SSブログ

源田実参謀 ミッドウェー、アリューシャン西部要地攻略の命令 [源田実航空作戦参謀]

 1942年5月5日、大本営海軍部は、
山本長官に、ミッドウェー、アリューシャン
西部要地攻略の命令と、それに伴う軍令部
総長指示を伝達しました。

 その矢先、珊瑚海で、日米機動部隊
同士が、初の決戦を行いました。日本
陸海軍は、ニュービリテン島の基地
ラバウルを足がかりにして、ニュー
ギニア南東部の豪州軍基地ポート
モレスビーを、協同で攻略しようと
していました。

 ニューギニアの各要地攻略を容易にし、
豪州本土北方海域を制圧して、米豪
連合軍の豪州本土からの反攻を
抑止するという目的でした。

 5月始め頃のポートモレスビーを中心とする
南東方面の米豪空軍の第一線機は、約200機
とみられ、その中には、足の長い重爆撃機B17、
中爆撃機B26、軽爆撃機B25などが多数
含まれ、強大な戦力となっていました。

 ポートモレスビー作戦を指揮する井上成美
中将は、5月3日、ソロモン諸島南東部の
ガダルカナル島北側の小島ツラギに
陸戦隊を上陸させ、これを無血占領して、
飛行艇、水上機、艦艇の基地としました。

 ところが、5月4日早朝、アメリカの艦載機
80機の空襲を受け、駆逐艦菊月、掃海艇
2隻、駆潜艇1隻が失われました(菊月は、
現在も残骸が、現地に残されています)。

 アメリカ軍は、日本海軍の暗号を解読して
ツラギを攻撃したのでした。この時、日本軍が、
暗号が解読されていると警戒していれば、
ミッドウェー作戦の戦法を変えることが
できたと思われます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
nice!(0)  コメント(0) 

源田実参謀 鎧袖一触 [源田実航空作戦参謀]

 山口少将や源田参謀が意見していたことに
対して、宇垣参謀長は、「整備に若干の不備が
あれ共、時機の遅延は不利となるので、
計画通り実行する。」としています。

 孟子は、「天の時は、地の利にしかず、
地の利は、人の和にしかず。」と言って
いますが、この決定は、天の時を優先して、
地の利や、人の和を著しく軽視したものでした。

 山本長官は、山口少将や、源田参謀の訴えを
聞いているはずですが、事を急ぎ、予定を
延期しようとはしませんでした。

 草鹿参謀長は、「源田参謀や、山口少将が
口角泡を飛ばして食いついても、既に決まった
ことであるとして司令部が馬耳東風だった。

 私はあきらめていた。しかし、あきらめた
ところに私の失策の第一歩があった。連合
艦隊の計画がいかにまずかろうと、一度、
機動部隊が出陣すれば、鎧袖一触なにほどの
ことがあるという、うぬぼれと驕慢があった。」
としています。

 実は、これは、訴えをしていた源田参謀も
同様でした。機動部隊が出撃すれば、鎧袖
一触だと思っていたようでした。

(追記)
 ミッドウェー攻略を6月7日から動かせない
とした理由について、詳細に紹介します。

 ミッドウェー島は、環礁を越えて礁湖を渡って
上陸する必要があります。そうすると、敵に
発見されにくい、前夜半は月が出ていない
6月7日を最適としたと言うことです。

 7月になると、アリューシャン方面の霧が
多くなり、作戦が困難になるというものでした。

 こうして見ると、機動部隊を壊滅するという
作戦当初の目的と全く無関係に、日時が
選ばれていることになります。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。