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源田実参謀 日時にこだわり [源田実航空作戦参謀]

 日本海軍の図上演習が、勝利するという
結論を変えずに、想定を甘くするという
シミュレーションの意味をなくす
ようなことをやっているのは、
以前紹介した通り、ミッドウェー
攻略が始めてではありませんでした。

 9月に、ハワイ攻撃の図上演習をした時にも、
アメリカ航空隊の反撃を食らったら、空母3隻
撃沈と言う結果になっていました。しかし、
それではこの後の作戦ができないという
ことで、空母3隻の撃沈を取り消すという
ことになりました。

 これは、山本長官の、「何が何でもやる。」と
いう強い意志が働いたもので、ミッドウェー攻略も
同様でした。

 5月4日の作戦打ち合わせにおいて、
山口少将と、源田参謀は、「ミッドウェー
作戦の期日をもっと先に延ばすことは
できないか。6月上旬では、訓練が
出来上がらない。」と強硬に主張しました。

 この時、南雲機動部隊は、4月22日に
内地に帰還したばかりであり、乗員の
半分が入れ替わると言う大幅な人事
異動を通達されて、ひどい混乱状態
でした。

 そのようなところに、6月上旬の
ミッドウェー攻略を行うという
命令でした。

 人事異動は、海軍省が、開戦前のため
中断した諸術科学校の教育を再開して、
後につなぐパイロットはじめ、各分野の
要員を養成しようとしたことから始まった
もので、やることに意義はありましたが、
時機が悪すぎたといえます。

 しかし、連合艦隊は、山口少将や、
源田参謀の意見を、取り合うことはせず、
6月7日の日時に頑としてこだわりました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 無意味な図上演習 [源田実航空作戦参謀]

 図上演習において、アメリカ軍を率いる
松田千秋大佐は、アメリカ軍がやって
きそうな戦法を想定し、ミッドウェー島の
陸上機で空母群に攻撃を仕掛けたところ、
審判規定により、赤城と加賀に9発の
爆弾が命中するという判定となりました。

 この判定に基づけば、赤城と加賀は撃沈
となり、ミッドウェー攻略は不可能と
なりました。

 その時、宇垣参謀長は、爆弾を3発とし、
加賀を撃沈、赤城を小破とするという、
とんでもないことを行っています。

 しかも、これであっても、ミッドウェー島の
攻略は可能であったものの、計画より1週間
遅れ、艦艇の燃料が足らなくなり、一部の
駆逐艦は、海岸に乗り上げるという、散々な
状態となりました。

 この経過に対し、宇垣参謀長は、連合艦隊は
こうならないように作戦指導すると断言し、この
問題にケリをつけました。この後のFS作戦では、
撃沈したはずの加賀を復活させるというまったく
意味のない想定で行われました。

 これを見た航空隊を率いる淵田中佐は、
「このような総裁ぶりには、さすがの心臓が
強い飛行将校もあっけにとられた。」と
しています。

 松田大佐は、後にこの図上演習について、
「空母が2隻沈んだら作戦を続けられない
というなら、ミッドウェー攻略を練り直すか、
中止するものである。しかし、連合艦隊で
やることが決定していたので、図上演習を
続けざるをえなかった。

 結局、ミッドウェー攻略が、無理が
あったのだと思う。実際、この図上演習と
近い形で空母4隻を失っている。」と
語っています。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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