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源田実参謀 欠陥の空母攻撃案 [源田実航空作戦参謀]

 源田参謀の空母攻撃案は、欠陥頭脳を
露呈するような内容が入っています。

 攻撃隊を丸裸で出すのは問題なので、
少しでも戦闘機をつけて出すというのは
その通りです。

 ならば換装が終わった飛龍と蒼龍の攻撃隊に、
戦闘機をつけて送り出せば済むことです。
雷撃機を待つ必要は全くありませんでした。

 こう考えた理由は、柴田大佐が指摘している
ような、スタンドプレーです。源田参謀の
頭には、「艦上攻撃機と艦上雷撃機を、
集中的に運用すれば、敵艦隊を一気に
撃滅できる。」という欠陥用兵理論に
基づいていると言えます。

 爆撃機と雷撃機は揃える必要がある
という考えが根底にあり、「この集中
攻撃で、敵空2~3隻を、一挙に撃沈して、
世界をあっと言わせたい。」という思いが
あったのではないかとしています。

 草鹿参謀長も、後に反省しています。
「山口少将の意見具申の通り、すべてを
放棄して、護衛戦闘機をつけられるだけ
つけて、爆弾も陸上攻撃のまま、第二次
攻撃隊を発艦させなければならない
ところであった。

 しかし、目前で、敵爆撃機が、味方の
戦闘機に落とされている状態を見ている。
陸上爆弾では心もとない。アメリカ軍の
腕前は大したことはないという考えから、
ミッドウェー攻撃隊の戦闘機をつける
という決定をした。

 今になって思うと、“兵は拙速を聞くも、
いまだ巧みの久しきを観ざるなり“の一語
である。」としています。

 言っていることはその通りですが、
機動部隊司令部の参謀長、参謀は、
欠陥頭脳であることを示している
だけです。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 敵空母発見 [源田実航空作戦参謀]

 午前5時9分、敵艦を発見した利根
偵察機から、「敵は巡洋艦5隻、駆逐艦
5隻なり。」という電報が上がって
きました。

 これを聞いた源田参謀は、「空母が
いないなら、予定通り行動すべき。」と
判断したようでした。

 この判断を後に、「兵術上の常識からして、
昼間に母艦を伴わないで、有力兵力が、
敵機動部隊付近を、我が方に進行しながら
進むというのは、深い注意を払うべきで
あった。」と自己批判しています。その通り
としか言いようのない、当然のものです。

 午前5時20分ごろ、山口少将から、
「現有装備で、直ちに攻撃隊を発艦
せしむるを至当と認む。」という発光
信号がきました。山口少将は、この
信号を2回送っていますが、どちらも、
「信号了解」の信号しか発信しません
でした。

 山口少将は、この時、赤城の艦橋を確認し、
源田参謀がいないか確認するように命じて
います。源田参謀に期待していたようですが、
ここまでの行動を見る限り、期待できないと
言えます。

 機動部隊は、敵の攻撃を受け、回避に
多忙を極めていました。この時、利根の
偵察機から、空母発見の報告が来ました。
衝撃を受けた、源田参謀は、応変の策を
考えました。

 「現在、換装が終わった二航戦の
攻撃機36機は、空母に打撃を与える
のに十分である。

 しかし、戦闘機がなければ、100機
以上の戦闘機(過大に見積もりすぎです)に
囲まれて、攻撃前に大部分を失う。雷撃隊と
援護戦闘機をつけたい。」としました。

 この案を南雲長官と草鹿参謀長は、
異論もなく了承し、各艦に準備でき次第、
大挙発進させるように、処置しました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 敵艦発見の報告 [源田実航空作戦参謀]

 兵装転換の命令の後、遅れて飛び立って
いた利根の偵察機から、「敵船10隻見ゆ。」
という報告が上がってきました。当初、
機動部隊司令部は、信じませんでした。

 報告された位置を海図に記入すると、距離は
370kmほどで、攻撃圏内でした。しかも、
偵察機は、敵の速力や進路も報告して
きたことで、敵艦がいることは確実と
なりました。

 誤報ではないと判断した司令部は、「魚雷は
そのまま。」という奇妙な命令を出しました。
兵装転換時に一緒に出した命令であれば
問題ありませんが、兵装転換は始まっており、
魚雷そのままということは、付け替えろというのと
同じです。

 この命令に、各空母はてんやわんやの
大騒動となりました。インド洋での海戦と
同じ失敗の作業をしたことになります。

 源田参謀は、ここで、インド洋で、
利根艦長が、偵察機に艦種を知らせよ
という命令をしたことを思い出し、
同様に発信しました。

 この頃から、ミッドウェー基地から飛び
立ってきた、爆撃機や雷撃機が来襲し、
赤城他の各空母に爆弾を投下して
きました。これらは、すべて
回避でき、無事でした。

(追記)
 ミッドウェー海戦の敗戦理由の一つに、
敵発見した利根の偵察機が、発進が30分
遅れたため、兵装転換命令前に発見
できなかったという論があります。

 確かに予定通り飛び立てなかったのは
不備ですが、この索敵は、最初から
「いないことを確認するため。」という
程度のものであり、責任を追求される
ほどのものではないと言えます。

 偵察機一機が不備を起こした(戦場では
想定すべきこと)ことで、索敵に穴が
空くような計画を立てた方が、
問題と言えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 兵装転換命令 [源田実航空作戦参謀]

 友永大尉の打電を受けた機動部隊司令部は、
ミッドウェー島から飛び立った航空機による
攻撃を受けていましたが、索敵機が、索敵線の
先端に到達する予定時刻の4時15分まで
待つことにしました。

 そして、敵発見の報告がないことを確認し、
第二次攻撃をミッドウェー島に指向することを
決意しました。そして、運命の「兵装転換」を
下命しました。

 赤城、加賀の艦載機の魚雷を800kg爆弾に
転換し、飛龍、蒼龍の250kg爆弾を、陸上用の
ものに転換する作業が開始されました。これは、
セイロン島のコロンボ攻撃のときと同じでした。
整備員は、予定通りと思ったようです。

 これに異を唱えたのは、山口少将でした。
「今朝来襲した敵機の動向に鑑み、敵機動
部隊出現の算、大なりと思考す。考慮せられ
たし。」という信号が送られてきました。

 司令部は、信号了解とだけ返信し、
山口少将の意見はありえないと、
黙殺しました。

 源田参謀は、後に、「第二次攻撃を実施した
ことが、大きな災いをもたらすとは思っても
見なかった。」として悔やんでいます。

(追記)
 上記の源田参謀の悔みは、残念ながら、
欠陥頭脳を証明することになりました。
このような状況は、セイロン島の攻撃の際に、
すでに経験済みであり、山口少将は、正確に
把握していました。敵前の兵装転換の愚も、
分かっていたことです。

 山口少将の意見具申の際に、セイロン島での
攻撃のことを思い浮かべるだけの頭脳があれば、
こんな悔みにはなりません。同じ失敗を二度繰り
返すのは、頭脳に問題があると言わざるを得ません。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 ミッドウェー攻撃不発 [源田実航空作戦参謀]

 ミッドウェー島の攻撃が不発に終わったのは、
地上に敵機なしという状況を作られたから
でした。

 友永大尉は、空の飛行場を攻撃させられた
ということです。この時になって、機動部隊
司令部は、はじめてアメリカ軍に企図が
漏れていたことを悟りました。

 アメリカ軍の対応により、飛行機を攻撃
するために出撃した艦上爆撃機36機の
250kg爆弾では、飛行場への攻撃には
不十分となりました。これも、司令部の
判断誤りと言えます。

 司令部は思いもよらない状況と考えて
いましたが、これは、桂島で、中島通信
参謀が指摘したのと、ほぼ同じ状況と
言えます。最初から想定できることを、
司令部は検討を怠ったということです。

 この時、機動部隊司令部が、敵に企図が
漏れていることを冷静に受け止め、今後
敵がどのような行動に出るかを考えて
いれば、対処のしようがあったと
言えます。

 しかし、欠陥頭脳の標本化している
司令部には、そのようなことは
できませんでした。

 ミッドウェーのアメリカ軍に裏をかかれた
くらいにしか捉えられず、源田参謀は、
「こうなったら腕ずくだ」と考えていました。
そして、やってはいけないことに手を
出すことになりました。

 午前4時5分頃、ミッドウェーの陸軍機と
海軍機が、機動部隊に攻撃を仕掛けて
きました。これらは、零戦と、対空砲火、
回避で対処でき、被害はありませんでした。

 友永大尉は、午前4時に、「第二次攻撃の
要ありと認める。」という運命の打電をしました
(この後の状況は、この打電から生じていま
すが、当然ながら友永大尉には責任はない
といえます)。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 攻撃隊発艦 [源田実航空作戦参謀]

 6月5日午前1時30分頃、各空母を
発艦した零戦36機、艦上水平爆撃機
36機、艦上爆撃機36機の合計108機が、
友永大尉に率いられ、ミッドウェー島に
飛んでいきました。

 発進地点は、ミッドウェー島の北西390kmの
地点で、時刻、位置ともに予定通りでした。
攻撃隊と前後して、空母上空警戒機10数機と、
索敵機7機が、発艦しました。

 索敵機の内、利根の第4索敵線を担当する
水上偵察機のみ、30分遅れています。

 午前2時20分、赤城の各部隊に対し、
「敵情に変化なければ、第二次攻撃は、
第四編成を以て本日実施の予定。」と
信号を発信しました。

 第四編成は、陸上攻撃用の爆弾でした。
これにより、上空警戒は、12機だけと
なりました。

 司令部は、敵機動部隊は存在せず、
ミッドウェー基地の攻撃は成功し、
アメリカ軍の攻撃機は、それほど
来襲しないという、全く根拠のない
判断をしていました。

 ところが、友永大尉から、「地上に敵機なし」と
いう、司令部にとって思いもよらない電報が
送られてきました。

 アメリカ軍は、日本軍が、来襲することは
想定しており、レーダーで察知した直後に、
飛行可能な航空機をすべて飛ばして退避
させていました。さらに、26機の戦闘機で
迎え撃つ体制を整えていました。

 戦闘機は、36機の零戦で蹴散らすことが
できましたが、飛行場に航空機はなく、滑走路を
爆撃した艦上攻撃機が少なく、滑走路の破壊は
不十分に終わりました。

 こうなったのは、攻撃隊の責任ではなく、
司令部の杜撰な計画が招いたことでした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 索敵不備の懺悔 [源田実航空作戦参謀]

 索敵が粗雑なことについて、草鹿参謀長は、
懺悔しています。

 「索敵に対する慎重さが欠けていた。
この点は自分自身の大きな責任であった。
偵察が重要であることは、上杉謙信が重要な
作戦には、自ら偵察にあたった故事もあるし、
私もこれを痛感していた。

 昭和2~3年頃、はじめて航空界に身を
投じた時、第一に選んだ課題が、「航空機に
よる敵情偵察」で、各種の索敵法を考え出した
元祖が私であったと言っても過言ではない。

 その私が、重要な一点を黙過したことは、
当時の参謀長としてひと言の申し開きも
できない。具体的に言うと、攻撃隊の機数を
惜しんで、索敵をゆるがせにしたことである。」
としています。

 同じく源田参謀も、「敵の機動部隊が出撃
しているという算はほとんどないという先入的
判断があったため、一段索敵という手抜かりを
やった。

 従来、一段索敵で成功していることもあり、
敵を発見するのに、1時間半以上遅れた。」
としています。

 源田参謀は、上記の事から、「索敵の不備は、
私が犯した大きな失敗であった。」としていますが、
この懺悔の言葉の中にも、不備が散見されます。

 一つは、仮に一段索敵であっても、機数を
増やせば済むことですが、そのことに言及して
いません。

 しかも、従来の一段索敵が成功したという
のは、インド洋の海戦のことですが、この時の
索敵は失敗の部類に入り、成功とは言え
ません。

 源田参謀は、ミッドウェー作戦後も、索敵
計画に対する不備を、見極められていない
ということを露呈しています。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 粗雑な索敵線 [源田実航空作戦参謀]

 淵田中佐は、赤城攻撃隊分隊長の布留川大尉に
顔を向け、索敵機は出たのかと問いかけています。
返答は、第一次攻撃隊と一緒に出るということ
でした。

 一段索敵であることを確認すると、「そうです。
いつも通りです。」という返事でした。淵田中佐は、
コロンボ攻撃の時に、二度とも第一次攻撃隊の
基地攻撃中に、索敵機が敵水上部隊を発見
していることを、懸念しました。

 この点について手当はできているのか尋ねると、
村田少佐から、「第一次攻撃隊が出た後、第二次
攻撃隊が、艦船兵装で、待機しています。

 江草少佐の降下爆撃隊と、私の雷撃隊、板谷
少佐の制空隊が控えています。」という返答が
ありました。

 これを聞いて、淵田中佐は、ベストの布陣と考え、
むしろ早く敵の機動部隊が出てきてくれた方が良い
と感じました。そして、索敵線(索敵機の数)は
いくつかを、尋ねました。

 布留川大尉は、「索敵線は7本です。索敵方面は、
東方、南方で、ミッドウェーを挟んでいます。索敵機は、
赤城と加賀から艦上攻撃機一機、利根、筑摩から
水上偵察機各2機、榛名から1機となります。」と
いうことでした。

 淵田中佐は、敵がいないことを確認するだけの
粗雑な索敵だと感じました。敵艦隊がいるものと
して先制攻撃を狙うならば、二段索敵をやらな
ければならない。

 (二段索敵は、一段目が、日の出の頃に
索敵線先端に着くように発艦し、それより
1時間位遅らせて、二回目の索敵機を
発艦させることです。)

 それには、艦上攻撃機を、増やすしかないが、
そうすると、攻撃力を減らす。淵田中佐は、
上層部はこれを惜しんだようだと考えました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 痛烈な核心 [源田実航空作戦参謀]

 柴田大佐は、源田参謀について、痛烈な
核心をついた源田評を付け加えています。

 「第一機動部隊の山本長官に送った状況
判断は、全部間違いであることは、注解の
通り、明白である。

 これは、欠陥頭脳の標本みたいなものであり、
空想的な戦争の夢を見て、その中で、スタンド
プレーをしている。

 源田参謀は、このスタンドプレー(観客席の
喝采を狙う派手な演技という意味で使用して
いるようです)をしている自分に陶酔し、
寝言を言っているような報告文である。

 源田参謀以外に誰がこんな事ができるか、
言い得るか。源田参謀は、敵を知らず、己を
知らず、戦わずしてすでに敗けているのである。」
としています。

 辛辣な評価ですが、全て事実と言わざるを
得ません。しかも、この評価は、源田参謀
だけに当てはまるとは言えません。

 当然ながら、南雲長官、草鹿参謀長、大石
参謀なども同様と言えます。そして、山本長官
以下の連合艦隊司令部は、さらに輪をかけて
ひどいと言えます。

 真珠湾攻撃を成功と勘違いしたことから、
このような状況判断に至ったといえます。

(追記)
 上記の、「敵を知らず、己を知らず、
戦わずしてすでに敗けている。」というのは、
孫子の兵法の最も有名な言葉、「敵を知り、
己を知れば、百戦危うからず。」を逆に
使ったものです。

 得てして、負ける時は、敵か己を見誤った時に
発生するものですが、両方知らないのだから、
戦う前に敗れているというのは、欠陥頭脳を
表する言葉として、言い得ていると思えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 第一機動部隊の状況判断 [源田実航空作戦参謀]

 友永大尉率いるミッドウェー攻撃隊の
発進を前にして、第一機動部隊司令部は、
次のような状況判断を、山本長官に
していました。

①敵は、戦意乏しきも、わが攻略作戦
 進捗せば、出動反撃の算あり。
②敵の飛行索敵は、西方および、北方方面に
 対して、厳重ならざるものと認む。
③敵の哨戒圏はおおむね500海里なるべし。
④敵は、我が企図を察知せず、少なくとも
 5日早朝までは、我が方は、敵に
 発見されおらずと認む。
⑤敵空母を基幹とする有力部隊、付近海面に
 退去行動中と推定せず。
⑥上陸作戦の後、もし敵機動部隊反撃し
 来らば、これを撃滅すること可能なり。

 この状況判断について、「戦艦無用論」、
「戦闘機無用論」で、源田参謀と対立した
柴田大佐は、自分の著書「源田実論」の
中で、以下の適切な注解をつけています。

①敵機動部隊は、甚だ劣勢であるが、
 好機に乗じてわが機動部隊を
 攻撃すれば、勝算があると
 大いに戦意を燃やし、手ぐすね
 引いて、待っていた。
 そして、わが攻略作戦進捗前に
 襲撃してきた。
②敵は北西にあるわが機動部隊を特に
 厳重に警戒していた。
③敵は、700海里の哨戒飛行を行っていた。
④敵は、わが企図を1ヶ月も前に察知していたし、
 機動部隊が豊後水道を出たときから監視を
 続けていた。
⑤敵空母部隊は、すでに大挙出動して、
 待ち構えていた。
⑥敵機動部隊が、上陸作戦後に、出てくると
 勝手に決めており、上陸作戦の前に
 反対に撃滅された。

 柴田大佐は、さらに、源田参謀について、
上記の注解を受けながら、痛烈な核心を
ついたコメントも残しています。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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