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源田実参謀 東郷大将との比較 [源田実航空作戦参謀]

 東郷大将は、ロシア艦隊に対して、必勝の
信念と、死を決する覚悟で、連合艦隊の
先頭に立って突撃しています。

 この信念と比較すると、山本長官の
ミッドウェー攻略に対する心構えは、
比較にならないほど、どうしようもない
と言えます。

 愛人向けの手紙で、「国家のため、最後の
御奉公に精根を傾けます。」と言っていますが、
ミッドウェー攻略に対する指揮は、この言葉とは
裏腹だと言えます。

 同時に、山本長官が重用している幕僚たちに
ついても、東郷大将とは大きな差があると
いえます。

 東郷大将の元で作戦を立案した秋山真之
先任参謀は、私心なく、「一部の隙」も、
「一抹の不安」も残さないほどの、
作戦を案出しています。

 黒島先任参謀や、源田参謀とは、根本から
質が違っていたと言えます。日本海軍は、
東郷大将を毛嫌いするような方向に
動いていたので、一致しなくなるのは
当然と言えます。

 むしろ、東郷大将を尊敬し、その思想を
受け継いだのは、アメリカのニミッツ提督
だと言えます。このような思想面でも、
日本軍とアメリカ軍の間には、大きな
隔たりがあったといえます。

 そして、隔たりがあったのは、用兵思想に
ついてもいえました。日本軍は、航空主兵・
戦艦無用と言う方向に進んでいました。

 しかし、アメリカにはそのような発想は
ありませんでした。空母と同様、戦艦も
多数就役させていました。

 それは、ミッドウェー攻略作戦前の
1942年4月のアメリカ軍の軍備
増強を見ると、一目瞭然に分かります。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 愛人宛の手紙 [源田実航空作戦参謀]

 山本長官は、第一機動部隊が出撃した
5月27日に、東京にいる愛人である、
新橋芸者の河合千代子氏宛ての
手紙を書いています。

 「・・・私の厄を引き受けてくれたことに
対して、国家のため、最後の御奉公に
精根を傾けます。その上は、万事を放擲
して世の中から逃れて、たった2人きりに
なりたいと思います。

 29日には、こちらも出撃して、3週間
ばかり、洋上に全軍を指揮します。多分
あまり面白いことはないと思いますが。
今日は記念日だから、これから峠だよ。
あばよ。くれぐれもお大事にね。

 うつし絵(写真のこと)に くちづけしつつ 幾たびか 千代子と呼びて けふも暮しつ」

という内容でした。

 この手紙を書いた5月27日は、海軍記念日で、
1905年に、東郷平八郎大将が率いる連合艦隊が、
対馬海峡にロシアのバルチック艦隊を迎え撃ち、
これを撃滅して、日本を勝利に導いた日です。

 上記の手紙には、考えさせられる内容が
あります。まず、手紙の中に、連合艦隊が
29日に出撃するという、軍事機密に属する
ことを記載していることです。長官がこの
ようなことをしているようではダメだろうと
考えます。

 次に、多分あまり面白いことはないと
言うのは、敵の主力は出てこないので、
大戦果は上げられないという意味だと
思われます。

 しかし、この出撃は、大敗北する事に
なるので、この意味では、面白いことは
ないという表現は当たったと言えます。

 記念日だから峠だというのは、東郷大将に
あやかり、これから出撃して大戦果を上げたい
ということでしょうが、実際、この出撃で、
アメリカとの攻守が逆転したので、峠という
表現は当たっているといえます。

 同じ出撃と言っても、東郷大将と山本長官
では、雲泥の差だと言わざるを得ません。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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