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2018-10-16 [源田実航空作戦参謀]

 源田参謀は、自著でミッドウェー攻略直前に
肺炎になりかけたと書いています。しかし、
源田参謀と常に一緒に行動していた
吉岡参謀は、否定しています。

 戦後になって、航空魚雷の専門家だった
愛甲元大佐から、「源田参謀は、ミッドウェー
海戦の時、風邪で寝ていて、艦橋にいなかった
そうだね。」と問われ、驚いたとしています。

 吉岡参謀は、そのようなことはないと、
よく説明し、手紙まで書いたとしています。
吉岡参謀は、風邪であったとしても、この
ような大事な時に寝込んで艦橋にいない
ような腰抜けの海軍士官は存在しないと
しています。

 もし、源田参謀が風邪を引いて、寝込んで
いたら、ミッドウェー海戦の失敗は、南雲さんの
責任だとなってしまい、参謀としてそれは
済まないと断定的にいっていました。

 源田参謀の言は、肺炎になりかけて寝込んで
いたのか、ミッドウェー海戦の失敗責任を回避
するために、風邪を古代に言いふらしたかの、
どちらかだろうとしています。

(追記)
 ここまで紹介しております通り、源田参謀には、
自分をよく見せるために嘘を言うくせがあります。

 上記も吉岡参謀の言の方が真実なので
ないかと思われます。

 一方で、ミッドウェー海戦失敗の最大の責任者は、
山本長官と、山本長官に同調して、まともに作戦の
検討もしていない司令部ということになります。

 司令部の中に南雲長官も入っていますので、
責任はありますが、同程度に源田参謀の責任も
大きいと言えます。

 最初の作戦段階から関わっていた時点で、
仮に攻略前に寝込んでいたとしても、源田参謀の
責任は消えません。

紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 淵田中佐 盲腸炎になる [源田実航空作戦参謀]

 アメリカ軍は、空母は、エンタープライズ、
ホーネット、ヨークタウンの3隻、巡洋艦
8隻、駆逐艦15隻で、南雲機動部隊を
迎え撃つことになりました。

 指揮官は、スプルーアンス少将と、
フレッチャー少将の二人で、先任は
フレッチャー少将となっていました。

 この二人に、ニミッツ大将は、日本機動
部隊の東北東寄りに位置して、先手を
取って、横側から鋭く奇襲をかけるように
命じていました。

 日本の潜水艦部隊が、アメリカ軍の
機動部隊監視のために持ち場に
つくのは6月4日であり、すでに
通り過ぎた後でした。これは、
連合艦隊の指示が遅れた
ことによるものでした。


 アメリカ軍が準備を進めているところに
向かう日本の機動部隊では、航空隊を
率いる淵田中佐が、盲腸炎による腹部の
激痛を引き起こしていました。

 淵田中佐は、ミッドウェー作戦が終わる
まで、何らかの方法で、患部を抑えて
くれるように軍医長に頼みました。

 そこに、源田参謀が現れ、「今度の
作戦など気にするな。無理せんでも
鎧袖一触だ。それより、次の米豪遮断
作戦では、またひとつシドニー空襲を
頼む。」と威勢よく言って元気づけました。

 淵田中佐は観念し、手術台に運ばれ
ました。手術の経過は良く、5月28日に
絶食させられたものの、1ヶ月近くわだか
まっていた腹部のしこりが取れて、気分は
爽快になっていました。

 ところが、淵田中佐を元気づけた源田
参謀が、風を引きました。自著で、「高熱を
発し、すんでのところで肺炎になるところ
だった。」としています。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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