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源田実参謀 索敵不備の懺悔 [源田実航空作戦参謀]

 索敵が粗雑なことについて、草鹿参謀長は、
懺悔しています。

 「索敵に対する慎重さが欠けていた。
この点は自分自身の大きな責任であった。
偵察が重要であることは、上杉謙信が重要な
作戦には、自ら偵察にあたった故事もあるし、
私もこれを痛感していた。

 昭和2~3年頃、はじめて航空界に身を
投じた時、第一に選んだ課題が、「航空機に
よる敵情偵察」で、各種の索敵法を考え出した
元祖が私であったと言っても過言ではない。

 その私が、重要な一点を黙過したことは、
当時の参謀長としてひと言の申し開きも
できない。具体的に言うと、攻撃隊の機数を
惜しんで、索敵をゆるがせにしたことである。」
としています。

 同じく源田参謀も、「敵の機動部隊が出撃
しているという算はほとんどないという先入的
判断があったため、一段索敵という手抜かりを
やった。

 従来、一段索敵で成功していることもあり、
敵を発見するのに、1時間半以上遅れた。」
としています。

 源田参謀は、上記の事から、「索敵の不備は、
私が犯した大きな失敗であった。」としていますが、
この懺悔の言葉の中にも、不備が散見されます。

 一つは、仮に一段索敵であっても、機数を
増やせば済むことですが、そのことに言及して
いません。

 しかも、従来の一段索敵が成功したという
のは、インド洋の海戦のことですが、この時の
索敵は失敗の部類に入り、成功とは言え
ません。

 源田参謀は、ミッドウェー作戦後も、索敵
計画に対する不備を、見極められていない
ということを露呈しています。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 粗雑な索敵線 [源田実航空作戦参謀]

 淵田中佐は、赤城攻撃隊分隊長の布留川大尉に
顔を向け、索敵機は出たのかと問いかけています。
返答は、第一次攻撃隊と一緒に出るということ
でした。

 一段索敵であることを確認すると、「そうです。
いつも通りです。」という返事でした。淵田中佐は、
コロンボ攻撃の時に、二度とも第一次攻撃隊の
基地攻撃中に、索敵機が敵水上部隊を発見
していることを、懸念しました。

 この点について手当はできているのか尋ねると、
村田少佐から、「第一次攻撃隊が出た後、第二次
攻撃隊が、艦船兵装で、待機しています。

 江草少佐の降下爆撃隊と、私の雷撃隊、板谷
少佐の制空隊が控えています。」という返答が
ありました。

 これを聞いて、淵田中佐は、ベストの布陣と考え、
むしろ早く敵の機動部隊が出てきてくれた方が良い
と感じました。そして、索敵線(索敵機の数)は
いくつかを、尋ねました。

 布留川大尉は、「索敵線は7本です。索敵方面は、
東方、南方で、ミッドウェーを挟んでいます。索敵機は、
赤城と加賀から艦上攻撃機一機、利根、筑摩から
水上偵察機各2機、榛名から1機となります。」と
いうことでした。

 淵田中佐は、敵がいないことを確認するだけの
粗雑な索敵だと感じました。敵艦隊がいるものと
して先制攻撃を狙うならば、二段索敵をやらな
ければならない。

 (二段索敵は、一段目が、日の出の頃に
索敵線先端に着くように発艦し、それより
1時間位遅らせて、二回目の索敵機を
発艦させることです。)

 それには、艦上攻撃機を、増やすしかないが、
そうすると、攻撃力を減らす。淵田中佐は、
上層部はこれを惜しんだようだと考えました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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