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源田実参謀 スプルーアンス少将 [源田実航空作戦参謀]

 日本の攻略部隊を迎え撃つアメリカ軍は、
日本の司令部が考えていたことを、
ことごとく外すような動きをして
いました。

 ハルゼー中将の艦隊は、南雲機動部隊が
出撃した5月26日に、真珠湾に、入港
しました。

 ハルゼー中将は、皮膚病にかかって
いたので、同部隊の巡洋艦戦隊指揮官の
スプルーアンス少将が、ハルゼー中将に
代わって指揮官に任命されました。

 スプルーアンス少将は、空母の経験は
ありませんでしたが、適材と認められ、
抜擢されました。

 珊瑚海海戦を戦ったフレッチャー少将の
空母ヨークタウンも、5月27日、真珠湾に
到着しました。ヨークタウンの修理には、
90日程度かかると見積もられました。

 情報班長のロシュフォート中佐は、
5月26日には、日本軍のミッドウェー
攻略の概要をほぼ掴んでいました。

 ロシュフォート中佐から報告を受けた
ニミッツ大将は、機動部隊の来迎時期を
6月3日~5日、来航方向は、ミッドウェー
北西と推定しました。

 そして、日本艦隊を攻撃させるため、
スプルーアンス少将の部隊を5月29日に、
フレッチャー少将のヨークタウンを3日で
修理させて、5月31日に出港させています。

 源田参謀は、図上演習について、連合
艦隊は、「機密が保たれているという誤判断と、
敵の戦意が低いという2つの誤判断をしていた。」
と述べています。もちろん源田参謀も、そう
思っていたはずでした。

 これは、何の根拠もない、日本軍にとって
都合がいいだけの勝手な思い込みであり、
アメリカ軍は、織田信長が今川義元の
大軍を打ち破った桶狭間の戦いを、
再現しようとしていました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 各部隊の出撃 [源田実航空作戦参謀]

 機動部隊の基幹である赤城、加賀、飛龍、
蒼龍の空襲部隊は、重巡洋艦利根、筑摩と、
戦艦霧島、榛名の支援部隊がその両側を
進んでいきました。補給部隊の輸送船とは、
5月31日に、洋上で会合予定でした。

 アリューシャン方面に行く空母龍驤、隼鷹と
重巡洋艦高雄、摩耶、駆逐艦部隊は、角田
少将に率いられ、前日の5月26日に、
青森県の大湊を出撃しました。

 5月28日、陸軍の一木大佐指揮の3000人、
海軍の大田少将指揮のミッドウェー攻略
部隊が、12隻の輸送船に分乗し、田中
少将が率いる軽巡洋艦神通と駆逐艦
11隻に護衛され、マリアナ諸島の
サイパン島を出ました。

 同日、栗田中将率いる重巡洋艦熊野、鈴谷、
最上、三隈と駆逐艦2隻が、同じくマリアナ
諸島のグアム島を出て、ミッドウェー攻略
部隊の援護に向かいました。

 同日、アリューシャン作戦総指揮官の細萱
(ほそがや)中将は、重巡洋艦那智と駆逐艦
2隻を率いて、大湊を出撃しました。

 5月29日、近藤中将率いる重巡洋艦愛宕、
鳥海、妙高、羽黒と、戦艦金剛、比叡、
軽巡洋艦由良、駆逐艦8隻、空母瑞鳳を
率いて、桂島泊地を出ました。

 この部隊は、サイパン、グアムからの攻略
部隊と合同することになっていました。

 この日の最後に、山本長官率いる主力部隊が、
近藤中将の部隊に続いて、出撃しました。今回の
出撃は、ほぼ、連合艦隊の総兵力と言えるほどの
規模であり、この時点でのアメリカの太平洋艦隊を
遥かに上回っていました。

 当然、全力でガチにぶつかっていたら、
勝利したはずでした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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