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源田実参謀 気休めの索敵 [源田実航空作戦参謀]

 源田参謀はこの時の索敵を、気休め気分で
やっていたようでした。敵機動部隊がいない
ことを、確認するぐらいでよいという意味で、
索敵を行っていました。

 この点について、著者の生出氏が、吉岡
元参謀に直接確認し、「気休めの索敵
だった。」と二度に渡って明言したと
しています。

 実際、この席で、山口少将の案に賛成して、
索敵機を増やすという意見を言ったぐらいで、
臆病者などと呼ばれることはないと言えます。
源田参謀は、アメリカ軍を見くびっていた
としか思えません。

 源田参謀の頭は、「艦上攻撃機と雷撃機の
大兵力を集中すれば、一挙に敵を撃滅
できるし、上空警戒を多数集中すれば、
敵の航空攻撃は阻止できる。」という考えに
凝り固まり、索敵と防空を軽視していたと
言えます。


 ミッドウェー攻略計画は、多数の問題を
内包しながら決行となり、第一機動部隊は、
1942年5月27日に、桂島泊地を出撃し、
ミッドウェーに向かいました。

 機動部隊は、軽巡洋艦長良と12隻の
駆逐艦からなる警戒隊を先頭に、
豊後水道を南下しました。

(追記)
 源田参謀の上記の考えは、敵が同じように
上空警戒を多数敷いていたら、攻撃は成功
しないし、成功するとすれば、味方の防空も
穴があるということを、自ら言っているような
ものです。

 上記の一文は、敵が同じことをしたら、
問題があるということを示しており、こんな
考えに固執していたとすれば、参謀の
頭脳を疑わなければならないという
ことになります。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 索敵不十分 [源田実航空作戦参謀]

 機動部隊での説明と打ち合わせにおいて、
山口少将は、機動部隊司令部の索敵では
不十分であると主張しました。しかし、
司令部は、計画を改めるつもりは
ありませんでした。

 索敵計画を立案した吉岡参謀は、「これまでの
敵状からすれば、攻略前に敵艦隊がミッドウェー
方面に出現することはほとんど考えられない。
索敵を厳重にするのが良いことはわかりますが、
そうすると、艦上攻撃力が減少する。」としています。

 これについて、源田参謀は戦後、「索敵に
ついては、東半円に対する索敵をしてから、
南西方面に進撃して空襲をしたいと考えて
いた。しかし、日時の関係でできなかった。

 結局、西北方から予定の日に空襲を実施
するという平凡なものになってしまった。計画が
終わってからも、自信が持てなかった。誰にも
言わなかったが、内心の不安は、打ち消せな
かった。

 しかし、真珠湾から、ラバウル、インドに至る
一連の成功から、『今度の成功する。真珠湾や
セイロンだって不安はあった。』という自己
満足的なものがあって、不安にメスを
入れなかった。

 臆病者と言われても、意見具申すべきだった。」
と言っています。しかし、これは、源田参謀の自分を
よく見せるための詭弁だと言えます。

 吉岡参謀は、源田参謀の状況判断と、用兵
思想に基づいて立案しており、索敵計画は
源田参謀のものと言えます。東方面が不安
ならば、索敵機を増やすという山口少将の
案に従えば済むことでした。

 していない時点で、この当時、上記のような
考えは持っていなかったといえます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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