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源田実参謀 ミッドウェー直前の源田参謀の行動 [源田実航空作戦参謀]

 淵田中佐の描写は、淵田中佐が直接見た
ことではなく、源田参謀の著書であるミッド
ウェーの中で、淵田中佐が行ったこととして
描かれています。したがって、描写の通りかは
疑問があります。

 この描写から言えることは、源田参謀が、
艦橋の配置についたということです。草鹿
参謀長も、「午前1時30分、ミッドウェー
攻撃の第一波は、出発準備の試運転を終わり、
出撃の命令を待っていた。

 淵田中佐は、盲腸の手術を受けた後の
身を、かろうじて発着艦指揮所の椅子に
託して発進の状況を見守っていました。
淵田中佐は、手術後の疲労が甚だし
かったようです。

 源田参謀もまた、風邪による発熱でいつもの
ような元気がなかったが、それでも努めて
艦橋に姿を見せているのを見て、私としては、
一抹の心の寂しさを感じていた。」と回想して
います。

 源田参謀が発熱で寝込んでいたことは
事実のようです。しかし、だからといって、
ミッドウェー作戦指導の巧拙は別問題と
言えます。

(追記)
 後の淵田中佐と共に、連合艦隊参謀として
働く中島親孝中佐は、淵田中佐について、
以下のようなことを言及しています。

「淵田中佐は、文章が上手い人だと思った。
お父さんが、漢学者だったからだろうが、漢語を
実によく知っていて、訓示の文案は、大抵
淵田中佐が書いていた。感状の文句も
うまいなというところは、みな淵田中佐の
知恵だった。飛行機のことよりその印象が
強い。」

 淵田中佐は文章を作るのがうまいという
ことです。とすると、前回の文章は、源田
参謀から聞いた情景を、淵田中佐が
作文したのではないかと想像します。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 搭乗員起こし [源田実航空作戦参謀]

 アリューシャン方面を担当している角田少将は、
6月3日午後11時頃から、アリューシャン列島
東部のダッチハーバーのアメリカ軍基地に
対する攻撃にかかりました。

 しかし、天候不良のため、6月4日朝の第二次
攻撃まで見るべき戦果は挙がりませんでした。
第一機動部隊は、輸送船がアメリカ軍に攻撃
されたり、角田少将の第二機動部隊が攻撃を
始めたにもかかわらず、第一機動部隊は、
敵に発見されていないと考えていました。

 そして、翌日のミッドウェー奇襲の成功を
信じつつ、北西から24ノットで、攻撃隊発進
地点に、突進し続けました。

 6月4日23時45分、赤城の艦内拡声器が、
「搭乗員起こし」を告げました。盲腸の手術で
寝ていた淵田中佐は、6月5日零時すぎに、
病室を抜け出し、冷や汗をかきながら、這う
ようにして飛行長の増田中佐が采配する
発着艦指揮所に上がりました。

 この時の様子を以下のように描写しています。
「整備員はとうに起きて、飛行機の出発準備に
余念がなかった。発動機は、すでに起動されて、
轟々と試運転が行われていた。

 この時、出撃以来病気療養中だった源田
参謀も艦橋に上がってきました。南雲長官が、
源田参謀にもういいのかと尋ねられ、草鹿
参謀長も源田参謀の方に手をかけて
いたわりました。

 源田参謀は、相変わらず、キラキラ光る
双眸に闘志をみなぎらせながら、どうも
長らく寝込みすみません。熱はまだ少し
あるようですが、もう大丈夫です。と
元気に答えた。

 彼の闘志は衰えていなかった。しかし
体力は充分に回復していない。このことは、
全軍の運命をかける航空戦を切り盛りする
彼に、絶対の信頼を寄せていた人々に
とって、一抹の寂しさであった。」と
しています。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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