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源田実参謀 敵艦発見の報告 [源田実航空作戦参謀]

 兵装転換の命令の後、遅れて飛び立って
いた利根の偵察機から、「敵船10隻見ゆ。」
という報告が上がってきました。当初、
機動部隊司令部は、信じませんでした。

 報告された位置を海図に記入すると、距離は
370kmほどで、攻撃圏内でした。しかも、
偵察機は、敵の速力や進路も報告して
きたことで、敵艦がいることは確実と
なりました。

 誤報ではないと判断した司令部は、「魚雷は
そのまま。」という奇妙な命令を出しました。
兵装転換時に一緒に出した命令であれば
問題ありませんが、兵装転換は始まっており、
魚雷そのままということは、付け替えろというのと
同じです。

 この命令に、各空母はてんやわんやの
大騒動となりました。インド洋での海戦と
同じ失敗の作業をしたことになります。

 源田参謀は、ここで、インド洋で、
利根艦長が、偵察機に艦種を知らせよ
という命令をしたことを思い出し、
同様に発信しました。

 この頃から、ミッドウェー基地から飛び
立ってきた、爆撃機や雷撃機が来襲し、
赤城他の各空母に爆弾を投下して
きました。これらは、すべて
回避でき、無事でした。

(追記)
 ミッドウェー海戦の敗戦理由の一つに、
敵発見した利根の偵察機が、発進が30分
遅れたため、兵装転換命令前に発見
できなかったという論があります。

 確かに予定通り飛び立てなかったのは
不備ですが、この索敵は、最初から
「いないことを確認するため。」という
程度のものであり、責任を追求される
ほどのものではないと言えます。

 偵察機一機が不備を起こした(戦場では
想定すべきこと)ことで、索敵に穴が
空くような計画を立てた方が、
問題と言えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 兵装転換命令 [源田実航空作戦参謀]

 友永大尉の打電を受けた機動部隊司令部は、
ミッドウェー島から飛び立った航空機による
攻撃を受けていましたが、索敵機が、索敵線の
先端に到達する予定時刻の4時15分まで
待つことにしました。

 そして、敵発見の報告がないことを確認し、
第二次攻撃をミッドウェー島に指向することを
決意しました。そして、運命の「兵装転換」を
下命しました。

 赤城、加賀の艦載機の魚雷を800kg爆弾に
転換し、飛龍、蒼龍の250kg爆弾を、陸上用の
ものに転換する作業が開始されました。これは、
セイロン島のコロンボ攻撃のときと同じでした。
整備員は、予定通りと思ったようです。

 これに異を唱えたのは、山口少将でした。
「今朝来襲した敵機の動向に鑑み、敵機動
部隊出現の算、大なりと思考す。考慮せられ
たし。」という信号が送られてきました。

 司令部は、信号了解とだけ返信し、
山口少将の意見はありえないと、
黙殺しました。

 源田参謀は、後に、「第二次攻撃を実施した
ことが、大きな災いをもたらすとは思っても
見なかった。」として悔やんでいます。

(追記)
 上記の源田参謀の悔みは、残念ながら、
欠陥頭脳を証明することになりました。
このような状況は、セイロン島の攻撃の際に、
すでに経験済みであり、山口少将は、正確に
把握していました。敵前の兵装転換の愚も、
分かっていたことです。

 山口少将の意見具申の際に、セイロン島での
攻撃のことを思い浮かべるだけの頭脳があれば、
こんな悔みにはなりません。同じ失敗を二度繰り
返すのは、頭脳に問題があると言わざるを得ません。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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