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源田実参謀 飛龍の第一次攻撃隊 [源田実航空作戦参謀]

 7時57分、飛龍を発進した艦上爆撃機
18機、零戦6機の第一次攻撃隊は、
小林大尉に率いられ、上下三段に
配備されたグラマンF4戦闘機
12機と対空砲の猛射を受けながら、
午前9時8分ごろ、ヨークタウンに
突撃を開始しました。

 通常爆弾3発を命中させ、陸上用爆弾1発を
至近弾としました。陸上用爆弾は、貫通力は
通常爆弾より劣りますが、爆発力は1.5倍あり、
爆撃機のうち6機が、この爆弾を搭載して
いました。

 陸上用爆弾で、対空火器を制圧し、その後、
通常爆弾での攻撃をしやすくしようというもの
でした。しかし、敵戦闘機により、爆弾投下前に
6機が、2機が、対空砲により撃墜されました。

 護衛の零戦は、途中で出会った雷撃機との
戦闘で、1機が被弾し、1機は、弾切れとなった
ため帰還し、零戦の護衛は4機となっていました。

 しかも、アメリカ軍は、59km先から、レーダーで
攻撃隊の来襲を感知していました。そのため、上空
警戒の戦闘機に上下三段の迎撃態勢をとられている
ことも、爆弾投下前に多数撃墜された原因でした。

 9時25分頃、このときの攻撃の戦果が飛龍に
伝えられました。山口少将以下の司令部は、
1隻仕留めたと元気づきました。しかし、
最終的に、第一次攻撃隊は、艦上爆撃機
13機、零戦4機中3機を喪失しました。

 犠牲者には、攻撃隊を率いた小林大尉も
含まれるという、惨憺たる損害でした。

(追記)
 上記の陸上爆弾の威力を考えると、陸上
爆弾のまま、空母に向かって攻撃すべき
という山口少将の意見はまっとうな
ものだと言えます。

 航空専門家の源田参謀が、この判断を
できなかったことが、ミッドウェー海戦の
悲劇になったと言えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 山本長官の行動 [源田実航空作戦参謀]

 空母が被弾した被弾した7時30分頃、
山本長官が何をしていたのか紹介します。

 この当時のことは、司令部付の従兵長が
語っています。それによると、作戦室で、
渡辺参謀と将棋を指していたようです。

 従兵長は、「旗艦の作戦室で、山本長官が
渡辺参謀を相手に将棋を指している。なぜ、
あの大事な作戦行動中、しかも、空母が
次々と撃沈されていく時に、将棋を
やめなかったのか。

 あのときの長官の心境は、あまりにも複雑で、
私ごときの理解をはるかにこえるものだったの
だろう。連合艦隊付通信長が青ざめた顔を
して、空母の悲報を次々に報告に来る。

 この時も、長官は将棋の手を緩めることなく、
“ホウ、またやられたか”のひと言だけだった。」
としています。

(追記)
 従兵長の言葉を借りるなら、山本長官の
一般の将軍とは全く違う狂気の頭脳を、理解
できないのは当然だということになると
言えます。

 上記の山本長官の行動と言葉から言えるのは、
自分がこの作戦の総指揮を執っている当事者だ
という意識がないということです。

 明らかに、第三者視点であり、空母が
被弾するたびに、多数の死傷者が出ている
という当たり前の事実に、全く意識を
向けていないと言えます。

 山本長官は、日本に恨みを持っており、
日本を滅ぼすためにわざとアメリカと
戦争するように仕向けたのではないか
という疑惑があります。上記の発言は
裏付けているような気がします。

 疑惑はともかく、山本長官を連合艦隊
司令長官にしたことが、日本にとって、
最悪の人事だった事は間違いなく、
真珠湾攻撃を進言している時に、
馘首にすべきだったと、
今更ながら思います。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 阿部少将指揮する [源田実航空作戦参謀]

 大火災で指揮を取れなくなった南雲長官は、
7時46分幕僚たちに抱えられ、駆逐艦風雲に
移乗しました。この時から、機動部隊の指揮は、
南雲長官に次ぐ先任指揮官の第八司令官阿部
少将が、しばらく執ることになりました。

 阿部少将は、7時50分、山本長官あてに、
「敵艦攻、陸攻の攻撃を受け、加賀、蒼龍、赤城
大火災。飛龍をして、敵空母を攻撃せしめ、
機動部隊は、北方に退避。兵力を集結せんとす。」
と打電しました。

 同時刻、山口少将は、阿部少将が乗る巡洋艦
利根と、機動部隊全艦に、「我れ、今より航空機の
指揮を執る。」と発光信号を発しました。飛龍艦内
には、「赤城、加賀、蒼龍は被爆した。本艦は、
今より全力を上げて、敵空母攻撃に向かう。」と
通報しました。

 300海里後方にいた大和の司令部は、利根の
偵察機が敵空母発見の報告を受けてから、誰もが
第一機動部隊は、簡単に敵空母を片付け、ミッド
ウェー作戦の主目的は、達成されると確信して
いました。

 宇垣参謀長、黒島参謀らは、何の疑いもなく、
吉報が来ると思っていました。それが、来たのは
大凶報でした。幕僚たちは、ドーリットル空襲を
受けた時以上の、あるいは真珠湾攻撃を聞いた
アメリカ国民以上の深刻なショックを受けました。

 しかし、茫然自失ばかりしているわけには
いかず、主力部隊は、直ちに増速し、味方を
救援することにしました。この敗戦処理に最も
活躍したのは、従来阻害されていた宇垣
参謀長でした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 用兵が破綻 [源田実航空作戦参謀]

 赤城、加賀、蒼龍は、数発の爆弾を急降下
爆撃で浴びることになりました。この時、
それぞれの空母には、第二次攻撃隊として
飛び立とうとしていた艦上攻撃機や爆撃機が
ずらっと並んでいました。

 さらに、兵装転換により、積み替え替えられた
爆弾が格納庫内に、ゴロゴロしていました。
そのため、自分の魚雷や爆弾が誘爆し、
三艦とも大火災を起こしました。

 雷撃機はかわしやすいが、急降下爆撃は
回避が困難という珊瑚海海戦の貴重な教訓を
無視した当然の結果でした。

 空母を集中配備し、多数の零戦で敵飛行機の
攻撃は阻止できると断言していた、源田参謀の
用兵が破綻しました。

 多数の戦闘機を配置していても、攻撃を
阻止できないばかりか、空母を集中運用
したために、一気に3隻の空母を
失うことになりました。

 赤城と加賀に爆弾が命中した時、源田
参謀は、「残念だが、これしきのことで
へたばってなるものか。まだ二航戦が
いる。」と考えました。

 しかし、直後に蒼龍も被弾し、甲板から
濛々たる白煙が立ち昇っていました。

 この時になって始めて、「蒼龍もやられたか。
これは、大変なことをしでかしたぞ。」と愕然とし、
後どうしていいか分からなくなりました。南雲長官や、
草鹿参謀長ら、機動部隊司令部は、誰も黙って
いました。

 自分たちの判断が間違っていたことを、
やっと悟ったようでした。しかし、悟るのが
遅すぎたと言えます。この後、日本軍は、
敗戦に向かって坂道を転げ落ちていくことに
なります。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 急降下爆撃機からの攻撃 [源田実航空作戦参謀]

 日本軍は、超短波無線は、艦対艦がやっとの
状態の時、アメリカ軍は、実用化された、艦対艦、
艦対空、空対空の性能の良い超短波無線電話を
持っていました。

 更に、対艦、対空のレーダーも持って
いました。日本軍は、この当時、レーダーに
至っては試作の段階で、戦艦伊勢と日向に
装備されていただけでした。

 敵機の状況がわからない状態の時、飛龍の
見張員の吉田特務少尉が、7時19分に、
「敵急降下爆撃の編隊左30度、加賀に
向かう、高度4000」と絶叫しました。

 SBDドーントレスが、すでに一本棒になって、
加賀に向かっていきました。エンタープライズから
飛びたった、マッククラスキー少佐の急降下爆撃機
25機でした。

 この内の20機が、7時23分頃、ダイブに
入り、加賀に向かっていきました。残りの5機は、
7時24分頃、加賀の左前方500mほどのところに
いた赤城に急降下していきました。

 7時28分ごろ、ヨークタウンから飛び立った、
レスリー少佐のSBDドーントレス急降下爆撃隊
17機は、蒼龍にダイブしていきました。

 この時、飛龍は、これまでの敵からの集中的な
攻撃を受け、回避運動を続けていたため、北東の
方に1艦だけ離れており、敵の急降下爆撃隊の
進入路に並んでいた3艦から離れていたため、
攻撃を受けずに済みました。

 この急降下爆撃で、加賀は4発、赤城は
2発、蒼龍は4発の爆弾を浴びることに
なりました。

 本来なら、この程度であれば、珊瑚海海戦で
爆弾を浴びた翔鶴同様、飛行甲板は使えなく
なるものの、行動は可能なはずでした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 用兵の穴 [源田実航空作戦参謀]

 アメリカ空母の雷撃機との戦闘は、
7時15分頃終わりました。

 ここまで一発も攻撃を受けてないという
事実から、源田参謀は、「いくらやって
きても大丈夫だ。機動部隊の防空能力には、
従来いささか疑問を持っていたが、どうして
どうして、大したものだ。今日も勝ち戦だ。

 まず、敵母艦からの来襲機を撃滅し、
ついで、敵の母艦群を葬り、ミッドウェーは
今夜から、明朝にかけて、叩き潰してやろう。
今日は、開戦以来の激戦だが、勝運は我に
ある。」と満足していました。

 しかし、一息ついて間もなく、東方の哨戒中の
水上機から電信で、「敵大編隊見ゆ。貴隊より
方位110度、30海里・・・」というものでした。
続いて、駆逐艦から、「敵大編隊。10度方向。
高度3000。貴隊に向かう。」という発光信号が
ありました。

 赤城の見張員は優秀で、訓練も行き届いて
いたものの、上空の大半が、雲に覆われ、
赤城の見張用20倍望遠鏡では、敵機が
見えませんでした。

 源田参謀は、雷撃機用に降りてきていた
零戦を上空に移動させようとしましたが、
敵機が見えず、無線電話もよく通じないため、
位置を知らせることができませんでした。

 日本軍は、この当時、艦対艦と艦対空の
超短波無線を持っていましたが、艦対艦が
やっと使える程度でした。艦対空は、欠陥が
あって、ほとんど使えませんでした。

 このような状態なので、上空の飛行機を
思うように動かそうとしても不可能に近かった
と言えます。源田参謀の用兵には、ここにも
大きな穴がありましたが、気づいていません
でした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 ありえないジレンマ [源田実航空作戦参謀]

 源田参謀が述べたことが小説的発想による
妄想なのは、次の吉岡参謀の言と、状況から
考えてありえないからです。

 吉岡参謀は、源田参謀の回想に対して、
「攻撃隊を不時着させなければならなかったと
言ってるが、この時は、あのような惨事になるとは、
全く思っていなかったので、不時着させるつもり
など全くなかった。」としています。

 さらに、南雲長官の命令で北方に変針した
5時55分頃は、赤城と加賀は、格納庫で
兵装転換中であり、飛行甲板には、並べられる
状態ではありませんでした。

 飛龍と蒼龍は、兵装転換が終わっていたものの、
司令部の指示を待つために、格納庫で待機して
いました。この状況で、第二次攻撃隊を発進
させるか、収容するかで悩む必要はなく、
ジレンマになるはずがありませんでした。

 そもそも、第二次攻撃隊の発進は、1時間半後の
7時30分を予定していたので、まだ、1時間半も
あります。兵装転換をやめてすぐに発艦させる
ということでないなら、吉岡参謀の言う通り、
収容する方が先と言えます。

 ミッドウェー攻撃隊をすべて収容できたのは、
7時少し過ぎでした。このころ、アメリカの空母から
発艦した雷撃機が、戦闘機を伴って来襲したのが
この頃です。

 そして、この雷撃機は、ミッドウェー攻撃隊の
零戦も合わせて34機以上で対応し、一本も
命中することなく、逆に返り討ちにしています。

 この時まで、一発も攻撃を食っていないという
事実を過大評価した源田参謀ら、機動部隊
司令部は、この後、大惨事に巻き込まれる
ことになります。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 小説的発想 [源田実航空作戦参謀]

 味方の攻撃隊が上空に帰ってきた時の
状況を、源田参謀は次のように述べて
います。

 「6時少し前に、友永隊が戻ってきて、
上空で旋回していた。ここで、私は大きな
ジレンマにぶつかった。

 発進準備のために、飛行甲板に、第二次
攻撃隊を並べれば、ミッドウェー攻撃隊の
着艦が遅れ、燃料不足のため不時着する
者があるだろう。

 かと言って、ミッドウェー攻撃隊を収容
してから、攻撃隊を準備すれば、発進は
著しく遅れることになるだろう。図上演習なら、
文句なく攻撃隊を先にしただろうが、実戦では、
血の通った戦友を動かしている。

 これらの人々に、“燃料がなくなったら、
不時着して駆逐艦に助けてもらえ。”という
気にはなれなかった。真珠湾依頼の歴戦の
士200名と、100機の飛行機を、みすみす
失うことが、今後の戦闘に及ぼす影響も考えた。

 幸い、今朝来の敵の攻撃は、アメリカ軍の
技量が大したものではないことを示している。
すでに、二時間余の攻撃が続いているが、
一発も命中していないばかりか、来襲機の
大半は撃墜している。

 わが攻撃隊の発進が遅れれば、敵の
攻撃を受けるかもしれないが、撃退できる
だろう。それより、攻撃力を大きな塊として、
敵にぶつける方が、必要と考えた。

 “そこで、攻撃隊を収容し、ついで
第二次攻撃隊を発進せしむるを可とす。”
という意見を南雲長官に進言して同意を
受け全軍北方に変針した。」としています。

 これは、例のごとく、源田参謀の小説的
発想の妄想ということになります。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 司令部の怠慢 [源田実航空作戦参謀]

 第一機動部隊の300海里後方を進む
「大和」の作戦室では、「敵空母発見」の
報告に、幕僚一同飛び上がらんばかりに
喜びました。

 宇垣参謀長は、「よき敵ござんなれ」と思い、
黒島参謀は、「いちころだ」と思い、佐々木
航空参謀は、「しめた」と思ったようでした。

 ここで、山本長官は、「すぐにやれと
言わんでもよいか。」と尋ねました。それに
黒島参謀が、「機動部隊の搭乗機半分を、
艦船攻撃に待機させるよう指導してあるし、
参謀長口達でもやかましく述べられている
ので、今更言わないでもいいと思います。」と
返答しています。こうして、山本長官の考えは、
機動部隊に伝わらない事になりました。


 ミッドウェー攻撃隊が、午前4時50分頃、
上空に帰ってきました。しかし、この時は、
ミッドウェー島からの敵機の爆撃を受けて
いる最中であり、着艦は不可能でした。
雲の中に逃れ、アメリカ軍の空襲が
終わるのを待つしかありまあせんでした。

 5時40分頃、敵機の攻撃が終わり、
各空母は、攻撃隊と上空警戒隊の
半数の収容を急ぎ、午前6時18分頃に、
収容が終わりました。

(追記)
 上記の黒島参謀の反応は不可解と言え
ます。半数は残しておくことを指導し、
口達でも伝えて徹底しているとすれば、
南雲長官や、草鹿参謀長が、兵装転換を
命じるはずがないと言えます。

 黒島参謀らは、「厳守せよ」のつもりでも、
機動部隊司令部は、基本方針としか、とらえて
いなかったということになり、認識のズレが
あると言えます。

 司令部の意図を正確に受け止めていたのは、
山口少将で、機動部隊司令部では誰もいな
かったということになります。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 索敵の不備 [源田実航空作戦参謀]

 飛龍の艦爆隊は、5時30分頃(利根
偵察機の空母発見の10分後)には、
艦船用爆弾への転換を完了することが
でき、蒼龍も間もなく終わると見込まれ
ました。

 しかし、赤城と加賀の兵装転換は、
2時間はかかるという見込みでした。
全兵力は、飛龍・蒼龍の艦上爆撃機
36機、赤城・加賀の雷撃機が43機、
零戦は12機でした。

 蒼龍に積まれた二式艦上偵察機
(後の彗星爆撃機。この当時、日米
艦上機最高速度)1機に、利根偵察機が
発見した空母に接触するように命じられ
ました。

 ここで、索敵機の不備がいくつかあった
ことを指摘しています。敵空母を発見した
利根偵察機ですが、空母の位置として報告
した位置は、だいぶ北方の方にずれて
いました。

 さらに、利根偵察機の隣の索敵線を飛んで
いた筑摩偵察機は、午前2時55分頃、この
海域を飛んでいますが、雲の下にいたため
見逃していました。索敵機に不運が重なった
としか言いようのない結果です。

 これにより、敵発見が遅れたことは事実
ですが、利根偵察機が遅れて出発したことと
同様に、偵察機を責めることはできないと
言えます。

 司令部が兵装転換の命令を出す前に、
発見できていればというのは、都合の良い
言い訳でしかありません。

 そもそもの問題は、司令部が、もし索敵機が、
敵機動部隊を発見したら、発見したタイミング
(作戦の進行により、空母にある艦載機の
数が変わる)により、どのように対処するか
ということを、概要でも決めておかなかった
ことにあります。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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