦が、湾口に
出没しているらしい徴候があるからでした。

 負け戦は、じつに悲惨なものであると
しています。


紹介書籍:空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦
著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 総合的な状況判断 [空母飛鷹]

 航海中、総員が飛行甲板に整列して、
司令官の訓示を受けました。

 司令官は、飛鷹の奮戦を心からたたえられ
ました。志柿氏は、艦長代理として、乗員を
代表して司令官にお詫びを申し上げました。
飛鷹の乗員は、隼鷹で分け隔てなく接して
もらえ、嬉しかったとしています。

 この後、幹部が一堂に会する機会を
得たので、戦闘中の部分的な事情が
分かり、総合的な状況判断が出来る
ようになりました。

 その中で、志柿氏が不思議に思っていた
第二次爆発の原因について、明確に
なりました。

 砲術長の話として、飛鷹は機関が停止して、
僚艦から離れてしまい、敵潜水艦に狙われる
ことになりました。敵潜水艦2隻が、合計10本
もの魚雷を後尾から放ち、ガソリンタンク付近に
命中したようでした。

 その際、ガソリンが誘爆し、後部昇降機を
吹き上げ、その勢いで、前部昇降機も吹き
上げたようでした。志柿氏は、昇降機が吹き
上げるところを見ていますが、後部の方が、
高く吹き上げていました。

 艦内の電灯と、消防主管は、第一次及び
第二次の潜水艦魚雷攻撃の際に、すっかり
破壊され、その中を、応急員は勇敢にも、
手探りで下部格納庫まで行き、原因を
突き止めてきました。

 このような状況なので、飛鷹は後部から
浸水していきました。そのため、後部にいた
機銃員は、総員退去の号令が伝わりません
でした。機銃員は、腰まで水につかり、頑張り
ました。

 艦が縦になったとき、相当に大きな渦に
巻き込まれ、海水を飲み込みました。多くの
人が、渦に巻き込まれていくのを目撃したと、
言うことですが、志柿氏が集計したところでは、
戦死者と生存者の合計は、ほぼ乗員数と
なりました。

 従って、溺死者は、極めて少なかったと
しています。


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著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 隼鷹に移乗 [空母飛鷹]

 士官の中では、軍医長が、戦死して
いました。

 軍医長は泳げなかったので、艦と運命を
共にするつもりでしたが、看護兵に連れ
出されました。しかし、途中で手を離して
しまい、その後見つからなくなりました。

 艦長は、胸部に内出血があり、血痰も
吐くので予断を許さず、絶対安静のまま、
胸を冷やし続けました。また、目には
弾片が入っていました。

 志柿氏は、戦死したのは戦闘中のものが
大半で、総員退去後は少数と知り、ホッとした
としています。


 駆逐艦は、沖縄の中城湾に向かって進んで
いきました。しかし、途中で燃料が足りなくなる
艦も出て、少ない燃料を洋上で分け合い
ながら、経済速力で進んでいました。

 志柿氏が電報を打てたのは、中城湾近くに
なってからでした。この間、救助された翌日に
9名、その翌日に6名が戦死しました。救助
された後に戦死したと言う事実に、残念で
ならないとしています。

 志柿氏ら、駆逐艦に救助された乗員は、
隼鷹に移ることになりました。艦長は、担架に
乗せられ、隼鷹の艦長室に運ばれました。

 さっそく、司令官、先任参謀、隼鷹艦長の
見舞いを受けていました。艦長の目には、
涙がにじんでいました。

 二航戦随一と自ら誇り、他も許していた
飛鷹が沈没したことは、艦長として残念の
きわみであったと思われます。

 飛鷹の乗員は、全員隼鷹に集まり、隼鷹の
補充員として活躍しました(隼鷹も攻撃を受け、
かなりの戦死者を出していました)。

 隼鷹乗員と同じように扱ってもらい、便乗者と
いう気分であってはならないという思いから
でした。


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著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 被弾状況 [空母飛鷹]

 駆逐艦の先任将校が、志柿氏のところに
来ました。そして、寝室は、飛鷹艦長と同じ
司令室を使ってほしいと言う事でした。

 ただ、司令室に、司令用の軍刀があり、
飛鷹の艦長にもしものことがあったら
いけないので軍刀を移したいがどうで
しょうかとたずねられました。志柿氏は
同意し、司令室に向かいました。

 司令室では、飛鷹艦長が、ベッドで寝て
いました。しかし、トイレに行くには、ソファーの
方がよいといわれ、艦長をソファーに移し、
志柿氏がベッドを使うことになりました。

 艦長の胸を、水で冷やし続けていましたが、
とても苦しそうにしていました。


 志柿氏は、士官室に戻りました。そこで、
戻ってきた内務長に、飛鷹の被弾状況を
確認することにしました。飛鷹は、最初の
急降下爆撃は、取り舵をとって、回避
しました。

 その後、航海長が、「取舵一杯急げ。
二分の一。」と命じたので、躁舵長が取舵を
急いでとったところ、機械が追いつかず、舵が
故障したようになりました。

 その頃、敵機は、雷撃と爆撃を同時に
行っており、雷撃機6機が隼鷹に向かい
ました。

 この6機は、長門が主砲一斉射撃で
4機撃墜し、残った2機は旋回しました。
旋回した先に、舵が壊れた飛鷹の横腹が
見えたので、幸いと攻撃を仕掛けてきました。

 1機は飛鷹に撃墜され飛鷹の前に墜落し、
1機は、雷撃に成功したということでした。
この魚雷命中で、舵が完全に動かなく
なりました。

 魚雷は、右舷機械室の冷蔵庫に命中し、
冷蔵庫と、機械室の隔壁を破り、海水が
冷蔵庫のあった位置から大量に流れ
込みました。

 幸い、海水が入ってくるまでに余裕が
あったので、機械室の乗員は、無事に
脱出できました。


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著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 戦時概報 [空母飛鷹]

 魚雷命中時、左舷の機械室も完全に止まり、
飛鷹の主機械はすべて止まってしまいました
(飛鷹は、商船と同様、主機械が止まると、
すべて止まるようになっていました)。

 魚雷爆発の際に発生する毒ガスで、命中と
同時に注排水指揮所員は、一部を除いて、
全員戦死しました。

 救助者の8名は、烹炊員が困難をおかして、
防水扉蓋のマンホールをくぐって甲板に
救助しましたが、烹炊員は救助と同時に
倒れてしまいました。

 飛鷹の火災は、臨戦準備作業と訓練の徹底、
応急員の勇敢さで、わずか30分で消し止め
ました。

 その後、左正面から来た爆撃機が、爆弾を
投下し、艦橋後部のマストの上1mほどに
命中しました。この攻撃で、弾片が傘型に
広がり、見張所と航空指揮所にいた乗員が
全員戦死しました。

 艦長など数名は、電探に遮られ助かり
ましたが、航海長は、舵故障で予備装置に
移ろうと梯子まできた時に攻撃を受け、
戦死しました。

 爆発前に、志柿氏は、ガソリンタンク外側の
空所に注水を命じていたので、ガソリンが
爆発することはありませんでした。火災は、
航空魚雷を食った時に、重油に引火
したと考えました。

 志柿氏は、夜が明けてから、駆逐艦に
救われている乗員を書き加え、艦長の
名前で、戦時概報として打電することに
しました。

 夜が明け、各駆逐艦が集合したので、
各艦に、生存者を知らせるように、信号を
送りました。

 すると、別の艦にいた砲術長や機関長から
報告がありました。報告のあった乗員を
数えると、3分の2は助かっていました。

 そして、沈没前に持ち出された御真影は、
砲術長のもとに安置されていました。


紹介書籍:空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦
著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 満潮の救助作業 [空母飛鷹]

 雑談をしながら12時過ぎまで
過ごしていると、駆逐艦が、内火艇や
カッターを回収し始めました。

 そして、爆雷戦用意の号令がかかり
ました。間もなく、艦は、スクリュー音も
高らかに動き出しました。

 やがて、爆雷の炸裂する大きな振動と
ともに、ドーンという音が聞こえました。
また、しばらくして艦が止まると、カッターが
卸されるようでした。

 しばらくすると、油まみれの兵士が
立っていました。それは、内務長の
渡辺少佐でした。

 志柿氏は、どうしたのか尋ねると、
渡辺少佐は、重油が流れてきて、
頭からかぶり、さらに飲み込んで
しまったということで、何も言いようが
ないという事でした。

 渡辺少佐は、作業服の上から雨衣を
着て、長靴を腰に下げたすごい格好を
していました。志柿氏は、よくこの格好で
泳げたものだと、感心しました。渡辺少佐は、
浴室に向かっていきました。

 満潮の救助作業は、午前1時半過ぎ
まで行われました。他の駆逐艦は、当の
以前に引き揚げており、満潮のみが
探照灯を使って、救助に当たって
くれました。内務長が救われたのは、
このお陰であり、感謝のほかありません
でした。

 午前3時ごろ、飛行機の爆音が聞こえて
きました。まもなく艦が止まり、しばらくして、
顔を血だらけにした大尉と中尉が入室して
きました。この2人は、瑞鶴の飛行パイロット
でした。

 攻撃を終えて、帰還したものの、瑞鶴の
位置が分からなくなり、仕方なく探照灯を
照らして救助作業をしていた満潮の近くに
不時着して、救助されたということでした。

 マリアナ沖海戦でも、駆逐艦によって
救助された空母乗員が多数いたことを
示しています。


紹介書籍:空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦
著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 遭難時の話 [空母飛鷹]

 志柿氏が士官室に戻った時、横井艦長を、
駆逐艦司令室に運ぶため、兵隊にかついで
いるところでした。艦長は、体が痛み、呼吸
困難で、歩行はほとんど出来ないようでした。

 志柿氏らは、主計長の好意で、給食の
ビスケットを食べ、新品の下士官服に着替え
させてもらいました。落ち着いてくると、各々の
遭難時の話となりました。

 二分隊長の沖中尉が、カッターを降ろしに
行きました。カッターは一度持ち上げてから
降ろす必要があり、持ち上げる作業に骨が
折れたとしています。

 カッターを吊り上げた時、カッターで作業
していた二等兵が、滑車に指を挟めてしまい
ました。

 その瞬間、艦が左に傾いたため、滑車に
挟まれた二等兵を助けることも出来ず、
海に飛び込むことになったと言う事
でした。可哀想なことをしたとして
います。


 志柿氏は、改めて時刻を確認すると、海に
入ったのは7時ごろでした。駆逐艦に助けられ
たのは11時ごろだったようです。なので、正味
4時間も泳いでいたことになります。しかし、
志柿氏は、30分くらいのような気がして
いました。

 そして、海に入っていた時、ここがサイパンの
西300海里くらいなので、陸まで泳ぐことは思いも
寄りませんでした。そして、サメの心配をしました。
しかし、そのような気配は一切ありませんでした。

 志柿氏は、大正時代、硫黄島沖で大演習に
参加した時、沢山のサメを釣った経験があるので、
いないことを不思議に思っていました。

 雑談は、12時過ぎまで続きました。


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著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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空母「飛鷹」 横井艦長救出 [空母飛鷹]

 海に落ちた横井艦長は、浮き身をして、
空に浮かぶ月を見て、この月も今日が
見納めかと思って見ていました。

 すると、そこに、下士官が泳いできて、
艦長を見つけ、木片を持ってきますと
言ってくれました。

 艦長は、ほっておいてくれと言い、何も
しませんでした。しかし、下士官は、円材を
3本運んできて、それらを組み合わせ、艦長を
寄りかからせるようにして入れてくれました。

 そして、その下士官は、ボートを呼びに
行き、間もなく内火艇を連れて来て、乗せて
くれたといことでした。ところが、その助けて
くれた下士官が見つかりませんでした。

 本来死ぬべきは自分で、助かるはずの
下士官が生きていないのは申し訳ない。
ということでした。

 志柿氏は、艦長から、助けてくれた下士官を
探して欲しいと頼まれました。志柿氏は、即
引き受けました。志柿氏は、総員退去後、
艦長をかついででも助けるつもりだったので、
艦長が生きていたことは嬉しく思っていました。

 志柿氏は、足が言うことを聞かない状態で、
なおかつ素足で、乗員がどうしているか、
見に行きました。機械室の上を通る時は、
熱さでつま先だって走るようにしました。

 兵員室の階段を下りたところで、駆逐艦の
軍医少尉と看護兵が、負傷者の治療をして
いました。志柿氏は、軍医少尉に挨拶し、
乗員を簡単に見舞いました。そこで、
掌経理長が重体だという話を聞きました。

 志柿氏は、掌経理長のところにいくと、
体を起こそうとしました。志柿氏はこれを
制止させ、具合を尋ねました。頭痛が
激しく、呼吸が苦しいということでした。

 志柿氏は、大事にするように言って、
士官室に戻っていきました。


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著者:志柿 謙吉(しがき けんいち)
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