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源田実参謀 司令部の怠慢 [源田実航空作戦参謀]

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 第一機動部隊の300海里後方を進む
「大和」の作戦室では、「敵空母発見」の
報告に、幕僚一同飛び上がらんばかりに
喜びました。

 宇垣参謀長は、「よき敵ござんなれ」と思い、
黒島参謀は、「いちころだ」と思い、佐々木
航空参謀は、「しめた」と思ったようでした。

 ここで、山本長官は、「すぐにやれと
言わんでもよいか。」と尋ねました。それに
黒島参謀が、「機動部隊の搭乗機半分を、
艦船攻撃に待機させるよう指導してあるし、
参謀長口達でもやかましく述べられている
ので、今更言わないでもいいと思います。」と
返答しています。こうして、山本長官の考えは、
機動部隊に伝わらない事になりました。


 ミッドウェー攻撃隊が、午前4時50分頃、
上空に帰ってきました。しかし、この時は、
ミッドウェー島からの敵機の爆撃を受けて
いる最中であり、着艦は不可能でした。
雲の中に逃れ、アメリカ軍の空襲が
終わるのを待つしかありまあせんでした。

 5時40分頃、敵機の攻撃が終わり、
各空母は、攻撃隊と上空警戒隊の
半数の収容を急ぎ、午前6時18分頃に、
収容が終わりました。

(追記)
 上記の黒島参謀の反応は不可解と言え
ます。半数は残しておくことを指導し、
口達でも伝えて徹底しているとすれば、
南雲長官や、草鹿参謀長が、兵装転換を
命じるはずがないと言えます。

 黒島参謀らは、「厳守せよ」のつもりでも、
機動部隊司令部は、基本方針としか、とらえて
いなかったということになり、認識のズレが
あると言えます。

 司令部の意図を正確に受け止めていたのは、
山口少将で、機動部隊司令部では誰もいな
かったということになります。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿


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