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源田実参謀 アメリカ軍の対応 [源田実航空作戦参謀]

 山本長官が、訓示していたのと同じ日に、
アメリカでは、ニミッツ大将が、ワシントンの
海軍作戦部長兼合衆国艦隊司令官キング
大将に、次の電報をしています。

 「ミッドウェー防衛。現状において、
中程度の攻撃に対してならば、持ちこたえ
られると考えられるが、大規模な攻撃に
対しては、艦隊の支援を要すると思考する。

 5月2日頃、同島を視察する予定。同島の
強化及び、確保について、十分に考慮を
払わんとす。」と、日本海軍の次の攻撃
目標を明確に察知している上に、万全の
準備を整えて、日本機動部隊を
ミッドウェーで迎え撃つという
意図を持っていました。

 連合艦隊は、5月1日~3日に、図上演習を
行いました。宇垣参謀長が審判兼務日本軍
指揮官となり、戦艦日向の松田大佐が、
アメリカ軍の指揮官となりました。

 この図上演習では、ミッドウェー攻略から、
フィジー・サモア作戦、ハワイ攻略作戦の
航空撃滅戦と、艦隊決戦までを演じる
ものでした。

 本来、各部隊の計画は、各部で立てますが、
今回は、時間がなく、連合艦隊司令部が
立てています。

 そのため、日本軍の指揮官は、自分の
部隊の駒を進めるための研究と言うより、
連合艦隊司令部の計画の説明をする
演習のようになっています。

 連合艦隊の計画を立てたのは、黒島、
渡辺の両参謀であり、ミッドウェー上陸を
6月7日として、計画を立てていました。

 この日になったのは、アメリカ軍を早く
抑圧するためと、自然現象による
最適日でした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 一航戦司令部の関係 [源田実航空作戦参謀]

 源田参謀と、南雲長官、大石先任参謀など、
一航戦司令部の関係は以下のようなものでした。

 南雲長官は、航空作戦の計画や指導において、
ほとんどイニシアチブをとることはなく、
幕僚の意見を「うんよかろう」と
決裁していたようでした。

 草鹿参謀長も、南雲長官と同様で、口を
挟むことはほとんどなかったようでした。
大石先任参謀は、航海専門で、航空の
ことは経験が少ない状態でした。

 必然的に、航空作戦に関する計画や指導は、
源田参謀の意見が、ほとんど全部通っていた
ということになります。

 そのようなことから、連合艦隊の佐々木航空
参謀や、渡辺専務参謀などは、機動部隊を
源田艦隊と評していました。一航戦司令部の
作戦は、源田参謀の用兵思想に影響される
ことが絶大でした。

 南雲長官が、「うんよかろう」と言っていた
幕僚は、ほぼ、源田参謀一人だったという
ことになります。


 4月29日午後6時に終わった戦訓研究会は、
その後の山本長官の熱烈な訓示で締めて
います。内容は、「第二段作戦は、準備
して備えている敵であるが、守勢をとる
ことは出来ない。攻勢をとり、敵に手痛い
打撃を与える必要がある。

 海軍軍備は、一段の工夫を要する。重点
主義に徹し、これだけは負けぬという備えを
なす必要がある。

 これがためには、海軍航空の威力で、敵を
圧倒する事が絶対であり、共栄圏を守るのは
いつに海軍である。」というものでした。

 海軍は、アメリカ軍に、休息の暇を与えない
ように、MI、AL、FS作戦をやり、ジョインストン、
パルミラ島を攻略し、10月頃にハワイを占領
して、戦局の大勢を決するということでした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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