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巡洋艦大淀 日本海軍最期の艦隊作戦 [巡洋艦大淀]

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 小淵氏が退艦した後の大淀について 紹介します。大淀は、江田島湾に回航され、 海岸から300mほど離れた浅瀬に前後部を 繋留して防空砲台の役目につきました。  日本海軍最期の艦隊作戦である水上 特攻として、大和など10隻が出撃し、 生き残った4隻の駆逐艦以外撃沈しました。 この艦隊には、小淵氏と同じ特年兵が 多数参加していました。  以前紹介した井上氏も、駆逐艦磯風で 出撃しています。もうひとり、磯風に乗り 込んでいた特年兵の島崎氏は、磯風と 運命をともにしています。  大淀から、矢矧に引き抜かれて参戦した 飛行分隊の多くが、戦死しています。  この頃、大淀ら内地にいる艦隊は、燃料 不足で航行できず、甲板上に松の木や 杉などを乗せて偽装していました。  しかし、B29から、「松が枯れて茶色に なっているので、植え替えてはいかがで しょうか。」というビラが撒かれる始末 でした。  敵の機動部隊が四国の土佐沖に来攻 したのが、7月24日未明でした。この情報を 2日前につかんでいた日本軍は、万全の 準備を整えて敵機の出現を待ちました。  午前7時、大淀は、電探で敵機の来襲を 補足しました。大淀は、艦長の交代や乗員の 移動がありましたが、歴戦のベテランは 残っていました。冷静に対空戦闘の開始を 待ち構えていました。  江田島の陸上では、空襲警報のサイレンが 悲鳴のように鳴り響き、各所の砲台が散発的な 射撃を開始しました。しかし、敵機は、陸上の 散発的な砲火など歯牙にもかけず、向かって きました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男


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